韓国国民の変化 2

韓国国民の変化 2      2019.03.28.

韓国の変化で、もう一つ目立つ点は、核家族化である。1980年代に訪れた時には、まだアパートは少なく、戸建て住宅が多かったように覚えている。住宅には庭があり、周囲を塀で囲いながら、塀の一部は住宅の壁で、3方向ぐらいに部屋があった。そして多くは、それぞれの年代の家族が住んでおり、訪問すると年配の家族から挨拶に伺うのが普通であった。

もちろん都会には核家族もあったが、それほど多くはなかった。1990年代に入ると、ソウルやプサンなどの都市部には、巨大なアパートが立ち並び、景気の向上と相まって、皆さんアパートに住むようになった。このアパートには必ず、キムチを置く部屋が必ずついていた。韓国は地震が少ないので、アパートは高層で、かつ集団化している。

最初訪韓のころには、春には年寄りと孫が摘み草などをしていた。1990年ごろになると、そのような姿は少なくなった。1990年ごろであったと思うが、日本の小学校の先生たちと
韓国に出向いた。先生たちが驚いたのは、教科書にある豆の栽培などについて、ほとんど詳しい説明がない点であった。ある市の教育長さんは、先生は自分で経験しているから、細かい説明はいらないと言った。日本では、小学校の先生はすでに農業の経験はほとんどなく、肥料と間違えて鳥のエサを畑にまいていた先生がいた時代になっていた。韓国でも、高層アパートの時代になると、先生たちの経験は少なくなり、日本と同じように細かな説明が必要になったであろう。子どものころに農業などの大地に触れる体験が少なくなると、感情が不安定になり、攻撃的になりやすい。

核家族が多くなるにしたがって、子どもたちは親以外との接触が少なくなり、人との接し方が狭くなり、価値観が狭くなる。このことは成長するにしたがって、接するものに対する選択肢が少なくなってくることになる。これはストレスの大きな要因である。いろいろな考え方が出来、様々な対応方法を持っていれば、ストレスは少なくなる。

韓国の現在の状況を見ると、日本における家庭内、子ども同士、社会における攻撃性とあまり変わらない状況にあると思われる。
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韓国国民の変化

韓国国民の変化      2019.03.25.

韓国に最初に行ったのは、1980年で、朴槿恵元大統領の父親が暗殺された翌年であった。暗殺時に飲んでいたとされるシーガスリーバルが持ち込み禁止になっていたので、よく覚えている。この時には38度線の非武装地帯のフェンスの見えるところで、ネズミの調査を行った。この時には、阪大の微研の科研費であったので、あまり自由はきかず、生きているタイを唐辛子鍋で食べるような不便さがあった。

それから2年ほどして、知り合いの先生から韓国の留学生を依頼された。彼は学位を取って帰国し、プサンの東亜大学の助教授になった。彼は環境保護の教室に属していたので、彼の調査の手伝いで2-3年間に数回韓国に出向いた。毎回2―3週間の滞在で、南の方の智異山(韓国で一番高く、大きな山塊)とソウルの近くの東国大学の雲霧山演習林で調査を行った。

この調査では、韓国の田舎に暮らし、多くの人々と触れ合うことが出来た。韓国語は全くできなかったが、留学生と言う良い通訳が居たので不便は全くなかった。韓国語は発音が難しく、私には聞き取り、話などで無理だとすぐに判断した。

韓国の田舎で感じたのは、大阪で直面していた在日韓国人の人々の激しさとは全く異なる、穏やかさと優しさであった。日本人が日本において如何に韓国の人々をいじめていたのかが痛感され、暗い気持ちになったのを覚えている。日本に連行されて、トンネル工事で働かされたという老人は、「あなたを責めるのではない。しかしあなたはそのことを知らなければならない」と言った。一緒にマッコリ(韓国の濁り酒)を飲みながら。

調査時当時に既に財閥の姿は、想像を超える状態であった。サムスン(三星)、現代自動車、ロッテ、現代重工業、韓進(大韓航空・開運)などが台頭し、ある会社はジェット機を数機所持しているということであった。国防費は、37%に達し、国民は貧しく、服装も質素であった。走っている車は、今の日本の軽自動車の様な、ポニーだけであった。

その後間もなく、中・高・大学の入試競争が激化し、大統領令で大学生の家庭教師が禁止される事態になった。このころから韓国社会は、ストレスの多い事態になり、人々が非常に攻撃的になったように感じる。現在は、日本以上にストレス社会の様に思われる。日本に対する攻撃的態度は、文政権の人気取りとともに、国民の感情の変化が感じられる。

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日本人の潔癖症

日本人の潔癖症   2019.03.15.    

