カンボジアのトイレ事情 2

カンボジアのトイレ事情 2             2008.8.25 金森正臣

写真2:あるレストランの壊れた西洋式の便座。便座の下の淵に靴の跡が見えるから、カンボジア人はこの上に乗って用をたす。プラスチックの便座などでは、すぐに壊れる。
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カンボジアのトイレ事情

カンボジアのトイレ事情                2008.8.25 金森正臣

 これは来週ぐらいに発行される、カンボジア日本人会の会誌に書いたものです。

 先日の保険医療関係者の会合で、カンボジアの地方に行くとトイレが無いことが話題になった。1999年3月に調査に入った時に、バサック川岸にあったホテルに泊まっていた(このホテルは後に、焼き討ちにあって現在も復旧していない)。散歩の途中に対岸の家が、高床式になっているのが気になっていた。乾季で川の水面までは、数メートルもあり、斜面は野菜畑になっていた。毎朝川から水をくみ上げて散水しているのを見ながら、結構勤勉な人たちであると思った。次に来たのは同じ年の11月。雨季の終わりで川の水は高床式の家の下にまであり、船で出入りしていた。この時朝には子どもが、家の脇の張り出した板の上で朝のお勤めを果たしていた。プレイベンの南の方に行った時も、雨季であったから全面水浸しで、集落が島のように点在していた。この状態では、トイレを作っても意味がないだろうと思われた。コンポントムのメコン川の影響の無い地域でもトイレはなかったので、結構カンボジアの一般的傾向のように思われる。

 カンボジアの農家でも、トイレがあることがあるが、屋外の屋根の無い簡単な床に穴が開けられており、下を掘っただけの浸み込み式。エジプトでも浸み込み式であったが、年間降水量が5ミリメートル以下の乾燥世界で、衛生上は特に問題を感じなかった。でもカンボジアのように、雨季があり、年間降水量が1000ミリメートルを超える世界では、衛生上問題が生じる。トイレの周囲もズタ袋が吊るされている程度。上半身は見えたりする。1980年ごろ韓国に行った折に、田舎の家のトイレは、入り口のドアの板は、膝から肩ぐらいまであるだけで、上と下が透けている。連れて行った学生は、夜までトイレに入ることができなかった。日本人の羞恥心感覚としては、トイレで尻が見えるのはいかがなものかと思うが、中国の田舎にもこの様式があると聞いている。入っていることが一目瞭然で、合理的システムではある。普通の生理現象と思えば、さして問題になることではないのかもしれない。この様な隠さない風習では、日本のどこかの有名大学の教授が、電車の中で女子高生のスカートの中を盗撮したと言う問題も起こらないであろう。最近のプノンペンでも、散歩の折におばさんがワットランカーの壁と道路の間で(1.5メートルぐらいしかない)、用を足しているのを見たことがある。また地方に出ているとバスが田舎道で止まって、トイレ休憩をしており、若い女性もその辺の藪の中でクロマーを巻きつけただけでしている姿を見かける。同じ様な光景は、東アフリカのウガンダでもしばしば見ており(クロマーの代わりにカンガと言う布を巻く)、羞恥心感覚はかなり日本人と異なっている。どこでもするのが、本来のカンボジア方式なのであろう。日本でも昔は、お婆さん達が道端で立小便などをしており、結構どこでもしていた様に思われる。カンボジアのトイレは、だいたい入口のドアに向かって座り込むようになっている。日本のトイレの多くは、入り口からは側面が見えるように座ることが多い。金隠しが無いカンボジアのトイレは、ドアを開けられれば真正面から向かい合うことになってしまう。この様なことにも、羞恥心の差が表れているのかもしれない。

 個人的には、広い場所で伸び伸びとするのが好きで、雪隠詰めと言われるような狭いトイレでするのは好きではない。立小便なども、高い崖の上からして霧散するのを見るのは気持ちが良い。しかし風向きを間違えると、霧が自分にかかってくるから要注意。広いのが良いからと言って囲まれているトイレが、あまり広いのも落ち着かないものである。昭和30年ごろ東京にあった従兄弟の家は、昔風の武家屋敷で、トイレの広さが8畳ほどもあり畳の間。中央2畳分ぐらいが、板の間で中央に穴が切ってあった。勿論便器は板作りである。立派な床の間があり、長押(ナゲシ)には、6尺ほどの短めの槍がかけてあった。このトイレは立派過ぎて、中央で踏ん張ってみても寄り付くところも無く、庶民には落ち着きが悪かった。

