今朝は雪降り

今朝は雪降り

久しぶりに雪が降った。カンボジアに居た頃には、朝の顔洗いの水が温かいので、日本の冬の寒い朝の水が恋しかった。しかし日本に居ると冬の朝の冷たい水は、暖かければいいなーと思ったりする。自分かってな感情に呆れている。

 

今朝の散歩は雪の中。久しぶりに足の下で雪が固まる感触を楽しんだ。新雪の中を歩くのも久しぶり。

家に帰ると、窓辺にツララ。かわいい大きさで、菅平に居た時のように、2メートルを超えるようにはならない。寒さもマイナス22度にもならないけれど、それでも寒い。

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巨大私学の再生の道

巨大私学の再生の道

 

巨大私学の理事長が逮捕され、大学の再生が危ぶまれている。再生の視点は人事に向いているが、問題点は異なるところにもある。

 

私が大学に入った60年ぐらい前の頃、学生の間では、○○大学株式会社と言われていた。その意味は、学生をたくさん集めて、大学が儲ける仕組みになっていたことを指している。授業はマスプロで、経費を節約、教授の数も少ない。

大学に問題があっても、学生が多いから、優秀な人もいて、社会で活躍している人も多い。

 

しかしながら、大学の向いている方向が、多くの学生を集めて儲ける方向であると、逮捕された理事長のような人物がトップに立つのも、当然と言えば当然である。

 

理事や評議員の人事の改革だけでは済まされない、根本的内容を持っている。

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柳宗悦

柳宗悦

 

最近NHKの教育放送で、柳宗悦さんの放送があった。しかし内容は、民芸に関することだけで、なぜ彼の「民芸」の運動が、皆から注目されるかの本質にはほとんど迫っていなかった。確かに「民芸」についての著作も多く、注目される点ではあるが、なぜ用の美に辿り着いたのかの観点は必要であろう。

 

その原点は、彼の宗教的深さに起因している。そのために簡単には理解が届かない。柳宗悦氏の著書には、「南無阿弥陀仏」と言う仏教書がある。「南無阿弥陀仏」は、主に一遍上人の功績を分かりやすく解説している。この本の解説でも書かれているように、出版後時間が経っても、多くの関心が寄せられた書である。また版画家の、棟方志功が柳を師と仰ぎ、交流の中で多くの傑作を残した。1956年ベネツィア・ビエンナーレに出品し、ヨーロッパの芸術家に賞賛された。「南無阿弥陀仏」の書の後半には、柳のために彫った棟方の版画がいくつか載っている。私が好きなのは、棟方の「釈迦の十大弟子」である。

 

「民芸」が多くの人に注目されたのは、人生における本質に迫っているからであろう。彼は戦争中に、日本人が見下していた韓国の生活食器の美を見出し、賞賛している。占領下の韓国の品物を褒めることは、難しかったと思われる。

柳が賞賛したものは、職人が美しいものを作ろうとは意識しない、生活に必要なものの美である。無意識の中で作られる、使われる用に立つ装飾の無い美である。これは一遍上人の境地に近く、これこそが普遍的なものである。しかしながら、NHKの放送では、この様な根本的なことにはほとんど触れていない。

 

マスコミは受狙いが多く、根本的問題には目が向いていない。中学生の刺し殺し問題も、子ども間の各種トラブルも、ほとんど根本問題には触れない。また教育専門家と言われる人も、ほとんど気が付いていない。人生は一度で、すべては自分のなすように流れる。心して過ごさなければならない。

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人生はいつも一人

人生はいつも一人

 

新型コロナウイルスの登場で、集まることが少なくなった。その結果寂しいと言う人がいる。

 

しかし人生は、いつも一人だ。他の人と一緒にいるようでも、実際には人生は一人だ。このことを十分に理解しなくてはならない。食事もトイレも他の人に代わってもらうことはできない。心臓も腎臓の働きも、自分では制御できないが、人に代わってもらうことはできない。人生はいつも一人だ。

 

鎌倉時代の僧、一遍智真上人は、「生まれてくるのも一人、死ぬのも一人」と述べている。江戸時代後期の僧、良寛さんは、「よのなかに まじわらぬにはあらねども ひとりあそびぞ われはまされる」と述べている。

 

人生は本当には、一人で行う物であり、それこそが人生である。人と一緒にいるようであっても、自分の人生は人に代わってもらうことはできない。そのことをよく理解し、自分を鍛えることをしなくてはならない。

 

人に伝えられるのは、自分の持っているものだけである。上手な言葉で人を誘導できても、自分の持っているものでないと、人は動かされない。人の役に立つことを目標とする人がいるが、まず自分が自立しないと人の役には立たない。

また自分の人生は、自分の持っているものでしか動かない。自分の幸福のために、自分を鍛えなくてはならない。自分の人生は、自分の責任ある。

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品格 アリマシ祖父さん(ムゼーアリマシ)

