いじめ問題 5

いじめ問題 5

 

問題の解決について考えてきたが、今後の見通しの私見を述べておきたい。

 

日本の人口が半減したら、大人はもっと自分の生活のために時間がとられ、子どもへの干渉をする時間が無くなるであろう。お金があっても、自分のことはある程度自分でしなければならなくなる。

その結果、子どもは自由になり数百万年の歴史を持つ遺伝子が働き、本来の成長過程に戻るであろう。

 

現在の日本の状態からすると、人口の減少には時間がかかりそうであるが、始まると意外に早そうに思われる。50年から100年ぐらいであろうか。

その間の子どもたちは、気の毒ではあるが、実際には改善する方法は難しい。

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ベニクジャクが咲いた

ベニクジャクが咲いた

 

今朝起きてみると、ベニクジャクの花が咲いていた。

昨年付近の農協の直販所で、200円ぐらいで買ってきた鉢のものだ。忘れられた様に、片隅に置かれていた。

カンボジアでは時々見ていたので、懐かしくなって買った。

以前にゲッカビジンが良い香りで咲いたこともあったが、ベニクジャクにはあまり臭いは無い。

でもなんだか元気が出る。

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いじめ問題 4

いじめの問題 4

 

いじめの問題を、子どもの成長過程から見た私見を簡単に示した。

しかしこの問題の研究はそれほど簡単ではない。

 

問題の複雑さは、学ぶ子ども側にもいろいろが絡んでくる。なるべく簡単にするために、子ども側からだけ見たが、実際には子どもは様々な環境に置かれている。

第一は親や周囲の大人の状況である。子どもが3歳未満でも周囲の大人の影響を受けて、いろいろな学習が進行する。例えば家庭の中で不安があると、いろいろを学習する状態にはならない。小学校の低学年の子どもでも、夫婦が不中であったりすると、不安が大きくなり家から出られなくなったりする。家が流されたり、火災にあったりする夢などを見ている。これは大人が目の前で喧嘩していなくても、起こる現象で、微妙な空気を感じている。この様な状態の子どもは、遊んでいても相手から学習する状態には無い。

 

さらにいろいろな要素が絡んでくるから、簡単に研究が進むわけではない。しかしながら、視点を変えて子どもの成長に合わせた研究がなされなければ、現在の子どもたちの人生は著しく狭いものになる。

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いじめ問題 3

いじめ問題 3

 

少し成長して、相手を意識できる段階。3歳ごろから小学校にあがるぐらいであろうか。友達として相手を意識でき、特定の人物と遊びが盛んになる。

明らかに特定の人物を意識して、遊ぶようになると、トラブルも起きることが多くなり、その調整に苦労する。特に特定の相手との関係が大切になるから、トラブルの修復もそれなりの交渉などが必要になる。

 

この様なトラブルは、修復交渉の方法を手に入れるための時期であり、トラブルが無ければ交渉の方法も手に入らない。現在の日本では、ほとんどが大人に管理されていて、子どもが修復交渉をできる様になることがない。大人になった時の基礎が出来ていないことになる。このたまにいじめなどのトラブルに、自分から対処が出来ない。

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いじめ問題 2

いじめ問題 2

 

子どもの記憶に残らない、3歳以前の問題。

 

子どもの体の成長は、獲得する様々な問題と関連している。1歳終わりごろから同じ年齢の子どもと遊べるようになる。しかし友人と言う感覚は無く、一緒に群れているように見える。

 

この時代の子どもの体の特徴は、まだ様々な関節は成長段階で、極めて緩い。このためにこぶしなどを握っても、硬くは握れない。この特徴が争いの起きた時に、怪我などをしないための特徴と見ることが出来る。また頭の位置は低く、転がっても大きな怪我をすることは少ない。見ていると、ころがるときはコロリと言った状態で、頭に大きな衝撃は無いように見える。

 

この時代には、お互いに自分の思ったように行動する。従って、喧嘩も起き、砂をかけたり、水をかけたりなどすることがある。しかし相手も仕返しをするから、仕返しがあることも次第に理解する。この様にして自分の行動の結果の次第も理解できるようになる。

 

この時代には大きな喧嘩にはならず、いろいろな結果があることを理解する程度であろう。この様な理解が次の段階で役に立ってくる。また乱暴な行いに対して、大人は将来乱暴な人間になると心配することもあるが、そのような結果にはならない。何故ならば、子どもたちはこのころの記憶はほとんど残っていない。またその後に乱暴の影響も残っていることは少ない。

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いじめ問題 1

いじめ問題 1

 

