ご無沙汰しました 「正臣会」を今年も開いていただきます

ご無沙汰しました 「正臣会」を今年も開いていただきます

 

もう18回目になる「正臣会」を、1月31日(日)に開いていただくことになりました。

今年は、新型ウイルスの流行中でもあり、Zoom会議と組み合わせていただきました。

Zoomは、12:30から15:30の予定です。

何時ものように、安城の市民交流センターで行います。

 

私は、コロナ後の時代を見つめながら、自分の人生を振り返り、今何を必要としているかを話します。

 

もう18回目になるのですねー。早いのに驚きます。

会の中でも報告しますが、カンボジアの教育支援もかなり目指していた状態に近くなり、そろそろ私の出番は終わりかと思っています。

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新型コロナウイルス後の世界

新型コロナウイルス後の世界

 

世界は現在新型コロナウイルスで大混乱を起こしている。各自ができることは限界があるが、しかし各自自身でするしか方法のないこともある。

 

コロナ後の世界は、現在の状況とはかなり異なってくるであろう。政府や財界のメンバーは、いまだに終息後に以前の世界に戻るような幻想を持っている。今回の流行で、ヒトが生き残るのに何が必要であるかがかなりはっきりした。現在地球上では、マイクロプラスチック、 温暖化現象など、ヒトの引きここした問題に直面している。このコロナ渦の中でよりはっきりと見えてきた。経済活動が、以前の状況に戻る保証はない。それどころか資源にも限界があり、以前よりかなり低水準な経済になるであろう。

 

このような状況はコロナ渦が起こったからではなく、以前からわかっていたことであるが、なかなか現実を見つめられていなかっただけであろう。

現実に経済活動が縮小に向かうと、必要なことが選別され、必要性の低いことは次第に姿を消してゆくであろう。ヒトはあまりに必要以外のエネルギーを使いすぎていたのであろう。

 

物質が豊かになると幸福であるという幻想は、少し考えてみると明らかに誤りである。戦後は貧しく、食べるものも十分ではなかったが、満足に食べられるだけで、現在よりも幸せであった。それは皆さんが、少し考えれば明らかである。テレビなどでは豪華な有名人の家が、さも素晴らしいかのように紹介されているが、見ていると心の貧しさが伝わってくる。物にしか頼れない、自己のない人柄が明らかである。このような番組がいくつもあること自体、テレビなどのマスコミの精神的貧弱さを物語っている。またスポーツ選手などが、ヒトを元気付けるプレーをしたいなどと述べているが、そんなことで元気付けられる心は貧しく、すぐに消失する泡のようなものでしかない。

 

皆さんの人生は、皆さん自身のものである。自分の幸せは、自分で探さなければ得られない。簡単なんことではないが、いつも心掛けていると、どこかで出会えるものである。自分は何を求めているかを常に問いながら、出会った機会を逃さないようにすることが、豊かな人生を送る秘訣と思われる。それには常に自分が何を求めているかを、追及していなくてはならない。

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新年おめでとうございます

新年おめでとうございます

 

新型コロナや歳のせいで、あまりおめでとうという意識は薄い。

「めでたさも ちゅうぐらいなり おらがはる」と詠んだのは、小林一茶。割に近い地域で育ったので、よく聞かされてきた。貧しくて、中くらいかと思っていたが、この齢になると意味が違って理解できる。多分いろいろしんどくなってきて、めでたさも中ぐらいかとも思う。

 

最近は、本を読むことが多くなってきたが、「一遍上人語録」、「無門関」、鈴木大拙博士の「東洋的な見方」など。繰り返し読んでも、意味が違って読めて、終わることはなさそうだ。もっとも「無門関」などは、さっぱりだが、読んでいると面白い。

 

「東洋的な見方」の中に、時間の話が出てくる。我々は人生を80年ほど生きているようであるが、実際にはこの今の一瞬しか生きていない。明日のためや将来のためにと考えるのは、多分誤りであろう。今この瞬間を生きているだけで、将来を生きているわけではない。

 

この一瞬を大切に生きよう。

 

年賀状をいただいた皆さん、ありがとうございます。カンボジアに住んでいたころから、年賀状を欠礼しています。

 

今年が皆様にとりまして良い年でありますように。

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