久しぶりのカンボジア 9 教育関係の集まりENJJはまだ続いていた

久しぶりのカンボジア 9 教育関係の集まりENJJはまだ続いていた
 
久しぶりにカンボジアを訪れると、今浦島である。いろいろ情報を得る必要があって、JICAプラザ(カンボジアのJICAの中にある、各種情報を公開している場所)を6月3日ごろに訪れた。以前から知り合いのOさんが居て、お互いの無事を喜び合った。ともにお友達だった私より3歳ほど若い、ろうけつ染め職人のシェムリアップでカンボジアの伝統的織物を復活させていた森本喜久男さんが亡くなったこともちょっと寂しいが、その後の状況を聞いた。カンボジアの教育関係の援助の進み具合やNGOなどの動きを聞くことが出来た。以前からカンボジアにいるときに、「困ったときの、Oさん」と言っていたが今回もかなり助かった。
 
カンボジアは今2年制であった教員養成を、4年制に変えつつある。プノンペンとバッタンバンの2校を、まず4年制に変更し始めている。これはJICAの支援で、パデコと言う会社が受注して動き始めている。ところが、予算も人材も少なく、プノンペン校を中心に、主要5教科のカリキュラムとシラバスの支援をすることになったようだ。パデコの担当のTさんは、2001年ごろJICAの支援でしていた教育支援の仲間で旧知の仲である。Tさんはカンボジアに不在だったが、プロジェクトの進展具合や問題点はだいたい把握できた。
 
ついでにOさんから、ENJJ(EoJ:日本大使館、NGO、JICA、JBAC:商工会の略)が6月10日の月曜日にあるからと出席を求められた。現在はカンボジアに在籍していないし、仕事もしていないので遠慮したが、私の今回の目的である4年生教育大学の支援の概要が分かりそうなので出席することにした。
 
10日になって旧知の友人の手束さん(4年生教育大学に関わっているNGOメンバー)と長沼先生と一緒に、ENJJに出席した。配られた教育分科会の資料を見てびっくりした。私が個人でカンボジアの支援を始めたころに、JNJJ教育分科会としてスタートした(2004.09.09)そのものであった。私は、2013年8月に帰国したのでそれ以来であったが、それでも懐かしい旧知の友人が数人いた。40人ぐらいの出席者があったが、会議ではオブザーバーのようなものなので黙っていた。懇親会になって15人ぐらいが集まり皆さんでき上って来た時に、意見を求められた。なんとなく気になっていた若い人たちの観察力不足を述べた。パデコのTさんも賛成し、皆で盛り上がった。若い方々(40代半ばまでが多かった)は、立派に外国で活躍しているのであるが、途上国の文化、自国の文化などについてのしっかりした観察が無いので、問題点がなかなか具体的にならない。聞いたことや読んだことが基になっていて、自分の目で観察し考えた結果とは異なる。若くて外国に出ると、訓練する機会が無いので、自分を育てることが難しい。皆さん外国で仕事をしても日本でしても、基本は変わらないので、自分を鍛えることを常に考えてほしい。外国で仕事をしているからと言って、特別に鍛えられているわけでは無い。外国の刺激に耐えて特別な活動をしていると勘違いしていると、それは意外に自分を鍛えることにはならない。これから途上国を目指す皆さんは、特に注意してほしい点である。また自国の文化は、外国に出た時に自分の物差しとなるものなので、軽く見ないでほしい。物差しが無いと何も測ることが出来ない。
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久しぶりのカンボジア 8 擬態の直翅類

久しぶりのカンボジア 8 擬態の直翅類
 
理事をしている公益財団法人が、カンボジア人のために幼稚園からの一貫校教育を始めた。今年から小学校が始まるのでそのビルの竣工式があって、今回カンボジアに行った。式の前日に、理事長が会長をしている会社のカンボジア法人の社長と一緒に見に行った。彼とは10年ぐらい以前にカンボジア法人の開所を一緒に行った。私は当時カンボジアに10年ぐらい住んでいたので、かなり慣れていたが、現地法人の社長として来た彼は、海外の経験は十分であったが、カンボジアは初めてでいろいろ意外なことが起こった。会社の開所式に、日本人のメンバーをたくさん呼んだのに、昼食のケータリングが遅れ、かなり慌てた。
 