 カンボジアの地方でも比較的裕福な家には、囲いがあり屋根の付いたトイレがある。多くはシャワー室と一緒になっており、脇に水槽やカメに水が有り、お尻を水で洗ったり、排泄物を流したりする。この便座は陶器製が多く、金隠しが無い。周囲が水を流せるように作られているから、飛散するのは問題にならない。日本のトイレでは、金隠しが全て付いている。高校時代の授業中、柔道部の厳つくてソソッカシイのが、先生の許可を得てトイレに行った。まじめな男なのになかなか帰ってこないので、先生が心配して見に行かせた。級友があわてて帰って来て、彼がトイレの中で気を失っていると言う。教室の入り口の戸板をはずすヤツもいて、みなで救出に行った。よほど急いでいたのか、陶器性の金隠しに急所を力いっぱい打ち付けて気を失ったらしい。昔の日本では、板で作られていることが多かったが、田舎ではあったが高等学校は陶器製の便器であった。金隠しは飛び散らないように工夫された結果であろうが、無いほうが安全である。

 カンボジアでも、最近西洋式のトイレが増えている。私のいるところでも2001年にJICAが建てた建物は、西洋式である。しかしカンボジアの人には馴染みが薄かったらしく、男女とも便座の上に乗って用を足す学生が続出。靴の跡が付いている便座は間も無く壊れた。最近、幹線道路沿いに出来たサービスエリヤごとき場所の、トイレの便座が壊れているのをしばしば見る。まだ一般的には馴染みが無いのか、便座にお尻を付けるのに抵抗感があるのだろう。

 どこの世界でも、最初からトイレがあったわけではなく、定住するようになってからトイレが出来たのであろう。アフリカの原野で調査中は、いつも野外トイレで、パンガと呼ばれる山刀を持ってトイレに出かける。穴を掘って座り込み、周囲を用心したり、眺めを楽しんだりしながら用を済ます。日が昇ってくると、すぐに昆虫が活躍を始めるから、その前に済ますのが良い。ある時用を済ませて、紙で拭いたらミツバチが尻のあたりにいて刺され、数日痛みがあった。その後は、用便には殺虫剤を持ち歩いた。カンボジアでは良く、水があって尻を洗うようになっているが、あの方式は結構気に入っている。痔にも良好であるし、衛生的である。しかし日本人はあまり慣れていないのか、野外調査で缶詰の空き缶を渡して、トイレに行ってくるように指示したら、帰国してしまった学生がいると嘆いていた京都大の先生がいた。この様な場合に、女子学生の方が強く、だいたい帰るのは男子学生だと言う。日本では、母親が強くなって、男の子をいじりすぎるので、この様な結果になるのであろう。

 人間の大きな方はいろいろな部族で、リサイクルされることが多い。カンボジアでは、水上生活者が、養魚をしている場合があると聞いているが、実際に見たことはない。1980年ごろに韓国の済州島に行った時には、石垣で囲まれたところにブタがおり、角に板が渡されていて、その上でするようになっていた。大きな黒いブタがいて、立ち上がると尻をなめられそうであった。尻を拭くのを兼ねているかは不明であった。友人が調査していたタイの山岳部族でも、高床式の家の中からすると、ブタやニワトリがきれいにするので下は汚れないと言っていた。トイレ事情も、時代や場所によって様々である。

