カトレアが咲いた

カトレアが咲いた

昨年は夏に水をやるのをサボったら、花が咲かなかった。今年夏はかなり頻繁に水をあげたら、最近花が咲いた。あでやかな花で、香りもよく、毎日楽しみである。

もう数年前に頂いた花で、夏に管理さえよければ咲く。

 

カンボジアに居た時には、借家の庭の木に株が括り付けてあり、奥さんが毎日水をかけていた。絶えず咲いていたように思う。熱帯では普通に管理でき、なかなか見応えがある。日本では、冬には温度が下がりすぎるので、室内に入れなければならない。しかし一気に部屋が明るくなったような気がする。

 

 

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シジミ産地偽装問題

シジミ産地偽装問題

 

昨日から北朝鮮のシジミが、中国や韓国経由で輸入され、北朝鮮に軍事資金が流れていると言う問題がニュースで流れている。

 

皆さんはご存じであろうか。日本からもっと多くの軍事資金が、北朝鮮に流れていることを。パチンコ業界の状況は詳しくは知らないが、かなり大きな金が動いている世界である。40年以上前であるが、大阪市大の医学部にいた頃に、パチンコを業としている家の息子が学生に居た。ある時この家が夜間に強盗に遭って、2000万円ほどが盗まれたと言うニュースがあった。当時彼の家では、7店ほどのパチンコ店を持っていたが、そのうちの一つの店の一日の売り上げであったと言う。当時は夜間の銀行は無く、売り上げを家で保管していたとのこと。皆でその規模の大きさに驚いた。当時の大学助手の我々の給料は、年間で400万円ぐらいであった。

 

日本で一番大きなパチンコ業界のマルハンは、2008年にカンボジアにマルハンバンクなる銀行を設立した。その初代銀行代表者は、元北海道拓殖銀行の行員。よく行くレストランで食事をすることが多く、仲間になった。少し酒癖が悪く、酔い過ぎることがあった。そんなときポロリと仕事内容が分かった。この銀行は日本との取引が出来なく、日本の銀行との送金も受信も出来ていなかった。しかし北朝鮮の銀行とは取引が出来、もっぱら北朝鮮に送金することが、仕事になっていたようである。カンボジアは北朝鮮との国交があり、プノンペンのフンセン首相の家の横には、北朝鮮の大使館がある。また北朝鮮のレストランも、喜び組の卒業者の集団、軍関係の集団、芸術関係の集団のレストランなどがあり、脱走者が出ることが時々あった。

 

マルハンは、パチンコ以外でも広く事業をしており、かなりの利益があるものと思われる。シジミの産地偽装などとは異なる、大きな金が軍事資金に送られていると思われる。

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コロナワクチン5回目

コロナワクチン5回目

 

最近は、若い時よりもワクチンの影響がでる。海外に行っていたころは、ワクチンをよく打ったが、今ほど影響はなかった。一番きつかったのは黄熱病で、2回か3回打たなければならず、授業をするのにかなり疲れてしていたことを思い出した。しかし休むようなことは無かった。

 

最近は、インフルエンザのワクチンでもかなり影響があり、あちこちが痛くなって数日苦労した。やっと治ったころに、コロナワクチンでまた調子が落ちそうだ。今日は午前中に打ったが、午後はおとなしく休んでいた。それでもかなり体は重い。

 

心臓を悪くしてから、やはり血液の循環が悪いのであろう。疲労や風邪などの回復が遅い。特に体調が悪い時には、回復が遅くなる。以前には休めば回復したが、現在は数日かかることもある。食事の後などには、消化に血液がとられるためか、しばらく休まないと疲労感がある。それでも生きているから、考え、歩き、楽しむことが出来る。楽しみは過去の経験と結びつき、新たな感情を産む。テレビなどで山の風景を見ていると、以前に歩いたところが多く、その時の感情が蘇ってくる。最近自然の温泉を巡る番組があったが、私もかなり多くの自然の温泉に入っていたと感心した。何も加工されていない、お湯が沸きだしている場所で、川などの水と混ぜながら、自分の好みの温泉を作るのはなかなか楽しい。北アルプスの雲の平の奥、和歌山の川湯、長野県栄村の「切明」、群馬の「尻焼け」など数えきれない。

 

体は重くとも、生きているのだから、感謝をしながら生きることにしよう。

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ストレスとイライラ 5

ストレスとイライラ 5

 

最近各地の保育園で、保育者から子どもが虐待を受ける例が報告されている。保育者は子ども好きというイメージからは、唖然とするばかりだ。しかし以前にも書いた様に、多くの人々が、ストレスとイライラを日々感じているであろう。現在の社会は、そのような状態にある。許されることでは無いが、ストレスが溜まっていると、突然この様な現象が起きる。