学校のビルを見て回っていると、大きな直翅類が廊下の壁についていた。多分昨夜に飛来し、そのまま休んでいたのであろう。明らかに木の葉に擬態しており、木の葉に止まっていたら分からなかったであろう。大きさは羽だけで10センチ以上ありかなり大きい。カンボジアではこの他にもいろいろ見たことがあるけれども、日本ではほとんど見かけない種類である。以前に東アフリカのタンザニアで、サバンナの森の端の落ち葉の中で、カマキリの擬態を撮影したことがある。帰国後確かにこの写真であるといくら探しても、カマキリを見つけ出すことはできなかった。単なる落ち葉の写真でしかなかったので、非常に残念な思いをしたことがある。今回は白い壁であったので、安心して撮影した。
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久しぶりのカンボジア 7 電線の変化

久しぶりのカンボジア 7 電線の変化
 
カンボジアの電線は、以前からかなり混沌としており、どれがどこに行っているのか見分けるのはかなり難しい状況にあった。以前に住んでいた家でも、落雷があったり強雨があったりすると、時々停電した。ご主人がいるときには、彼が電柱に梯子をかけてすぐに直ったが、彼がいない時には、半日ぐらいの停電があった。誰か業者に頼み、修理していたようだ。
 

電線がかなり多くて混乱していることには変わりがないが、少し整理されてきているようだ。以前は電柱の高いところにあった分電盤が、かなり低いところに取り付けられ、すぐに手が届きそうだ。また分電盤にもカギがかかる様になっていて、かなりきれいになっている。

でもまだ混沌は続いているように思われる。カンボジアでは固定電話より先に携帯が発達したので(途上国ではよくある現象)、電話線は絡んでいない。
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久しぶりのカンボジア 6 太極拳を踊る

久しぶりのカンボジア 6 太極拳を踊る


朝の散歩のときいつも見かけていたメンバーが、以前と同じ場所でいつものように踊っていた。このグループは、扇子や剣などを使って演武を行う。なかなか息が合っていて、長続きしているメンバーだ。リーダーの男性は、ハーレーデビットソンに乘ってきており、全員かなり裕福なメンバーのようだ。顔立ちも中国系で、クメール語を話しているが、かなり以前から来ているグループであろう。
 
ラジカセを2-3台持って来ており、2班に分かれて踊っていることもある。以前には、白人の女性が近くで真似をしていたら、招き入れて楽しそうに一緒にやっていた。上手に教えていたので、感心してしばらく見ていたことがあった。下は以前の写真。

 
その他に自転車で来る白髪の婦人がいたが、今日は見かけなかった。彼女は、このグループ員ではなく、個人で踊っていることが常である。かなりの名手で、動きがすごく安定して見える。彼女の周りでは、常に誰かが真似をして踊っていた。特に教えるでもないが、いつも彼女を手本に練習する人たちがいた。今日は見かけなくて残念。
 
カンボジアでも庶民の生活が良くなるとともに、肥満が増え、脳梗塞などの障害を持つ人も多く、リハビリの散歩も見かける。メコン川まで歩くと他にも2-3のグループがあり、カンボジア人も健康に留意していることが伺える。途上国ではどこもそうであるが、収入が多くなると、肥満が増えてくる。長い飢えの期間の後は、まず十分な食事を望むのであろう。日本の戦後もそうであったように。
 
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久しぶりのカンボジア 5 ツクツク(三輪タクシー)

久しぶりのカンボジア 5 ツクツク(三輪タクシー)
 
ツクツクは以前からカンボジア人の足であったが、今回はツクツクが大きく様変わりしていた。以前のツクツクは、オートバイにリヤカーをつけた物で、周囲は丸見え。雨が降るとシートをたれ下げても、かなり吹き込んできた。ところがこの2年ほどで様変わりし、三輪自動車になっていて、ギヤチェンジだけでバックもすることが出来る。
 
驚いたことには、このタクシーはスマホのアプリを使って位置情報が読み取れ、近くにいるタクシーを呼ぶことが出来る。更に、料金もスマホのアプリを使って距離が出て、距離に応じた料金となる。以前のリヤカータクシーの様に、行く先を教えることや(相手はだいたい地図が読めない)、料金交渉に苦労することは無くなった。また以前より距離当たりで、3割程度安くなっているようである。このためかリヤカー型のタクシーは著しく少なくなっている。更にバイクを使ったタクシーもかなり少なくなっている。以前の家の近くにいたチャントンと言う女性の常連のバイクタクシーは健在で、会って思わずハイタッチした。
 