 動物が生まれたら必ず死ぬように、食べれば必ず排泄しなければならない。排泄行動の特徴は、肉食動物と草食動物ではかなり異なる。繊維質を主体の草食動物は、極めて簡単で、ほとんど苦労なく排泄する。例えば、ヤギやヒツジ、ウシなどは、食べ始めるとボロボロと歩きながら排泄する。アフリカゾウなども極めて簡単で、歩きながら10kgを超す大物を落として行く。硬さは半端ではなく、つまずいたりすると捻挫しそうになったりする。背の高い草原は、歩きにくいのでゾウ道を使うことが多いが、彼らの糞には注意を要する。この繊維ばかりの塊を好んで食べるシロアリの仲間は、あの小さな体ながら一晩ですべてを地下に運び込むこともある。その後巣の中でゆっくり楽しんでいるのであろう。カバは排泄の時に、あの短いシッポで糞をまき散らす。チンパンジーを追いかけて、川岸のやぶの中を通り抜けた時に異様な臭いがした。その時は追跡中で忙しかったので気に留めなかったが、後から気がつくと体中に臭いが浸ついている。どうやらカバが、陸上で排泄した後の藪を通ったらしかった。草食のカバは、ひどい臭いでは無かったが、古漬けの臭いに似ていた記憶がある。肉食動物の排便は簡単ではなく、背を丸めて必死になっている様子がうかがえる。簡単には出ないからかなり力を入れて、数分かかることもある。イヌやキツネ、ネコはこの類で、終わるとほっとしたような表情で地面をかいている。ハイエナやヒョウ、ライオンも簡単ではないらしく、苦労がうかがえる。この瞬間に他から襲われる危険が高いのか、よく見通しがきく場所でするのが一般的である。他を警戒しながらして、危険であれば中断もありうるのであろう。人間でも肉食の多いヨーロッパ人は、直腸癌が多く、野菜食の多い日本人などに胃癌が多いのと対照的である。消化しやすい肉食では、吸収も良く排泄物が硬くなるから直腸に負担がかかる。消化に時間がかかる植物食では、胃に負担がかかり胃癌が多い傾向がある。食べる物によっても、排泄にかかる時間や行動が変わってくる。西洋人は、体重が重いうえに時間が長く足がしびれるから、座席型を考え出したのだろうか。農耕民で植物質を沢山摂るカンボジア人に、西洋式便器に馴染みが薄いことは仕方がないかもしれない。


写真1:カンボジアのトイレの便座。金隠しは無く、入り口に向かって座るようになっている。左側に水槽が見え、ここから水をくみ出して尻を洗ったり、流したりする。
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クメール人のオッパイ               

クメール人のオッパイ               2008.8.20. 金森正臣

 これは4月ごろに、カンボジア日本人会の会報に書いたものです。

 乳房は本来、哺乳類が子どもを育てるために発達した。起源的には単孔類(カモノハシ)と同じ様に汗の腺が発達したものと考えられている。しかし様々な変化があり、出産する子どもの数に応じて、数が決まっている傾向にある。付着する位置も、胸部(ヒトや多くのサルの仲間、ゾウなど)、腹部(ネズミ類やブタ)、鼠径部(ソケイブ:もものつけね)(多くの蹄のある動物)など様々である。

 動物は普通、発情期があり、セックスは子孫を残すためだけに行われる。しかし、ヒトとピグミーチンパンジーだけは、発情期が外見的には不明になり、いつでもセックスができる状態になった。この2種類に関しては、セックスは子孫を残すためだけではなく、個体間のつながりを保つための要素になっている。ピグミーチンパンジーでは、乳頭が発達していないから、ヒトだけが、異性を引き付ける役割を乳頭の発達に求めたのだろうか。立ち上がっているので、前面に出ていて目立ちやすいことからであろう。

 アンコールワットを見学していると、多くのデバータやアプサラ(女官や舞姫)の彫刻に出会う。いずれも上半身は衣類を着けず、立派な体格と豊かな胸をしており、クメール人がこの様な人々であったろうと想像される。体格は太く短く、がっしりした骨盤の張った安産多産型であり、現在のカンボジア人にもこのタイプは多い。
 現在のカンボジアの女性も、胸が立派である。日本人に比べて、オッパイの立派な女性の割合は、はるかに高い。その上に、より強調するために、ブラジャーに厚いパットを入るからますます、立派に見える。あまり女性の下着売り場などを見ないから、日本人がどの程度の増量を試みているかは知らないが、カンボジアでは市場の目立つところに置かれているから、嫌でも目に付く。身長に対する胸囲の大きさは、カンボジア人の方が上であると思われる。

