エネルギー問題 7 競争社会を超えて 

エネルギー問題 7 競争社会を超えて 2011.8.12. 金森正臣

 原発に始まったエネルギーの議論を聞いていると、競争社会に特徴的な単純思考が目立つ。競争は、争う項目を単純化し、争う軸を決めないと競争にならない。この様な思考を二元対立呼ぶが、西洋科学や競争社会はこの思考方法で成り立っている。即ち、白か黒かをはっきりしないと良非がはっきりしないから曖昧になり、競争は成立しない。

 日本の本来の文化は、土地に縛られた耕作農業であり、農民は移動が出来ない。そのために一度生まれた所には、いやな隣人が居ても我慢しなければ、生活が出来なくなる。その我慢の方法として生み出されたのがあいまいな論理であり、多神教であろう。多神教は、いろいろな神が居るから、いろいろな理論が考えられ、簡単には結論が出ない。例えば、教育の中でも、価値観の軸をいくつも持つと、いろいろの評価が出来、簡単に白黒が付けられない。子どもの喧嘩を考えてみよう。現在の学校では、危険だという理由で一切の喧嘩がかなり厳しく禁止されている。しかし小学生低学年の喧嘩などは、大事になることは少なく、また長時間にわたりこだわることが出来ないから、いずれ思いが薄くなり仲直りする。この仲直りが重要な成長のプログラムで、成長に従って仲直りの方法が発達する。チンパンジーの行動を研究した、フランス・ドバールは、「仲直り戦略」という本を書いているが、チンパンジーは本来持っている自己を維持するための本能的闘争心は持っているが、争って後で、仲直りをする方法を開拓したために、大きな群れで生活できるようになったことを見つけ出している。それには、騙しや曖昧さが入っており、そのことによって時間を稼ぐと、次第に仲直りが出来るようになっている。子どもたちの喧嘩を厳しく管理すると、仲直りの方法が手に入らない。その結果現在の若者たちは、自分の主張をする方法が分からず、ストレスがたまるし、社会性が低くなる。喧嘩をしないと、仲直りの方法も手に入らない。

 この様に、子どもの喧嘩一つを取ってみても、危険だけに目を向けるか(実際に学校現場では、親から訴えられる場合もあるので仕方がないかもしれないが)、子どもたちの成長に目を向けるかで、判断は大きく異なって来る。西洋に発達した近代科学は(私は法則科学と定義している)、分かりやすく合理性があるが、曖昧な価値観にはうまく適合しない。日本は、近年の100年の間に、西洋科学を学んで大きな物質的成果を得たが、精神的貧しさも受け取ってしまった。最近ラオスの調査で、ラオス国民の持っておる多神教的あいまいさと、精神的豊かさに接した時に、地球上で後500年して、一神教の世界が崩壊した折に、この包容力のある多神教の世界が、共存を可能にするであろうと強く感じた。

 我々も、単純な価値観に縛られてきた日本の価値観をもう一度見つめ直し、複雑な人生の価値観を持たなければならないであろう。人生は生きたようにしか死ねない。成功も、失敗も存在しない。人生の最後の死ぬ時に満足できる人生こそが、豊かな人生であろう。


追加
 最近、忙しさにまぎれて、なかなか書く時間が有りません。でも、カンボジア人の思考の過程を分析し、論理的思考をするための基礎トレーニングなどを試みて楽しんでいます。どうやら日本の小学校でしてきた、生活科の手法を使えば、彼らの頭の中に論理的思考をするためのマップが作れそうです。成功すれば、教育に大きな成果が得られそうですが。現在は順調に進んでいます。
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エネルギー問題 6 原発に関する矛盾あれこれ

エネルギー問題 6 原発に関する矛盾あれこれ 2011.8.11. 金森正臣

 はっきり記憶がないが、かなり以前に、三重県で原発を建設するためのアセスメントが行われた。その際に反対運動をしている方々からの依頼で出かけた時に、いろいろと事情を伺った。町は二分されて、選挙も壮絶なものだったようである。

 アセスメントが不十分なもので有った覚えがあるが、受け入れることによって自治体に多額のお金が流れ込む仕組みになっており、結局はお金の力で動いたように覚えている。今回も福島県には、多額の原発見返り資金が、長年に亘って流れ込んでいるはずである。とはいえ、事故が起こってみると、渡された金額では見合わないほどの被害を被っているであろうと想像される。

 ところが周辺の県にしてみれば、何の保証金もなく、突然に被害だけが及んできたのでは、なんとも不合理な話である。もちろん福島県が被害を受けても良いわけではないが、何のメリットもなく、被害だけを受けた県はやりきれない。

 大体放射能汚染は、その期間の長さと範囲の広さにおいて想像を超えるところが有り、電力会社がある町や県に多額の金を払って建設を認めさせながら、周辺に交渉が無いのは無責任の極みである。今回も住民への補償を優先するために、国の公的資金援助を行い、一企業の尻拭いをするのはいかがなものかと思われる。電力会社全体が、右肩上がりの社会では成り立つが、今後の様に必ずしも成長を続けられない時期が訪れると、必ずしも経営が成り立つとは限らない。最近まで電力会社は優良企業と思っていた皆さん、再考を要するのではないであろうか。そろそろマスコミに振り回されて、自己を見失っている現代社会を改めて、自分の人生を地道に歩く時代が来るのではないであろうか。
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