品格 アリマシ祖父さん(ムゼーアリマシ)

 

アフリカで調査中にいつもトラッカーとして、ムゼーアリマシ(ムゼーは老人の意味)を雇っていた。私が最初に会った時には、62歳であると言っていた。彼は、タンザニアのサバンナの原野の中でハチミツ獲りを職業としていた。学校に行ったことも無いし、読み書きもできなく、署名もできなかった。また数字に疎く、給料を渡してもいくらもらったのか理解できていなかった。ミンギ・ミンギ(多い・多いの意味)と喜んではいたが。でも若い仲間がちゃんと数えて、大丈夫だと言って補助していた。

 

つい最近も京都大の大学院生が、アリマシは元気で62歳だと言っていますと報告してきた。20年経っても62歳なのは分かるが、どのようにして62歳までたどり着いたのか不思議である。

 

私が最初に会った時には、既に老人で荷物運びには適さなかった。しかしながら人柄がよかったので、原野の中でのテントキーパーとして雇った。若い者からも慕われていて、原野の中での知識は抜群で、何回か救われた。例えば夜中に100頭を超すゾウの群れが近づいたとき、追い返して道を変更させたのは彼であった。またリョコウアリ(一般的には、サファリアリと呼ばれている)と呼ばれるアリの大群が近づいた時も、早くから気が付き、他のトラッカーを起して枯葉を集めさせ、防衛線を作って火を放ち、回避した。リョコウアリは、バッファローも一晩で骨にしてしまうと言われる危険なアリである。

 

アリマシは、食事を作っている時など、時々鼻歌を歌っていた。誰からも習ったわけではないようだから、自作だったのであろう。優しい低い声で、何やら歌っていた。休みの時に彼にハチミツ獲りを頼んだ。すると歩きながら口笛を吹き、アフリカミツオシエを呼び出し、連れて歩く。時によると咳をするような声を出し、ラテル(イタチ科の動物で爪が鋭く、木に登って蜂の巣を掘り出す。アフリカミツオシエは、ラテルの掘ったハチを食べる)の真似をする。蜂の巣を見つけると斧で木を切り倒す。多いときには蜜が10リットルほども採れる。

 

アリマシの穏やかな人生は、その品格と共に私の人生の師である。大学のトップに居ても、人格の貧困さが目立つ最近の私大の事件の主人公とは全く異なる。

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死に欲

死に欲

 

どこかの大きな私立大学のトップが、自分の大学から多額の金額を横領していたようである。最近テレビで話題になっている。

この大学は、以前にスポーツの他大学との試合で不適切な行為があり、コーチが辞任した。しかしこのコーチは間もなく、大学の理事に返り咲き、理事長に多額の大学の金を流していた。理事長の奥さんは、料理屋をしており、ここで多くのことが行われていたようである。

 

昔から日本には、「死に欲」という言葉がある。

私もいくつかの例を、身近で見てきた。あるおばあさんは死後の納棺の折に布団の下から、沢山の札が見つかった。またある人は死が近くなって、欲深くなって一族が困っていた。

 

このように死が近くなって欲をかくのを「死に欲」と言っている。何故このようなことが起こるかと言うと、本人の心の貧しさである。自分の中に頼れる内容がなく、お金などに頼ろうとする。自分が食べる以上にお金があっても、冥途には持って行けない。このような自然の単純なことを理解できないからであろう。大学のトップがこのような人では、教育の内容は知れている。あるテレビの番組で、この大学の卒業生のタレント女医さんが、大学の学生生活はとてもよかったと言っていたが、これもこの大学の程度を表している。彼女は他の大学と比較するほどの経験も持っていないから、単に自己満足にすぎない。医学はもっと客観的な知識が必要であろう。

 

人生は自分のもの、必要な自己訓練をしておこう。

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中国とラオスを結ぶ鉄道

中国とラオスを結ぶ鉄道

 

先日、中国からラオスを結ぶ鉄道が開通したとニュースになっていた。中国は、食料も不足するようになり、ラオスやカンボジアから食料を調達している。

 

カンボジアでは10年以上前から、ベトナムとの国境に近い山間部で、バナナ畑を開発していた。多量のバナナを中国に輸入しているというニュースも流れた。私もカンボジアに居た頃に、このバナナ畑の中を走ったことがあったが、車で40分ほど走っても終わらないほどの広さであった。森林を伐採して、そのあとにバナナ畑を開いていた。

 

ラオスでは、10年以上前から、ダム建設のために北部の町で中国人の町ができていた。4万人もの中国人が移り住んでいると言うことであった。ほとんどニュースにもなっていなかったが、ラオス人の人口より中国人が多い町が出来上がっていた。ラオスは谷が深く、ダムに適した地形が多い。そのために国の収入の多くを、売電で賄っている。その支援として、中国人が多く住みつくようになっていた。

 

