第17回「正臣会」御礼

第17回「正臣会」御礼      2020.01.29.

多くの方にご参加頂き、有難うございました。
私が愛教大に赴任したころの1年生の方も、そろそろ皆さん定年を迎えられるようで、時の経つのを感じます。
いろいろな場所でお知り合いになった方々も久しぶりにお会いし、懐かしい思いを致しました。

私も80歳になり、体力も衰えてきました。それでも皆さんにお会いすると何となく元気になり、ありがたい限りです。これからも皆さんに押されながら、もう少し頑張って行きたいと思います。

管理職になられて、子どもたちの問題に向き合う先生方の難しさのサポートに困られている方もおられるようです。愛教大に赴任してから、不登校の子どもや臨床心理士を目指す皆さんと活動するうちに、無意識の心理学などを学びました。問題によってはお手伝いできることがあるかもしれませんので、連絡をください。

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第17回 正臣会

第17回 正臣会
今年も第17回になる「正臣会」を開いて頂くことになりました。
開催日は、1月26日(日)13:00から、安城市民交流センターです。

今年は国際理解のための様々な文化の原点についてお話したいと思っています。
だいたい以下のような内容を考えています。

国際理解のための自然環境と文化

各国の文化は、自然環境に依存している場合が多い

ヒトの生業と自然環境の関係 
生業 狩猟採集(豊かな自然で発生?)
   遊牧と栽培農業への変化
   遊牧文化(乾燥地への適応)の家畜との関係 ヒツジ・ヤギ ウシ ウマ トナカイ
   農耕(雨量、温度) ムギ コメ トウモロコシ ジャガイモ タロイモ キャッサバ その他 

遊牧 移動 クルド人(謝罪しない文化)
農耕 移動できない 余剰のエネルギーと文化(4大文明と墓) エジプト

ヨーロッパ文明と日本の文化
韓国の場合 農耕の上に遊牧文化 歴史的問題

 

情報は「正臣会」のホームページをご覧ください。

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ヒトの家畜化  11 言葉の退化から見る感謝の減少

ヒトの家畜化  11 言葉の退化から見る感謝の減少

最近気になるのは、若者を中心とした言葉の省略である。これはデジタル化の波に押されて、言葉が省略されているのと無関係ではない。加えて、様々な体験が無くなり、言葉が実際の体験と結びついていない。これはヒトの作った環境による言葉の退化と見ることが出来る。

良く聞く言葉は、「べつに」、「むかつく」、「わーい」などなんとなく内容は分かるが、詳細はほとんど伝わらない。更に感謝の言葉になると、ほとんど聞くことがなくなった。自分が人から何かを貰たり、してもらった際に、「わーい」、「うれしい」、「やったー」などと自分が喜んでいることを示して、感謝の言葉は述べずにいる若者をよく見かける。これには体験が大きく関わっていると思われる。

我々の子ども時代には、いろいろな物が不足し、頂く物は何でも嬉しく、「有難う」、とか「すみません」などの感謝の言葉が最初に出た。自分の感情を表すとすれば、その後のことである。現代は物がありすぎて、貰っても当たり前の雰囲気があり感謝よりも自分の感情だけが出ている。これは感謝の感情が少なくなっていることを示していると思われる。この問題は単に本人の感謝の気持ちだけでなく、人生においての幸福感と関係する。感謝の気持ちが無いと、幸福感とは縁遠い人生になる。どこかの大国の大統領は,金持ちで自由に振舞っているようであるが、貧弱な人格と感謝の気持ちが無いことが表れており、まったく気の毒な人生である。すぐに感情的になり相手を攻撃し、話をする仲間は欠如している。外見上は大統領で成功者の様に見えるが、人生では気が休まることのない哀れな存在である。

現代の社会はあまりにも恵まれすぎており、苦労することが少ない。また予定されたことばかりで、不測の事態に対処する努力はほとんどない。苦労することの大切さを宮沢賢治は、「雨にも負けず」の中で示している。

現在人生を送りつつある皆さんも、感謝の気持ちが持て、人生を幸せに送ることが大切だと思われる。これはだれの問題でもなく、自分の問題であるから。本当の感謝の心を持つには、困窮しているときに助けられた経験が必要のように思われる。学校教育の中の道徳などで得られる知識は、本当の感謝の気持ちには結びついていないように思われる。真に感謝の気持ちを経験している人には、道徳教育も役に立つのであろうが。

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新年のご挨拶

新年のご挨拶

「めでたさも 中くらいなり おらが春」と詠んだのは、小林一茶翁。年を取るとそんな気分の新年です。

テレビも新聞も、最近のマスコミは、目立つことや注目を集めることに終始し、ヒトの本来の姿とは遠くなりつつあります。それも自然の姿の一端ではあると思われますが、このような傾向に流されていると、本来の自分を見失うことになり、人生の終わりに大きな悲しみを背負うことになると思われます。
かつて評論家の大宅壮一さんが、テレビが普及し始めたころ、「一億総白痴(差別用語として最近は使いませんが、当時のままに再録しました)化だと」と嘆いていたが、現在は現実のものとなっています。

また西洋的教育論による現代の教育は、二元対立でものを考え、ヒトの持っているあいまいな重要な部分を忘れています。

今年は、「我 唯 足る 知る」と言う日本的知恵に従って生きたいと思っています。
これは地球環境にも考慮した先人の知恵で、自分の人生を幸せにする知恵でもあると思います。

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