書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

周程 「福沢諭吉の科学概念 "窮理学""物理学""数理学"を中心にして」

2014年09月23日 | 日本史
 『福澤諭吉年鑑』27、2000年12月、同書93-111頁。
 再読

 「2 サイエンスに充てられた訳語」より抜き書き。

 一見したところ,朱子の窮理は,科学上の探究を示唆しているようにみえるが,実際はそうではない.それというのも,程頤と朱熹において,窮理の対象には,自然の“物”だけではなく,社会の“事”も,さらに著書も,区別なく含まれていたからである.つまり,朱子が追究した“知”ないし“理”は,自然の“物理”ばかりではなく,社会の“倫理”をも含んでいたのである.しかも,彼らにとっての窮理の究極的目的は,人間の倫理を認識し“天下を平らにする”ところにあった.

 だから、

 程朱の窮理学ないし理学は,その源流にしろ,内容にしろ,アリストテレス以来の自然学(physica),あるいは自然哲学(natural philosophy)と異なっている.だが,両者の間に何らの類似点もないとまでは言えない.少なくとも宇宙の万物に即して,その“理”を明かにする点において,朱子の“格物窮理”は西洋近代合理主義思想とある種の類似性を持っている.

 そして、

 恐らくこういった理由から,17世紀半ば向井玄松と沢野忠庵が西洋の自然(哲)学を表現しようとした時,“窮理”という言葉を借用し,後にこの使い方が本木良永,司馬江漢,杉田玄白,帆足万里,佐久間象山などの蘭学者らによって受け継がれたのであろう.

 だが、

 ただし,蘭学者においては,程朱の窮理の対象としての“事”,“物”は客観的な自然物に即するという方向に転回され,窮理は実証性を伴って自然物を探究し,さらに自然物の理(法則)を追究する意味に変化していたことが確認される.即ち,蘭学者が用いていた窮理学の意味は次第に変容して,窮物理学,物理学,理学を指すようになっていたのである.

 そして前回引用した、「むすび」での福澤の科学理解について。

 “科学”が science の訳語に転用され,日本の学界で使用され始めたのは,1870年代末頃のことであり,民衆の間にほぼ定着したのは20世紀に入ってのちのことであった.当時,専門化されつつあったnatural philosophy, natural science の訳語としてよく使われた用語は,それぞれ多様な含意を持つ“窮理学”,“物理学”,“理学”といった言葉であった.まさに,この時期に,福沢が“窮理学”,“物理学”を用いて自然科学の中身を表現していたのである.福沢が幕末・明治初期に用いていた“窮理学”と,明治十年代以降使用した“物理学”は, natural philosophy, natural science などに対応する訳語であった.両語に込められたニュアンスは完全に同じとは言えないが, “窮理学”も“物理学”も,みな現在の物理学の意味とは異なり,もっと広く経験的・実証的自然の探究,即ち物理学を中心とする自然諸科学を指し示す用語であった.晩年用いられた“数理学”は,彼の思想の脈絡から見れば,数学や統計学などの数理科学と,物理学を中核にする数学的自然科学の総称と解してよい.

 となる。