山火事の記憶

山火事の記憶

 

関東平野の北の端で、山火事が猛威を振るっている。

子どものころに山火事があると、小学校高学年になると火消しに出かけて行った。子どもたちは普段からよく山を駆け回っているので、地形も植生もよく知っていた。

 

現在の山火事は、知らない土地での火消しで、地形も植生もわからず大変さがしのばれる。映像で見ていると、大きな立木が多く、山の手入れもあまり進んでいない。落ち葉も多く、燃えるものも多い。消化は大変であろう。スギの木立もたくさんあり、火の勢いも強いように感じられる。特に平野から山が始まる北関東は、今の時期に「群馬の空っ風」と言われるように風が強い。

 

子どものころの村は、山林で生活している人が多く、山は村の財産で生活の場所であった。したがって火事が出ると、総動員で火消しを行った。現場につくと自然に指揮官ができ、落ち葉を掻いて防火帯を作る場所の指示、火たたきをして消す場所のラインなどが言い渡された。子どもでも燃えないソヨゴ(常緑で燃えにくい)などの枝で、火の脇をたたくと自然に消火されていった。この場合も、風の向きや地形から、どの方向から近づくかは、子どもでも理解していた。林は定期的に木を切っているので(薪や炭にする)、テレビで見ているような大きな木はなかった。しかし、マツの若い木の密集しているところは、火の走りが早く、逃げ遅れることもある。隣の村では、小学4年生が火にまかれて死亡したことがあった。しかしその後も、子どもの火消しは中止されることは無かった。それだけ皆で山を守ることが大切であったのであろう。

 

だいたい消火されると、山を下り谷の水を飲んでのどの渇きをいやす。夢中になっているから冬でも汗が出て、のどはカラカラ。運ばれてきたお結びがことのほか旨かったことを覚えている。皆色々話しながら時間を経てから、もう一度見回りをして終わりにしていた。子どもでも結構役に立っていたのであろう。

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オリンピックのごたごた 3

オリンピックのごたごた 3

 

オリンピックは、委員会ばかりでなく、既に多くのことについて不明な点が多い。

コロナ渦の騒動の中で、オリンピックができるのか?これは日本の事情ばかりでなく、世界の状況も考慮しなければならない。貧しい国では、選手の選考も済んでいないし、ワクチンも見通しが立っていない。

 

会長だけ女性にして、それで女性に対する蔑視問題が解決するとは思われない。オリンピック委員会は、既に破綻していることを理解できていない。

 

言葉の問題は、使う人の無意識の作用によって表出する。言葉にこだわる人もまた同じような無意識の持ち主であることが多い。そのような点を見ていると、まだ何も解決していないことがうかがえる。

 

オリンピックが商業主義に陥り、経済的効果に振り回されているのは明らかである。関係者は熱心であるが、国民の多くは冷めた目で見ている。国民の意見として延期や中止が7-8割もある現状では、税金の使い方としては如何なものであろうか。

 

島根県の知事が、聖火リレーの中止を検討していることに、自民党の竹下さんが注意すると言ってひんしゅくを買っている。幹事長は、観光収入を当てにして旅行業界にいい顔をしようとしている。

これらのことよりも、福島の原発事故や今回のコロナ渦で苦しんでいる人々にこそ、税金を使うべきであろう。

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オリンピック委員会のごたごた 2

オリンピック委員会のごたごた 2

 

今回のオリンピックは、招致の時から嘘で塗り固められていた。阿部前首相が、震災による原発の事故は、既にアンダーコントロールにあるといって、多くの国をだまして招致した。現在に至っても、核燃料の取り出しも、汚染水の増加も抑えられていない。

 

いまだに住民は元に戻れず、元の生活には程度遠い方々もいる。復興五輪などと称して進行しているが、オリンピックと関連して被災地にどれだけの復興がなされているのであろうか。

このような問題に目を向けることもなく、委員会でごたごたが起きることは、いろいろの物事に対する不正直さが噴出しているのではなかろうか。

加えて、新型コロナ渦で、各国の選手の選考や参加に何の見通しもない。そのようにしてオリンピックを開いても意味がないと、7割以上の国民が見ている。

 

利権に群がる委員長や国際オリンピックの会長などの利益のためにしている感がある。この世界的緊急事態の時に、無理をして開く意義がるのであろうか。

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オリンピック委員会のごたごた

オリンピック委員会のごたごた

 

森会長が辞任して、後継者選びが始まっている。そのことには関心がないが、テレビなどで見ていて、色々感じるところがあった。

 

辞任会見を見ていると、その内容の問題点が気になった。社会的には、女性蔑視問題が表面化している。しかし私の視点からは、人生の貧弱さが目立った。総理大臣をし、オリンピックの組織委員会の会長までしながら、ご自分の持っている無意識の反面については全く気が付いていない。自分自身の内容でありながら、振り回されているだけで、意識すらもできていない。社会的には勝ち組で、成功者であろう。しかし人生が終わるときになってみると、いろいろと悩むところがあるであろう。いろいろの趣味があったり、教養があったりすると周囲からは評価される。しかし本人の人生が終わるとき、静に感謝して終わるのは難しいであろう。欲望や怒りを持っている内面をしっかり見つめて、対処することが重要である。現在の総理大臣も前の総理も、この点では同じようなレベルにある様に見える。

森会長の辞任会見を見ていると、この内なる内容が表に出て隠しようもなかった。マスコミの活躍する社会になって、自己本来の問題点を見つめる機会が減っている

 

我々は、社会から認められることが重要なことではなく、自分の人生を己らしく生きることである。名も業績も残さなくてよいが、人生に感謝して終わりたいものである。

 

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第18回「正臣会」有難うございました

第18回「正臣会」有難うございました

 

昨日、第18回の「正臣会」をしていただきました。

新型コロナの中、計画頂いた小鹿先生有難うございました。

お陰様で、子育て中の皆さんの参加もあり、普段とは違う収穫もありました。

 

カンボジアの支援も一段落し、今後は愛知教育大学が組織的に支援してくださるようで一安心です。カンボジアも、日本からの帰国留学生が中心になっていろいろ体制が整い、次第に向上してゆくと思われます。

 

有難うございました。

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