労働訓練学校の先生の養成 2

労働訓練学校の先生の養成 2 金森正臣

 労働者の訓練のカリキュラムを作り始めて、早1ケ月が過ぎた。毎日、午後に先生の卵に教え、それを次の日の午前中、卵たちが労働者に教える。日本では考えられない乱暴な授業の仕方である。

 しかし、労働者の訓練は、予想のつかないことが多く、考えても仕方がないので、授業をしながら考えることにした。いかんせん集まった人たちが、どの程度の学力レベルなのかは、ほとんど予想がつかない。教員養成所の支援の場合には、少なくともカリキュラムがあって、それに沿ってすれば良い。逆の言い方をすれば、カリキュラムから外れることは少ない。ところが労働者の訓練は、何の制約もなく、工場で働く場合の基礎訓練である。足りないものを補って、工場で見聞きするものがある程度理解できるようにしなければならない。

 もちろん工場によって、要求されるものは異なるから、それぞれは派遣されてからの教育になる。前回も書いた様に、意外に学歴の高いメンバーが労働者として応募してきている。それでも実際には、多くの基礎的問題が見えてくる。コンパスはほとんど使えないし、分度器はもちろん使えない。3回ぐらい繰り返して、ようやく少し理解が進む。平均値の出し方も知ってはいても、実際のデータを前にどうしてよいかわからない。歩測で道を測らせたら、まず1歩の長さを算出するところでつまずいた。10歩の平均を5回測って、それを平均した。ところがそこから1歩の長さを割り出すことに、理解が進まない。直線を引けない人たちに、箱を分解して展開図を作り、それを図面に書いて組み立てることをした。4回目ぐらいから次第に理解が進み、三角錐や四角錐も図面から予想できるようになった。

 以前に教員養成所の先生で経験した通り、角度が180度を超えると、測定もできないし、書くこともできない。円が360度であることは、十分知っているのだが。そこで補助線を引かせて、そこまでが180度であることを教えると、ようやく理解が少し進む。それでも簡単に、250度を作れるようにはならない。このようなことを繰り返しながら、少しずつ彼らの能力が引き出されてくることを実感している。始めて1ケ月目で、諦めがなくなって休み時間まで考えて理解しようとするようになった。最初のころに。「分かりません」と言えば全て終わりになっていた彼らの思考回路が、明らかに働き出している。ともかくも、1歩1歩ずつ、前進か。
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労働訓練の先生の養成

労働訓練の先生の養成 2012.3.3. 金森正臣

 日本からカンボジアに戻ってすぐに、労働者の訓練をするために、その先生の養成を始めた。カンボジアには、既にかなりの日本企業が進出しており、労働者の確保が問題になっている。カンボジアは、若者の国であり(20歳以下が46%を占めている)、当然労働人口も多い。しかしながら、進出企業はどこも十分な労働者を確保できていない。またある企業では、採用した労働者の40%が1年以内に離職している。いろいろな原因があるが、田舎の時計に縛られない生活から、工場の毎日8時間拘束される生活に適応できない場合(この場合には、比較的初期に離職する)。仕事の内容が理解できないために、1月以上経って徐々に辞めて行く。生活のトラブル(同僚と馴染めない、女性では望まない妊娠など)、多くの原因があると思われる。

 多くの問題を少なくするためには、工場などで働く以前に、ある程度の教育をする必要性がある。労働省の職業訓練学校は、地方に24校有ると言うが、どれも工場などで働く基礎訓練は行っていない。地方では若者は多いがその50%は、小学校を卒業できていない。カンボジアの就学率は、96%程度で、私が行っていた東アフリカのタンザニアよりはるかに高い。しかし卒業率はかなり低い。したがって地方から労働力を得ようとすると、働き始める前にある程度の基礎学習が必要になる。

 労働者に基礎知識を教える、先生の養成から始めた。カンボジアに戻ってすぐから始めた養成講座は、約180時間の授業作りが必要である。病気の影響などで、しばらくノンビリさせて頂いていたが、覚悟を決めて一気にトップスピードに加速した。朝3時には起きて、16時間働くと、何とか授業を作りながら教えて行かれる。日本の教育のような完成度は望めないが、何しろ相手の学力の予想がつかない。先生の候補生(9人)もそのトレーニングのために集められた労働者(17人)も、意外に学歴が高く、中学校中退は1人しかいなく、高校・大学卒業が多い。しかしながら始めて見ると、意外な事実ばかり。数字を描くのが素晴らしく遅く、日本の小学校3年生の3-5倍かかる。しかも、読めないような数字を書く。ふと思い出したのは、1999年に初めて来た時に見学した、多くの小・中・高等学校の授業風景。1クラス60-80人近く生徒がいても、だれもノートや教科書を持っていなかった。そこで授業の合間に、聞いてみたら案の定、小学校の時には、だれもノートを持っていなかったと言う。当然数字の書き方は、練習したり復習したりすることは無かった筈であるから、大学を卒業していても上手に書けないのは当然であろう。定規がっても直線が書けない、平行線はどうすればかけるのか予想がつかない。

 こんな新しい発見を日々しながら、トップスピードのまま走り続けている。正臣会後に磯貝先生から送って頂いた、「算数セット」などとにらめっこなどをしながら、教え方を模索している。日本の教材は、本当によくできていて、見ているだけで色々なアイデアが浮かんでくる。愛知教育大学時代の同僚である、長沼先生にも1月ほど応援して頂いている。体力がどこまで持つかという心配もあるが、現在のところ何とかなりそうな雰囲気。先生候補者の授業を見ながら、居眠りなどをして体力を回復し、また次の授業に取り組んでいる。しばらくご無沙汰することも多いと思われるが、皆さんご容赦あれ。
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