 少し下に目を移すと、30代に入るとカンボジア人はお腹も立派で、オッパイ以上に出ている。したがって胸が大きな割には、目立たない。だいたい途上国では、飢えから解放されて食料が十分になると、肥満化が加速する。アフリカの多くの国々では、まずお巡りさんが肥り出す。小遣いがせしめられる様になり、食い気に走るからであろう。カンボジアも例外ではなく、数年前に比べるとプノンペンでは明らかに肥満が増加している。

 女性が胸を強調するのは、現在は男性に対する性のアピールである。進化史的には子どもを育てられる象徴としての意味があったであろう。人口乳なども発達して、胸の大きさは必ずしも子孫繁栄を意味しないが、男性の価値観が置換されて乳房そのものに引かれる傾向がある。乳房の大きさは、乳量と比例しないのは、動物の一般的なもので、飼育したことのあるヤギ・ヒツジ・ウシなどでも乳房の大きさと乳量は比例しない。むしろ精神的安定の良い母親は乳量が多い。サルなどでも、乳房の発達は著しくなく、オスを引き付ける役には立っていない。人類は直立して前面が相手に直接見えることから、かなり特殊な方向に進化したと言える。ヒトの乳房は付く位置にも特徴があり、成長すると普通はやや脇に向いて付く。たぶん4足歩行の時代に脇に向いていた方が、授乳し易かったからであろう。多くの動物でも乳頭は外に向いている。ブラジャーなどで矯正して無理やり正面に向けているのは、なんだか無理が有る様に感じる。デバータやアプサラも乳頭が正面を向いているから、この位置の方が、若く美しく見えたりするのだろうか。とすればやや外側を向くと、あまりにも機能一辺倒で、異性を引き付ける魅力に欠けるのかかもしれない。

 人類学的には、それぞれの人種ごとに形態はかなり異なっている。成長するに従って性ホルモンの増加と共に発達し、出産を繰り返すとさらに発達する。一般に白人は、体全体が大きく、胸の発達も良い。黒人は、さまざまに分化しているが、乳房は発達し長くなる傾向にある。授乳が進むとますます長くなり、本人が乳頭を直接口に持って行けるのは、黒人ぐらいであろう。アフリカで使っていたトラッカー(原野で動物を追跡するために雇う現地人)は26歳であったが、その母親はまだ出産を繰り返していた(私が知っているのは16人目の子ども)。トラッカーの子どもがおばあさんの子ども(おばさんに当たる)をあやしていた。この母親は、乳房が30センチ以上あり、左右で結ぶことも出来たし、肩に担ぐことも出来た。靴下状に長く、先端だけに血管が発達し機能していることを示していた。白人の乳房が大きいからと言って、この様な方向に成長した例は見られない。黄色人種は、一般には白人や黒人より胸が小さい傾向にある。これは環境(摂取できる栄養状況など)によるものか遺伝的なものかは明らかではない。

 カンボジアの地方では、まだ時々授乳を人前でする光景を見かける。昔の日本を見ているようで懐かしい。3月にプレイベンに乗り合いバスで出かけた時に、小さな子どもがぐずりだしたら、若いお母さんが大きなオッパイを出して授乳を始めた。ハイエースクラスのワンボックスカーに26人も乗っており混んでいるから周囲のおばさんが荷物などを持ってやってようやく授乳が可能になった。しばらくすると子どもは幸福そうな眠りについた。おばさんたちは、子どもを覗き込みながら何か大笑いをして楽しそうだった。いつからブラジャーをするようになったのか知らないが、アフリカでは今でも上半身は覆わない、スワッジランドやモシなどの部族が見られる。だからと言って特別に性的なマナーが低いわけではない。ヨーロッパの中世の絵画を見ていると、若い娘さんがオッパイ丸出しでパーティーの接待をしていることがある。隠すことにどの様な意味があるか不明である。
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カンボジア人の音楽感覚  

カンボジア人の音楽感覚              2008.8.13. 金森正臣

 カンボジア人の音の感覚は、かなり悪いように思われる。私は、ある時期から西洋音楽よりも、音が複雑に混じっているインドのタブラ(手で打つ二つ一組の太鼓)やサロード(ヒョウタンを胴にした弦の多いギター?)、津軽三味線などに魅かれるようになった。ピアノの澄んだ音が好きだった時期もあるが、複雑に混じりあった音や割れた音の混じる感じになじみ深い感覚がある。この傾向は、アフリカの生活で、たまたま集落の近くでキャンプすると遠くから聞こえてくる太鼓などを聞くことによって一層強まった。

