ラオスのイヌ   

ラオスのイヌ   2011.2.23.  金森正臣

 ラオスの調査の折に、気に入ったのがイヌ。ラオスのイヌは、人懐っこく、優しい。カンボジアのイヌは、疑い深くてなかなか知らない人には近づかない。撫でてやろうとしても、直ぐに構えて逃げる。カンボジアでなついたレストランのイヌは、プレイベンの1匹だけ。

 ラオスのイヌは、どこのレストランのイヌも穏やかで、手を出すと寄って来て舐めたりする。カンボジアではこの様な事はほとんど起こらない。写真のイヌも、バンビエンと言う外国人に人気の場所。首都ビエンチャンから北に約160キロ、車で2時間ぐらいの町のレストランの居候。他にも2-3匹出入りしているイヌがいて、どれがこのレストランのイヌか分からない状況。みんな仲良く、お客さんなどから食べ物をもらっている。この2匹も、通路に座り込んで、人は除けてくれるものと信じている。

 イヌの性格は、飼い主によく似ると言われるが、ラオス人の性格そのもの。よそから仕掛けられても、じっと耐えて、大きなトラブルを起こさない国である。多民族国家でありながら、それぞれの民族が共存している。最もラオスは山が多く、よそから取り込んでも大変なのかもしれない。多民族国家で、ラ―オ族が60%ぐらい、その他に49民族と言われている。カンボジアは、やはりポルポト時代の影響が残っているのだろうか。

 穏やかな人たちと接していると、気分的に楽になる。それに山国育ちの私には、山が多いと落ち着いた気分になる。野菜も美味しかったし。
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事故のあった橋 

事故のあった橋   2011.2.17.  金森正臣

 昨年の水祭りの最終日である11月22日に、カンボジアでは大きな事故が有った。祭りを締めくくるコンサートが終わったころに、橋の上で370人ぐらいの若者が将棋倒しになり亡くなった。この橋は、メコン川の分流であるバサック川の中島にかけられた橋で、コンサートはこの島で行われていた。

 そもそもこの中島は、数年前まで誰のものか分からない状態であったが、政府の高官が目を付け、奥さんが開発に関わって、新たな街を作り売り出していた。日本でも、信濃川の下流で、どこかの政治家が自分の土地として開発したことが有ったが、どこの国の政治家も同じような金儲けを企むものである。まだ完成していない状態であったが、かなり広い地域で、住宅や各種イベント会場、遊園地などが作られ始めていた。

 事故が有ったことで、中島は亡霊が出ると言う噂も立ち、嫌われ始めている。結婚式場も繁盛していたようであるが、事故後は誰も使っていない。このまま行くと、土地も建物も暴落する危険が有る。事故の調査もそこそこに、亡くなった方には見舞金が支払われ、調査は打ち切りになった。その後、直ぐに事故のあった橋のすぐ隣に、二つの橋を作り始めた(写真:奥に見える橋が事故のあった橋)。事故の反省から、一方通行にする予定だと言う。

橋が出来上がる頃には、皆少しずつ忘れて、土地も再び高値になって行くことであろう。 金持ちはますます金持ちになり、貧乏なものはいつまでたっても貧乏のまま。いかにも発展途上国を代表する橋の工事だ。
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御礼 

御礼    2011.2.11. 金森正臣

 先日は、8回目になる「正臣会」を開いて頂き、有難うございました。懐かしい皆さんにお会いすると、その当時に一気にタイムスリップしてしまいます。最初の頃の皆さんにお会いしてから、既に32年が過ぎ、それぞれの道を確実に歩かれていることを実感して、非常にうれしい思いでした。

 また、最後に近い頃の皆さんも、結婚してお母さんになっておられるのを見て、やはり学生時代を思い出しました。シュクちゃん、マユちゃん子ども連れは大変だったと思いますが、わざわざ来て頂き感謝です。お元気そうで、そしてこれからいろいろな事を経験されるであろうと思うと、「無理しないで頑張ってね!」という思いでした。

 あの後月曜日には病院で検査を受け、手術の後遺症もほとんどなく、問題はなさそうです。先生から「問題無いからガンガンやってください」と妙な励ましを受け、どんな意味だろうと考えたりしましたが、どうやら好き勝手して大丈夫、とのことかと理解しました。と言う訳で、明日カンボジアに戻り、カンボジアでの活動に復帰します。

 発表をして下さった皆さん、有難うございました。計画をして下さった小鹿さん、いつも有難うございます。お陰さまで、皆さんが何を考えて仕事をしているかも分かり、私も励まされます。私も、研究を始めたばかりのころに、信州大学の松本の先生の所に、2ケ月に一度くらい通いながら、卒業生たちの研究発表を聞いていました。様々な人たちが、人生を共有しながら歩けることは、楽しいことですし、発展性が有ります。皆さんと共に歩けることを感謝したします。
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節分

節分   2011.2.4. 金森正臣

 今回の帰国は、かなり忙しく、時間が取れなかったが、2月2日から1泊2日でお寺に修業に行った。1985年ごろから始めた修業は、いまだに目的には遠いようだが、それでもしないよりはした方がまし。

 節分会の夕方、道場にも豆まきが行われた。老師のお孫さんのお嬢さんと坊守様(おばあちゃん)が、廊下から表れて「福はうち・・福は内・・福は内・・」と、福は内だけ。「鬼は外」は無い。以前に老師様の提唱の時に、節分は、鬼さんも困る難儀な日であろう。お寺ぐらいは逃げ込み場所になればと、話されていたことを思い出した。

 家に帰って寝てから、夢の中で一句。
 「節分の 豆食べるのに苦労する 年になりけり わが人生も 
   ワハッハの 福は内」

 お寺で頂いた節分の豆は、昔と異なり意外に歯もろく、食べやすかった。
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