写真は以前からのツクツク。
歩くことの嫌いなカンボジア人であるが、バスも運行がされるようになり、運輸手段が少し変わりつつある。
 
学生時代に農場にオート三輪があり、勝手に使っていて急に曲がってひっくり返したことがある。三輪自動車のタクシーはそれよりも前と後ろの車輪の距離が短く、転倒するリスクは少なくなっているように思われる。
 
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久しぶりのカンボジア 4 インチョン空港の変化

久しぶりのカンボジア 4  インチョン空港の変化
 
久しぶりにアシアナ航空を使い、インチョン空港を経由した。ちょっと高くつくのだが、韓国の変化を見たかった。
 
想像通り、韓国では財閥への風当たりが強く、文大統領はその風を利用して命脈を保っているように見える。インチョンでもその傾向はっきり出ており、以前の雰囲気とはかなり異なっていた。

 
写真は、以前にはロッテの大きな免罪店があった場所。
以前にはロッテなどの免税店が幅を利かせ、大きな免税店をいくつも構えていた。今回は、ロッテの店は小さくなり、全体の数も減っているように見えた。またスターバックスなどの大きな店も、立って商品を受け取れるだけの小さな店になっており、ゆっくり座って飲めるスペースは無くなっていた。また韓国の特産品である「高麗人参」も、以前は「正官庄」だけであったが、現在では多くの商品が出ているようで、価格もかなり高くなっていた。
 
空港全体はかなりすいて居り、以前の賑わいは感じられなかった。
 
アシアナ航空も1988年に始まったころは、皆新しい機体で快適であったが、現在ではかなり傷んできている。前のテーブルは傾いているし、背もたれはボタンを押しても元に戻らない。開業当時の社長が株主総会で追われて、混乱があるとは思っていたが想像以上に落ちてきている。同業他社の大韓航空も、ナッツ姫やら水かけ姫、不正輸入などで揺れているから、同じようなものかと思われる。
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久しぶりのカンボジア 3 スクラップ&ビルド

久しぶりのカンボジア 3 スクラップ&ビルド
 
ほぼ真夜中の空港から市内に、ツクツク(3輪タクシー)で向かった。あちこちの建設ラッシュで、以前とは違った喧騒がある。2015-6年にも来ているので、まだそれほど時間は経っていない。何か違和感を覚えながら、以前に住んでいた近くの安宿で眠った。安宿と言っても、キッチン、リビング、ベットルームとトイレシャワー室で広さもあり、私には充分である。これで15ドル。クーラーも効いている。効き過ぎて消したくても、スイッチが働かないぐらいのトラブルはある。今までに私が泊まった最も安かった宿は、1泊11円ぐらいで、朝に温かいチャイが付いた。タンザニアで移動中の原野の中の一軒家。作り始めで、窓もなければ床もない。でもライオンに舐められるよりましなので1泊した。夜中に強風が来ると、情け容赦なく小石が飛び込んできた。それに比べれば、ズーとまし。また私が長期滞在していたころの家よりも((月150ドル)よりも広い。

 
朝起きて通りに出てみると、あちこち建設ラッシュ。散歩の途中でも、以前に何があったか思い出せないほど各地が変わっている。夜には昔の仲間が集まってくれ、皆で飲みながら現在の状況についての話になった。スクラップ&ビルドで著しく変わってきていると言う。集まったレストランも、昔から見ると中心からずいぶん外側に引っ越していた。中国マネーが流れ込んで、土地の買い占めが横行し、値上がりして家賃も高くなり、移動したと言う。多くのカンボジア人の小さな商売が消滅し、大きなビルが建設され、アパートや商業施設になっていると言う。私が空港から感じていた歪みの正体は、この様なことであったらしい。昔の釣り仲間曰く、よく釣りに行ったシアヌークビル(港町)も、すっかり中国マネーに占領され、ほとんど泊まることもできないと言う。また中国人の起こす事件が多く、年間300人以上逮捕されていると言う。日本のJICAが港の近くに開発した経済特区も、すっかり中国企業に占領されていると言う。中国の土地バブルの崩壊が、こんなところに出ているとは思わなかった。
 