日本人の潔癖症も、ある意味ストレスの結果であろう。少しでも効率よく、不快感が無い様にしようと病的に潔癖症になっている。その結果ストレスは増すばかりで、病気にも耐性が無くなっている。私は風邪をひいても(あまりひかないが)、ほとんど薬は飲んでいない。風邪をひいて熱が出るのは、白血球が病原菌を攻撃する効率を上げるために体温を上げている。ここで熱を下げる薬を飲むと、体温が下がり白血球の活動が下がり、治りが遅くなる。加えて風邪薬や解熱剤は、胃に負担が多いので、消化吸収が悪くなり解熱後の回復も遅くなる。
また様々な病菌にかかると、その菌に対する抗体ができる。以前にエジプトで調査していた時、アスワンハイダムに遊びに行った。今はないオールド・カタラクトホテルに泊まり、ファルーカ(ヨット)で遊びに出た。同乗したのはインド人で、クルーからナイルの水を進められて、美味しいと飲んでいた。私も進められたが、明日の朝は起きられないだろうと遠慮しておいた。この時島国育ちの私は、コスモポリタンには成れないと痛感した。
しかし諦めたわけでは無く、カンボジアに居た時には、淡水のカニの塩漬けに挑戦し、4回目には抗体が出来上がった。このカニの塩漬けは、緑のパパイアのサラダ(ボックロホン)に必ず入る。耐性をつけないと、ビタミン豊富でピリ辛の旨くて安いおかずが減ることになる。まだ若いパパイアは、たんぱく質分解酵素が多く、ビタミンCも飛びぬけて多い。

小さい時から土の上で遊び、様々な菌や寄生虫と共生できると、アトピーの出る割合も少なくなる。これは約30年も前に、東京医科歯科大学の藤田紘一郎教授が提唱したことがあり、多くの関心を引いた。

日本人は、もっと病気におおらかになり、自分自身の乗り越える力をつける方が快適に人生を過ごせると思われる。潔癖症は、過度に敏感になると、余分なストレスと攻撃性を増すことになる。
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虐待やいじめ

虐待やいじめ    2019.03.11.

いじめ自殺で、いじめた生徒への賠償の判決が出た。このことが正しいのかどうかは、様々な判断があると思われる。

気になることは、社会全体が物事の本質についてあまり議論しない点だ。もちろん本質を議論しても、すぐに解決策はない。しかし本質を見据えないと、いつまでたっても対症療法でしかない。

マスコミが取り上げて社会問題化するが、多くの人々が巻き込まれて、自分自身も攻撃的判断に陥っていることを理解していない。前回に書いたように、多くの人が現在の社会の中で、ストレスにさらされ、知らないうちに攻撃的になっている。ストレスの結果は、様々なアレルギー反応にも関わっている。アトピーとされている現象も、精神的な安定によって改善されることは、不登校の子どもの野外塾をしているときにもたびたび経験した。

最近では、自分の次男を蹴りつけている動画が拡散して、逮捕された母親がいる。群馬の高校生が、いじめにより自殺をしたとみられるニュースが流れている。

社会全体のストレスが多く、各個人が攻撃的になっている現象とみられる。もちろんそんな中でも、あまり攻撃的にならない人たちも少なくない。しかし一部の人は、明らかにホルモンのバランスを崩して、攻撃的になっていると思われる。こうなってしまった人に、いろいろ意見してもほとんど受けいれられない。興奮を抑える処方でもして、沈静化を図る必要もあるであろう。学校でも、児童相談所でも対応に苦慮する。専門的知識だけでは対応できず、危険を察知する経験が必要になる。私は多くの途上国で、いろいろな場面で、一対一で対応する機会が沢山あった。この様な場合に、第一に必要なのは、会った瞬間の直感で敵か味方か見極めることである。銃口を突き付けられた時に、どの程度の危険かを察知して、対応する必要がある。
学校や児童相談所では、担当者は逃げる場所が無い。日本では、「三人寄ると文殊の知恵」と言って、他者に相談することによって道が開けることもある。

まだまだ問題は、拡大する傾向にある。担当部署は、今までの方法では限界がありそうだ。

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サクラが咲いた

サクラが咲いた    2019.03.04.

朝に散歩する公園のカワズザクラ(河津桜)が3月1日に咲き始めた。畦道には、オオイヌノフグリやホトケノザも咲き、春らしくなって来た。ケリの鳴き声などを聞きながら、何となく緩んだ気分になる。

良寛さんが、妹の信子に形見を乞われて
  「形見とてなにのこすらん春は花、夏ホトトギス、秋はもみじば」と詠んだ句がある。
春になって花が咲いたら、夏が来てホトトギスが鳴いたら、秋にもみじが紅葉したら、形見と思って思い出してくださいぐらいの意味であろうか。

これには元歌がある。僧籍から外れてしまっている良寛さんであるが、曹洞宗で修行していた。曹洞宗の開祖、道元禅師が、雲水(修行している僧)に座禅はいつの季節が適しているかと問われ、「春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪さえて涼しかりけり」と答えた歌がある。春、夏、秋、冬いつでも良いと教えている。この歌を元歌にしていると思われる。

我々には、春夏秋冬があるが、修業を積んだ覚者には、季節などあって無きが如くなのであろう。一遍上人も、「善悪の境界みな浄土なり」と言っておられる。

春に温度が上がり、何となく緩んでしまうのは、まだまだなーと思う
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