世界は怒りに満ちている

世界は怒りに満ちている

 

今日も高校生が人を切りつけた事件が報道された。また、病院で親族に切りつけた事件もあった。日本人は、どこかで狂いだしている。

この様な異常な世界で、問題になるのは、怒りの世界であろう。多くの人は、周りに怒りを起させる原因があると考えている。

 

江戸時代に静岡県沼津市に、白隠禅師と言う坊さんがいた。ある時江戸から武士がやってきて、地獄は本当にあるのかと聞いた。白隠は、武士が地獄を怖いのかと言って嘲笑った。武士は怒って刀に手をかけた。そこで白隠は、それ、それが地獄よと言った。即ち、怒りこそが地獄であると言って教えたのである。

 

この話の意味は大きく二つあり、怒りが地獄であること、怒りは自分の中にあるのであって外にあるのではないと言うことである。

 

皆さんも怒りが起こってきたら、自分の中をよく見る必要がある。一見外からの理不尽に怒っているようであるが、実際には自分の中の問題である。誰にも個人の中の怒りを消すことは出来ない。出来るのは自分だけである。怒りが起こってきたら、自分を見つめるしか方法はない。自分のこだわりを見つめることである。

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荒れた社会を生き抜く

荒れた社会を生き抜く

 

現在の日本の社会は、荒れている。お互いに相手を攻撃し、非難しあう。心の休まることが無い。

 

いろいろの物事は、様々な見方があって、常に様々な問題を含んでいる。だから誰かが非難しようと思えば、常に問題は出てくる。

時々書いているように「機心」は、その出発点を示して居る。即ち、「機心」に心を奪われると、効率と競争にとらわれる。その結果は、競争に明け暮れ、効率にとらわれて、自分が本当にしなければならないことが見えなくなる。

 

今の日本人は、自分のすることを見失い、人のしていることを見ていることが多い。ラクビ―、野球、バレー、テレビと見ることには事欠かない。しかし実際にプレーをしている人以外は、自分の人生のプラスにはならない。感激している様であるが、実施の人生は動かない。

 

この荒れた社会の中を生き抜くには、自分の心の安定が不可欠である。テレビでも良く安眠の広告がなされている。マットとか薬とかに頼ることもある様だ。しかし実際には安定した心が無いと、安眠は難しい。まず自分の心の安定を取り戻すことが、最初の課題であろう。皆さんは何を努力しているのであろうか。

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山の遭難

山の遭難

 

今年は山での遭難が多いような気がする。特に北アルプスでの遭難が良く報道される。場所を見ると、かなりの経験者のコースが多い。

 

大学山岳部の訓練コースのような場所で遭難している。年齢も中年から結構高齢者が混じっている。山は少し上級コースになると、少しの誤算が遭難につながる。我々も合宿の時などは、ほとんどアルコールは飲まなかった。少し体調が変化すると、バランスが悪くなるからである。特に岩登りなどをするときは、アルコールは飲まなかった。

 

遭難者の多くが、奥穂高岳や北鎌尾根などかなり高度な場所で遭難している。自分の年齢や体力の変化を十分に考慮して計画しているのであろうか。救助に行く捜索隊も命がけである。

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クマのニュース

クマのニュース

 

最近各地でクマと遭遇したと言うニュースが目立つ。まだ秋の実りには早いような気がするが、事故も起きている。本州のクマは、ヒグマと違い肉食性は強くない。しかしツキノワグマでも、体重もあり力も強いから衝突すると怪我をする。

 

個体数が多くなっているのか、人里で見かけられることが増えている。最近も家の近くで夫婦が襲われてけがをしている。昔から人里に出ているクマは、ある程度の緊張感を持っているから、出会うと事故になる。足も速いし力も強い。

 

これから山のブナなどの実が少ないと、人里に出る可能性が増える。十分に用心して事故を防ぐ必要がある。

 

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子どもを育てる自然

子どもを育てる自然

 

子どもを育てる自然は、難しいものではない。しかし現在では難しいかも知れない。

いずれも人の進化の中で、普通に存在してきたものである。

 

暗闇の焚火

子どもたちと野外でキャンプをしていたころ、結構夢中になっていたのが、闇夜の中の焚火である。子どもが主体的に遊べるようにしておくと、長い間夢中になっている。

 

水遊び

水遊びは、子どもが小さい時から長い間取り組む。例えば机の上のコップの水を移したり、紅茶を机の上で引き回したりする。少し大きくなると外の水溜りで遊ぶようになり、やがて泥が入ったりする。この遊びは毎日するわけではなく、体調や気分によって変化がある。

 

食事つくり

作ることも食べることも、子どもは大好きである。しかし大人の干渉が無くできることは少なく、それによって意欲が変わる。楽しければ、色々と工夫し、いろいろな体験をする。

 

基地造り

家の中でも野外でも、自分の隠れ家を作るのは大好きである。特に大人に隠れてすることは、子どもたちの意欲を掻き立てる。

 

以上のような要素を、子どもたちに与えることが出来ると、子どもたちの意欲が掻き立てられる。その意欲によって、子どもたちは生きる知恵を獲得して行くと思われる。

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日本の異常

日本の異常

 

愛知県で中学生の娘が母親を刺殺す事件があった。奈良県では子どもが親の虐待によって死んだ。この様な状況は社会として異常であるが、多くの人が日常として受け止めている。子どもの虐待も毎年増加して、今年も過去最多を記録している。

 

