『科学史研究』第II期 38(211), 1999年9月、154-164頁。
“科学”が science の訳語に転用され,日本の学界で使用され始めたのは,1870年代末頃のことであり,民衆の間にほぼ定着したのは20世紀に入ってのちのことであった.当時,専門化されつつあったnatural philosophy, natural science の訳語としてよく使われた用語は,それぞれ多様な含意を持つ“窮理学”,“物理学”,“理学”といった言葉であった.まさに,この時期に,福沢が“窮理学”,“物理学”を用いて自然科学の中身を表現していたのである.福沢が幕末・明治初期に用いていた“窮理学”と,明治十年代以降使用した“物理学”は, natural philosophy, natural science などに対応する訳語であった.両語に込められたニュアンスは完全に同じとは言えないが, “窮理学”も“物理学”も,みな現在の物理学の意味とは異なり,もっと広く経験的・実証的自然の探究,即ち物理学を中心とする自然諸科学を指し示す用語であった.晩年用いられた“数理学”は,彼の思想の脈絡から見れば,数学や統計学などの数理科学と,物理学を中核にする数学的自然科学の総称と解してよい.(「むすび」 引用はこちらから)
丁寧で緻密な資料博捜と論述。もっとも結論は『福翁自伝』をはじめとする福澤の著作の原文をすなおに読めば最初から分かる筈の結論だが、これしきも読解できない人間が福澤を論じているような気もするので(「脱亜論」の“処分”という語をめぐる解釈を見る限りそうとしか思えない)、やはり必要な研究なのだろう。
しかし周程という人は、これだけ手堅い実証研究ができるのに、これ以上のいわば演繹になると無茶苦茶になるのはなぜだろう。いま調べてみると、著者は中国自然辩证法研究会常务理事も務めておられるそうだ(『百度百科』「周程」「社会兼职」項)。その立場による曲学の弁だろうか。
“科学”が science の訳語に転用され,日本の学界で使用され始めたのは,1870年代末頃のことであり,民衆の間にほぼ定着したのは20世紀に入ってのちのことであった.当時,専門化されつつあったnatural philosophy, natural science の訳語としてよく使われた用語は,それぞれ多様な含意を持つ“窮理学”,“物理学”,“理学”といった言葉であった.まさに,この時期に,福沢が“窮理学”,“物理学”を用いて自然科学の中身を表現していたのである.福沢が幕末・明治初期に用いていた“窮理学”と,明治十年代以降使用した“物理学”は, natural philosophy, natural science などに対応する訳語であった.両語に込められたニュアンスは完全に同じとは言えないが, “窮理学”も“物理学”も,みな現在の物理学の意味とは異なり,もっと広く経験的・実証的自然の探究,即ち物理学を中心とする自然諸科学を指し示す用語であった.晩年用いられた“数理学”は,彼の思想の脈絡から見れば,数学や統計学などの数理科学と,物理学を中核にする数学的自然科学の総称と解してよい.(「むすび」 引用はこちらから)
丁寧で緻密な資料博捜と論述。もっとも結論は『福翁自伝』をはじめとする福澤の著作の原文をすなおに読めば最初から分かる筈の結論だが、これしきも読解できない人間が福澤を論じているような気もするので(「脱亜論」の“処分”という語をめぐる解釈を見る限りそうとしか思えない)、やはり必要な研究なのだろう。
しかし周程という人は、これだけ手堅い実証研究ができるのに、これ以上のいわば演繹になると無茶苦茶になるのはなぜだろう。いま調べてみると、著者は中国自然辩证法研究会常务理事も務めておられるそうだ(『百度百科』「周程」「社会兼职」項)。その立場による曲学の弁だろうか。