 

いろいろの専門家は、保育士の定員が少ないとか言っているが、本当にそれで解決できるのであろうか。注目しなければならない点がある。

それは正義の味方のように、保育者の非を追究する保護者や関係の人々である。その背景には、追及しているヒトの内面の問題がある。表面には出ていないが、自分の内面に同じ問題を抱えている人の場合が多い。内面に子どもに対する苛立ちを持っている人は、自分の現実を見ないようにするために、外に対する問題の追及をする場合が多い。このような場合には、問題の本質の解決に向かわず、相手を追究する方向に向かう。何の解決にならない場合が多い。

 

現在の日本人は、多くがストレスとイライラを抱えている。これは動物学的には、密度が(人口)が環境の許容量を超えている時に起こる現象である。動物であると急激に密度が下がり、落ち着くと再び増加に代わる。日本の国土の適量は、江戸時代後期ごろと思われる。その程度に密度が下がるまで、減少は続いても不思議ではない。

 

しかしながら、今の我々はこの環境で生きて行かなくてはならない。自分の人生をより確かなものにするのは、本人しかいない。周囲の不安に振り回されずに、自分の歩く道を見つけることであろう。

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イヌに洋服

イヌに洋服

 

最近散歩で出会うイヌは、よくチョッキや腹巻をされている。寒くなって来たからとヒトの感覚で、イヌに防寒をするにはいかがなものか。多分イヌにとっては迷惑な話。

 

もともとイヌは寒さに強く、私の飼っていたイヌは、雪が降ると埋もれて寝ていて平気であった。イヌは汗腺が発達していないので、走って熱くなると冬でも川の中に飛び込む。洋服は迷惑でしかないと思うのだが。

 

最近目につくのは、親が子どもを自分の私物のように思っていることだ。相手の人格を尊重せず、親の都合で動かそうとしている。スーパーなどで見ていると、そのような例が多く、子どもは当然親を信用していない。

 

社会はどのようにあろうと、自分の人生では自分の在り様に責任を持たなければ、自分自身の人生の失敗につながる。イヌの服装を見ていると、人生の在り様も見えてくる気がする。

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サッカー熱

サッカー熱

 

ワールドカップの名残で、日本でもサッカー熱がまだ残っている。

途上国ではどこでも、サッカーが親しまれている。サッカーはほとんど道具が要らず、どこでも楽しめるから。日本の常識では測れない世界だ。

 

タンザニアでは、どこに行っても、子どもたちから大人まで、サッカーを楽しんでいる。ボールは木の皮を剥いた繊維で、その辺のものをまいて使っていたりする。素足で蹴っているが、かなり硬くて痛そうである。しかし素足で生活している彼らはあまり気にしていない。

サッカー場も、斜面になっていることが多い。聞いてみると、中間で交代するから問題は無いと言う。斜面の方が、雨期に水か流れてよいと言う。我々はいつも乾季に行っているので気が付かなかったが、もっともな理由である。 

 

ところで奥地に行くと平たん地が少なく、飛行場まで山の斜面にある。着陸するときは下の方から、出発時には上の方からで、合理的ではある。かなり凸凹していて揺れるが、飛べれば問題は無いのかもしれない。しかし飛行場の上まで行って、滑走路が短くて降りられないなどと言うこともある。そのために振出しに戻ったりする。滑走路にゾウやキリンがいたりすると、上空で待避していることもある。

 

何でもきちんとしている日本からみると、異常のように思われる。しかしそれでも大きな混乱は無いので、良いのかもしれない。

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歎異抄

歎異抄

 

最近新聞で歎異抄の広告をよくみかける。「無人島に持って行くのならこの一冊」と言うキャッチコピーと共に。確かに浄土真宗の教えを分かりやすく解説していて、素晴らしい本であると思う。高森顕徹さんと言われる、浄土真宗の布教に長く携わった方が書かれている本の様である。この本に意義を述べるつもりは全く無い。

 

しかし私が、無人島に持って行くなら「一遍上人語録」である。なぜならば、深い悟りを得られた一遍上人が、簡潔な言葉で真実を語っている。これこそが重要なことで、いろいろの言い回しは必要ない。読んでもすぐに理解できるわけではないが、読み返していると次第にいろいろ感ずるところが出てくる。歎異抄は、やや理屈が勝っているように思われる。

 

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人生の戯言

人生の戯言

 