 カンボジアでは、いろいろのところで音楽が流れる。つい最近も家の近所で、結婚式があり、早朝5時ころから音楽やお経が流れた。結婚式には坊さんを呼んで、儀式があるが、多くは雑音の多いテープで間に合わせている。大音響であり、スピーカーが上等ではないから、音が異常に割れる。ピアノの音が好きだったころに、スピーカーを買おうとしてしばしば秋葉原でいろいろ聞いて回ったことがある。低音のスピーカーと高音の組み合わせが難しく、なかなか気に入ったものがなかった。カンボジアのスピーカーは、高音と低音の組み合わせが悪く、音がまとまらない。それでもお構いなしに、大音響で流す。近所迷惑だが、だれも文句を言わないのが、カンボジア流。

 生バンドを売り物にしたビヤホールなどでも、音の割れた大音響が流れている。カンボジア人は、結構好きらしく、彼らのパーティーに呼ばれるとしばしばこのようなホールに行く。できるだけスピーカーから外れた場所に座るようにしているが、話も十分にできない。スピーカーに近かった時には、振動で気持ちが悪くなり逃げ出したことがあった。複雑な音が良いからと言って、スピーカーの音の割れている状態は好きではない。

 カンボジアにも、津軽三味線よりも竿の長い三味線のような楽器があり、老人が奏でていることがある。シェムリアップでは、バンティアスレイやタブロームの入り口で聞いたことがある。我々の感覚からは、テンポもバラバラでやや調子が外れていて悠長であるが、趣があって結構な音楽だ。老人たちの調子の外れた節回しも、それなりに人生が感じられて好きだ。
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久しぶりに散歩 

久しぶりに散歩                    2008.8.7. 金森正臣

 昨日、久しぶりに朝の散歩に出かけた。けがをしてから丁度1年1ケ月ぶりである。もう年だから、ビハビリで失敗したくないので、ゆっくり安全にしているから時間がかかる。体力が出てくりと自然に歩きたくなるので、それまで待っていた。ここのところ忙しく、散歩に行きたいと思いながら、なかなか始まらなかった。

 以前よりやや短いコースで約3kmを歩いた。相変わらず公園では、羽根をけっているグループや太極拳、ダンスなどをしているお馴染みの顔も見えた。

 午後になって急に予定が入り、今日はゆっくりする予定が、超ハードスケジュール。体力が持つかと心配しながら、仕事が終わったのは暗くなった7時近く。もう夕食を作る元気はなく、外食。家に帰って少し休んだら、体力が余っていることが判明。少々体に痛いところがあるものの、元気に就寝。今朝も昨日の残りがあり、早起きで仕事をしたが、それほど疲れていないので、かなり体力も回復してきている。

 写真は、朝の散歩で見た火炎樹の花。この花は、雨期に入るとかなりバラバラとあちこちで咲き続ける。
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近況

近況

皆様ご無沙汰しております。
日本も今年はことのほか暑いようですね。
カンボジアは、逆に涼しく快適です。毎晩30度を切り、明け方には27度ぐらいです。窓を開けていると快適です。

最近忙しさが増し、まともに書いている時間がありません。また勤め先に、ネットが無いので、カフェーに出かけなければならず、週に一度程度です。

裏方の仕事が多く、中学校教員養成校の理科室の建設のお手伝い。これは大使館でしている「草の根」で、カンボジアの先生は理科の実験室など使ったことが無いので、いろいろお手伝いです。カンボジア側から要請することになっており、質問への回答もカンボジアの人がしなければならないので、なかなか思うようには進みません。また、大使館から推薦する大学院、大学、高専の学生の専攻などや小・中教員養成校に入れる理科の機材や次のプロジェクトへの提言など、勤め先の教官を指導することより、雑用が多くなっています。

ご無沙汰しておりますが、とにかく元気にやっています。出来れは9月に一度日本に帰り少し休みたいと思っています。
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