中国から首都ビエンチャンまで通じた鉄道は、その後メコン川を渡って、間もなくタイまで延ばされることであろう。これも中国の一帯一路の一環であろう。

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中学生の刺し殺し事件 2

中学生の刺し殺し事件 2

 

この事件の次なる問題は、学校の先生たちの多忙と疲労であろう。

先に書いた様に、この事件の真相を確かめようと、文科省や教育委員会は動き出す。するとその原因を現場での調査や原因究明に求められる。

 

先回書いた様に、この問題の難しいところは、簡単に解明できないところにある。本人自身も言葉では表しきれない、記憶の奥底に沈んでいる内容がある。

また以前にも書いたことがあるが、言葉はヒトによって意味が少し異なる。同じ経験をしていても、意味は少し異なる。これは各人の経験が異なることによって形成される無意識の影響に関係している。このような言葉によって調査が行われても、なかなか本当の原因にはたどり着かない。小さいころの親との関係も絡んで、複雑極まりない。

 

問題を解決しなくても良いと思っているのではない。困難な状況を理解し、あるところで状況を注視してゆくのが得策であろう。無理をすると、先生や職員の皆さんの疲労を必要以上に高めることになり、教育力が落ちる。

 

越後の良寛さんは、悟りを得たのちに、乞食をしながら暮らしていた。避けがたいことには、無理をして対処するのではなく、素直に従う姿がある。死期の近い病人のお見舞いに際し残した歌がある。

「散るサクラ 残るサクラも 散るサクラ」

見舞いされた本人も喜んでこの句を残している。

また新潟三条であった地震の災害見舞として

「災難に会う時は 会うがよろしく候 死ぬときは死ぬがよろしく候 これがこれ災難をよける妙法にて候」

と言う書簡が残っている。抗しがたいものに対する態度は、学ぶべきものがある。

 

私も十分に認知症であるから、上の良寛さんの句や書簡は多少誤りがあるかもしれない。しかし大意は通じるものと思っている。

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中学生の刺し殺し事件

中学生の刺し殺し事件

 

先日愛知県の中学校で、3年生の生徒が同じ学年の生徒を刺殺す事件が起きた。2年生の時は同級で、小学校も一緒だったと言う。様々な人がいろいろと意見を出しているが、なかなか核心には至らない。人の心の内は、外からは計り知れないところがある。本人にも、なぜそうなったのか、説明がつかないところもありそうに思われる。

 

テレビでも多く取り上げられていたが、問題の対症療法でしかなく、原因に踏み込んでいる意見はほとんど無かった。視点がずれている。今後の日本の教育に、改善の道はなさそうだ。もし改善がなされなければ、今後は同じような例が増加するであろう。

 

ヒトという動物は、成長の段階で様々な社会訓練を経て、社会の中で生活できるようになる。現在の子ども達は、社会的訓練を受ける機会を奪われている。

 

特に今回の事件で注目されることは、成長の段階で友人との意見の違いを調整する能力が欠けているようである。人は小さいときから他人と意見が異なって喧嘩をする。その結果、相手と仲直りする方法を手に入れる。現在では子どもたちは小さいときから自由は無く、大人の干渉がある。喧嘩をする自由もない。従って仲直りする方法を持っていない。無差別殺人などもこの延長線上にあるであろう。

 

政府は子ども庁などを新設する意向であるが、視点がずれると全く意味をなさない。

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ラナリット氏の訃報

ラナリット氏の訃報

 

新聞の片隅に、ラナリット元首相の死亡記事が載っていた。フランスで死亡とのこと。

1999年にカンボジアに行った時にお会いしたことがある。一度は飛行機の中で前の席に座っており、挨拶をした。77歳であったと言うから、私より若かったのだ。

 

アンタック後の選挙で第一首相に就任したが、当時はフンセンも第2首相として在籍しており、なかなか複雑な状況であった。支援に行った文部省も、第一派と第二派があり、両方に挨拶に行かなければならなかった。各派に大臣や長官が居て、挨拶の順番も問題になった。

 

最初は、フンシンペック党を率いて元気であったが、次第にフンセンの力が強くなり、弱体化していった。10年ぐらい前であったと思うが、若い女性に熱を上げ、党から追い出されて、ほとんど政治活動はできなくなっていた。もっともそのころフンセン首相も若い歌手に熱を上げ、側近が歌手を消してしまったと言う事件もあった。

 

ラナリットさんは、現国王のシアモニさんの異母兄弟で、ラナリットさんは次男であったように思う。国民から信頼の厚かったシアヌーク前国王は沢山の子どもがいて、カンボジア人からどうして日本の天皇の子どもの数が分かるのかと不思議がられたことがある。

 

ラナリット殿下は、首都のプノンペンに広い屋敷があり、現在は娘さんがフランス料理のレストランを開いている。かなりの高級レストランなので、あまり行ったことは無いが、シェフは日本人で、夜遅くによく一緒に飲んだことがある。

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