いじめやいじめによる自殺問題は、未だに解決の糸口が現れない。これは対処の根本問題が誤っているからであろう。

大阪府の寝屋川市では、教育委員会とは関係のない場所に監察課を設置し、問題の相談に乗るようになったと言う報道があった。

確かにこれは一つの進化で、教育員会や学校関係の外に出たのはそれなりの効果があるであろう。

しかし根本の問題には至らない、対症療法でしかない。日本の教育問題に関わる人々は、あまりに子どもの成長の観察が乏しい。いろいろの理論の研究も良いが、実戦は子どもの観察から始めなければならない。

 

子どもには、成長の段階によって獲得しなければならない課題がある。これらの段階の分け方は、見る視点によって変わる。

 

大きく分けると、子どもの時代の記憶が残らない3歳以前とその後はかなり異なる。また性ホルモンが働き始める6歳ごろからは、またかなり異なる問題が始まる。

日本の教育の研究者は、あまり純粋に子どもの観察をしたことが無いように思われる。

 

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カメムシの思い出

カメムシの思い出

 

今年はカメムシが大発生と言う。

カメムシには昔苦い思い出がある。

 

大学生の頃谷川岳に、白樺小屋と言う山岳部の小屋があった。もとは谷川岳の東側の一ノ倉の出口にあって、地図にも載っていた。しかし雪崩で流されて、我々の頃(1960年頃)には、南側の谷川温泉の近くにあった。小屋の周りには冬用の薪が積まれており、秋に行くと薪を家に取り込み使うことになる。

 

1年生の時だったと思うが、上級生2人と小屋に行き、薪を取り込んで夜になった。食事を済ませて、寝袋に入って寝ていた。突然ものすごい刺激にあって、眼が覚めた。何と口の中にカメムシが入っていたのだ。

 

カメムシは寒くなって家の窓の隙間などに挟まっており、さらに持ち込んだ薪の間にも挟まっていた。ストーブを炊いて温度が上がり、ものすごい数のカメムシが部屋を飛び回っていた。口をあいて寝ていたらしく、飛び込んできたのであろう。

 

東南アジアでは、カメムシの仲間のタガメを食用にしている。カンボジアではやや大型のタガメであるが、市場やビヤガーデンなどで売られている。タイでは焼きそばなどに粉にして振りかける。カメムシほどでは無いがわずかに臭いがあり、これが庶民に好まれている。

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ホトトギス

ホトトギス2

 

昨日のホトトギスには。平安時代に「ほととぎす鳴きつる方を眺むれば、ただ有明(ありあけ)の月ぞ残れる」と言う歌がある。これは「千載和歌集」に載っている、後徳大寺左大臣の歌である。)

千載和歌集は、平安時代の勅撰和歌集の一つ。更にこれの狂歌として、「ホトトギス 鳴きつる方を眺めれば、後徳大寺の有明の顔」と言うのがある。

いずれも、ホトトギスが夜でも鳴きながら飛びまわるさまを表している。

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ホトトギス

ホトトギス

 

今朝の散歩で、公園でホトトギスの声を聴いた。周囲には中学校の森があり、神社の森もある。今までホトトギスの声を聴いたことは無かった。この時期ホトトギスは、北の繁殖地へ(托卵鳥だから巣は作らない)移動する時期である。

 

菅平にいた頃、カッコウは5月17日に到着するとほぼ決まっていた。天候などが悪いと1日ぐらいのズレは有ったが、ほぼ毎年同じであった。いかしホトホギスは、カッコウよりルーズで、あまり正確には来なかった気がする。懐かしく声を聴いた。

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雨に弱くなった

雨に弱くなった

 

月曜日の雨から、調子を落とし、なかなか回復していない。アフリカ時代は1日の温度格差が30度ぐらい有っても平気だったが、最近は気温差に弱い。これは年による体力の低下であろうと、楽しみながら過ごしている。仕事もなく、休めば良いのだから。

 

時々耳も聞こえ辛くなる。気圧の変化や体調の変化によると思われる。気圧が変わると脈拍が変わり、体調が変わる。それについて行くのにやや苦労することもある。生きているといろいろ色変化があり、対応するのに工夫がいる。散歩をしながら、鳥などの声を聴き、自分の調子を見極める。遠くから渡ってきたオオヨシキリなどの声を聴くと、カンボジア時代を思い出す。ホテルの脇のヨシ原にいて、いつも聞いていたから。その声の聞こえ方によって、調子を知ることもできる。ボチボチ行くのが楽しい。

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