カンボジアの支援を始めたのは、隣に経済力100倍と言われるタイ、50倍と言われるベトナムが隣接していて、大きな搾取を受けている。いつかカンボジア人が自立するには、教育の支援かなと思ってしていたのだが、中国がここまで出張ってくると何か寂しい。確かに有史以前から中国の影響があり、クメール人との判別が難しい人々もいる。しかしこう急に進出されると、どうしてよいか分からなくなりそうだ。でもこれが陸続きの現実かもしれない。
 
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久しぶりのカンボジア 2 物価の高騰2パパイヤ(ラホーン)

久しぶりのカンボジア 2 物価の高騰2パパイヤ(ラホーン)

 

カンボジアに居る時には、朝食に良くパパイヤを食べていた。いつものように朝の散歩のときに、大通りに居る自転車の出張販売の果物屋に近寄ってみた。以前と変わらぬような商売であったが、ここも例外なく値上がり。以前には1Kgを超えるパパイヤが、1ドル程度であったが、2ドルと言う。今回初めてなのでびっくりして、市場で確かめることにした。

写真は、路上の手前がマンゴー、その先はランブータン、自転車の上のオレンジ色がパパイヤ。

 

 

ところが市場でも値段は変わらず、いずれも700g程度物が2ドルと言う。仕方がないので、そのパパイヤとクロチィマ(ライム)を買ってきた。クロチィマも1.5ドルで以前より値上がりしているが、1.5倍程度である。

 

パパイヤは、路上の販売者も市場のものも、以前より形はそろっており、表面の黄色もきれいに出ている。切ってみると皮が固く、内容は甘みが強く明らかに品種がそろってきている。以前はごみ捨て場に出る様な植物で、形もまちまちで、どこの村に行ってもいろいろの形のものがあった。多分市場化が進み、高く売れる系統が選ばれてきて栽培されているように思う。パパイヤは、種をまいてから34月で花を咲かせ、良くなる木では150個を超す果実がなる賢い植物である。チンパンジーの食物の分析をした安里さんが、栄養的にも優れていることを教えてくれた。タンパク質分解酵素(パパイン:青い時の方が多い)、糖分、ビタミンCなどはミカンやイチゴよりも数倍多くこれだけで食事になり得る。しかし味が単調なので、私はいつもライム をかけながら食べる。

 

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久しぶりのカンボジア 1 物価の高騰

久しぶりのカンボジア 1 物価の高騰

私は住んでいたころ、朝飯をよく市場の中にあるお粥屋や簡単な食事処(バイサチュウル:味付け豚の薄焼き乗せご飯)で食べていた。
今回も市場視察を兼ねて、朝食はいつものように市場に出かけた。市場は以前とあまり変わらず、懐かしい人々が働いていた。顔なじみのライムを買った八百屋のおばさん、牛肉屋のオヤジも懐かしがって、ハイタッチをした。


ところが出かけた二つの市場とも、お粥がほぼ倍の値段になっていた。以前が1ドル以内で2000リエルー3000リエル(1ドル4000リエルぐらい)程度であったが、何と2ドルになったいた。
以前に住んでいた家の前のバイサッチュル屋も、約倍の2ドルになったいた。オヤジは懐かしがって、いろいろサービスしてくれたが、庶民の食事はかなりの値上がりである。最低賃金もたびたび上がり、進出工場も利益が薄くなっているとは聞いていたが、庶民の生活は良くなっていそうもない。写真は、クイティウ。


昔の友人に話したら、日本人の誰がそんな市場調査をするんだと言ってバカにされた。確かに市場で朝飯を食べている日本人は見かけなかった。以前には路上のクイティ屋(米の素麺)、バイサッチュル屋など会う仲間が2-3人いたのだが、日本に帰ってしまっていた。
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ご無沙汰しています

ご無沙汰しています

久しぶりにカンボジアに行ってきました。心臓手術を2回してから初めての渡航でした。
風邪をひきかなり難儀をしましたが、何とか戻ってきました。多くの友人に会い色々な仕事も進み、それなりに良かったのですが、結構しんどく、もう少し回復したら報告します。

最後に行ったのは、2016年だったと思いますが、その変化はすさまじく、途上国の問題を感じてきました。
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