この様な状況にあっても、文科省や子ども家庭庁は、対象療法しか気が付かない。何のための省庁なのか疑問に思われる。子どもの成長には、人だけが関わっても旨く行かない。ルソーは、自然から大きな教育が得られていることに注視している。

 

私も学術会議の第18期の自然保護研究連絡員会に属していた時に、「自然保護の新しい考え方」(2006 古今書院)の中に、子どもの成長が自然によって助けられていることを書いた。子どもは人との関係だけでは、正常に成長しない。これらの基本的事項に目を向けなければ、今後もその都度の対症療法に終始するであろう。

 

文科省や子ども家庭庁は、子どもの観察をすると同時に、基本的事項を見つめ今後の社会の基礎を作らなければならない。

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基本を読む 2 柳宗悦

基本を読む 2 柳宗悦

 

自分の人生を考えると、人生の基本に接するものを読むことが重要になる。老荘思想や鈴木大拙博士の「機心」の話は、そのような例の一つと思っている。しかし老荘思想などは、なかなか読むのが難しい。

 

民芸で知られている柳宗悦は、民芸だけではない側面を持っている。彼の著書に「南無阿弥陀仏」(1986 岩波文庫)と言う本がある。この中には棟方志功作品が載っている。棟方が柳を師と仰ぎ、彼の著書のために彫った作品が載っている。インターネットなどでも棟方のことが紹介されているが、彼が柳を師と仰いでいたことは書かれていない。

 

柳宗悦は「民芸」で知られている。しかし彼の民芸を見る目は、宗教的感性によって裏付けられていることはあまり知られていない。彼は二次大戦の最中に、朝鮮の焼き物について高い評価を与えている。それは後に発行された「南無阿弥陀仏」によって知ることが出来る。この本は、戦後にいち早く時宗の開祖「一遍上人」を紹介したものである。

 

一遍上人の「一遍上人語録、付播州法語集」(1985 岩波文庫)も難しいところもあるが、短編が多く理解できるところもある。人生を考えるには、この様な基本的なものを読む必要がある。

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山の思い出 3

山の思い出 3

 

最近テレビで、富士山に三浦雄一郎氏が登ったことが放映された。90歳になる彼は、足を悪くしていて、車いすで登っていた。私が三浦雄一郎氏を初めて見たのは、富士山であった。

私は富士山には2回しか上ったことが無い。

 

1回目は、大学2年生だった11月、1960年11月19日、死者11人の遭難があった。大学の山岳部が絡んでいたので、わが山岳部も先輩3人と救助の応援に行った。富士山の大沢崩れの7合目付近から雪崩が起き、登っていた者が巻き込まれた。捜索は雪崩の末端部で、鉄の長いゾウデを使って刺して探す方法であった。

 

捜索が終わった翌日に、4人で富士山に登った。大沢崩れの左岸(下から見て右側)の天狗尾根を登り、最後は氷の原をアイゼンで登った。快晴で風も少なく、遠くまで見えたことを覚えている。帰りに大沢崩れの9合目付近から、豪快にスキーで滑り降りる人物を見て、驚いた。後に北大からきていた三浦雄一郎と言う人物だと知った。彼がまだプロスキーヤを名乗る前であったように覚えている。

 

二回目の富士山は、北欧家ら来た若者で、日本山学会から頼まれた。先輩ひとりと同行したが、全く言葉が通じず。珍道中であった。

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山の思い出 2

山の思い出 2

 

夏にはよく山の景色がテレビに出てくる。

先日も、北アルプスの最深部の黒部の奥が映し出された。我々が歩いた60年前とはかなり様子が異なっていた。番組では、黒部の上流部でイワナを釣ると言う番組であった。富山県側から薬師岳に入り、薬師沢を下りて黒部川に入るコースであった。私が歩いた頃には、この様なコースは無く、薬師沢に降りたところにも小屋は無かった。現在は立派な小屋があり、宿泊ができる。

 

我々の頃も、黒部川の上流部にはイワナが多く、よく釣って食料にしていた。現在もイワナは多く、よく釣れて、レリースしていた。歩くコールもそれなりに整備されていた。

 

更に黒部川を奥に入ると、雲の平に出る。雲の平も映されていた。板敷きの歩道が整備され、高山植物が荒らされないようになっていた。我々の頃にはどこを歩けばどこに出るのか不明で、地図と磁石が頼りであった。雲の平にも小屋が出来、安全になったと思われる。

 

雲の平から行く黒部の最上流部の温泉も、残っていた。我々の頃には小屋などなかったが。北アルプスの最深部の、大きく変わってきている。しかし登山者が多いのか、山での遭難も多くなっている。

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山の思い出 1

山の思い出 1

 

夏のテレビ番組では、各地の山の映像が放映される。

最近では、新潟の八海山(1778m)が写っていた。30歳になるころに調査のために歩いた思い出がある。

 

印象に残っているのは、岩山をトラバース(横断)している時に見た、モンゴリナラである。豪雪地帯で岩の斜面を雪が流れ落ちるのであろう。しっかりと岩にしがみつき、細い幹を懸命に保っているように見えた。

 

もう一点は、頂上付近にあった池塘である。何も栄養源のなさそうな狭い池で、沢山のヒキガエルのオタマジャクシが泳いでいた。中を見ると産卵にきて死んだヒキガエルの親が、3-4匹餌になっていた。貧栄養の狭い池で、多くの子どもが成長できるのは、親が沢山の栄養を抱えて池に戻るからであろう。

 

自然の循環を見たような気がして、印象に残っている。

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