就職して間もないころ、菅平で体育学部のスキー実習があった。毎年のことであったが、根子岳に上るときに、先導を申し付けられていた。山岳部で世話になった監督さんが体育学部の非常勤講師になっていたので、オイと声をかけられると、いやだと言うわけにはいかない。学生の時にも体育学部の登山授業には、補助役として付いていったことがある。チャッカリ「シーズン体育」の単位もいただけて助かった。

 

体育学部の助手で、私より15歳ぐらい年上の方が、「いつまでも有ると思うな親と金、無いと思うな運と災難」などと言っていた。旨い事を言うものだと感心して聞いていた。その後彼は、東北地方の国立大学に移籍して行った。でもしばらくしてから彼が死んだと知った。元気者だったのに、あっけないものであると痛感した。災難に遭ったのかと思ったりしたが、原因は分からない。

 

浪人していた時に、東大を7年も浪人している人がいた。彼は結局亜細亜大学に特待生で入り、中国などに留学する機会もあったようだ。大きな予備校で、全国の模擬試験でいつも五番以内の成績であったが、東大には向かなかったようだ。彼曰く「世の中で、寝るほど楽は無かりけり、浮世のバカは起きて働く」などと言っていた。当時は若かったので、寝るなどは退屈だと思っていたが、年を取ると良く分かるようになった。当時も、確かにアルバイトで忙しく、時間があったら眠りたいと思っていたが。

 

人生は思いもかけないことを覚えていて不思議なものである。最近はすっかり認知症で、色々覚えるのは苦手になっている。しかし急いでも、冥途に早く着くだけだと思っているから、ばかなことを思い出して楽しんでいる。

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自殺やいじめの問題

自殺やいじめの問題

 

今年もいじめや自殺が増加し続けている。文部科学省はスクールカウンセラーの増加などを言っているが、問題点が見えていない。

 

最近の子どもの生育は、非常に偏っている。ヒトだけを見ていると分からないかもしれないが、動物と比較してみるとよくわかる。サルなどでも社会性は、子ども時代に子ども同士で遊ぶことによって、学習される。社会性の動物は、ほぼ同じように子ども時代に、子ども同士の社会で学習される。ところが現在の日本では、子ども時代に子ども同士の社会で過ごす機会は少ない。保育園や幼稚園で遊んでいるように思われる方もおられるであろう。しかしこれは、子ども同士が遊ぶのとはかなり違い、大人に管理されている。喧嘩もすぐに止められるし、仲直りも自分たちですることは無い。大人に指導されて仲直りをする。こうなると自分自身で仲直りの仕方を、手に入れることは出来ない。巻頭の文部科学省の思考は、この点を見落としている。

 

仲直りばかりでなく、自分の意見を相手に示す方法も獲得できない。異性に自分の意見を伝えることも苦手で、自然と結婚も遠のく。その上に、競争社会で常にストレスに晒されているから、人間関係は難しくなる。少子化の影響は、この辺に大きな原因がある。政府の行っていることは、全く見当外れである。

 

社会の問題としては、いろいろ原因を上げればそれでよいが、自分の問題になるとそれでは済まない。自分自身がどのように対処するか、方法を見つかなければならない。卒業生の皆さんは、子育て真っただ中の方も多い。自分の子どもに対しては、少しでも自由に生きられるように、手助けが重要であろう。

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「死に方が分からない」と言う本

「死に方が分からない」と言う本

 

新聞の広告に載っていたこの本にケチをつけるつもりは全くない。しかし死に方が分からないと心配しなくても、死ぬのは必ず死ぬから心配は無用。

 

それよりも、死に方は生きた様にしか死ねないから、生き方を心配した方が良い。

さてどのように生きるかであるが、人生はいつも一人である。人に助けてもらうことも、人を助けることもできない。これは鎌倉時代の一遍上人の言葉にもある。人生の本質を見つめると、そのことが明らかになる。食べることも排泄することも、人に代わったもらうことは出来ない。自分の人生は、自分しかできない。

 

現代の人は、競争に明け暮れ、人生の本質を見ることをしない。また人口が多くなりすぎて、どこも過剰になっている。地球上の人口が80億を超えたと言う。若いころに参加した、地球上の人口を養える量を調べるユネスコの調査では、80-120億であった。現在はその限界に近づいている。

 

動物は環境の許容量に近づくと、ストレスを感じて行動が異常になる。いつもイライラして攻撃的になる。現在の子どもたちのいじめや自殺は、その傾向を表していると思われる。また世界各地で紛争が起き、争っていることもその表れであろう。自分の人生を見つめて、自分自身を守らなければならない時代になっている。

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