書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

泉井久之助/岩田義一/藤沢令夫訳 『世界古典文学全集』 21 「ウェルギリウス ルクレティウス」

2012年03月20日 | 西洋史
 2012年03月13日「出隆/岩崎允胤訳 『エピクロス 教説と手紙』」から続き。ルクレチウスの原典を読む。彼の神の存在を認める無神論とはこのようなものだ。

 それゆえ精神のこの恐怖と暗黒とを追いはらうものは 
 太陽の光線でもなく、白日の輝く矢でもなくて
 自然の形象とその理法でなければならない。
 それの原理を私たちはこのことからはじめなくてはならない、すなわち
 無からはたとえ神意によっても何物も生れないということ。
 まことに恐怖が死すべきものどもすべてを捕らえて離さぬのも
 地上と天上において見られる多くの現象が、
 その原因をなんとしても知ることができずに
 神々の意思によってなれると信じられているからである。
 それゆえ無からは何物も生じえないことを知るなら、その時は、
 私たちが探究しているものをすでにより正しく、これからは 
 見きわめることになるだろう。すなわち物はそれぞれ何からつくられ、
 どんなふうにして、万事は神々の働きなしに生じうるかを。 

  (岩田義一/藤沢令夫訳「事物の本性について 宇宙論」第一巻 146-158、本書294頁)

 ルクレチウスがエピクロスと異なっているのは、観察不可能なものについて臆測で断定しないという態度が徹底しないところである。古代社会の有様など、自身で見られたはずのない事柄を、まるで見てきたかのように描いている。詩人であり詩であるからというジャンルや文体上からの説明は当然ありえるであろうが、唯物思想――神秘主義の否定および原子論、徹底した自然の観察と客観的証拠の重視――を論じる作品の性格以上、その不徹底さは精神と思惟のそれをも示すものと考えざるを得ない。
 さらに、これは本書巻末の「解説」で訳者の一人藤沢氏も述べておられることだが、ルクレチウスの筆致にはすくなからず飛躍があって、論理が追いにくい。「それゆえ」とか「かくして」という接続詞を彼は多用するのだが、「すぐ前で言われていた事柄の続きからだけ考えれば、何が『それゆえ』であり『かくして』であるのか、皆目わからないことがよくある」(「解説」461頁)。さしずめ、上で引いた段落の最初の「それゆえ」など、まさしくその部類に入ろう。
 私はこの作品を通読していて、どうも文意がつかみにくくまた読みづらいと感じたが、おそらくはこの理由によるのであろう。そしてさらに付け加えるとすれば二つ、一つは、ルクレチウスが本来何物かを指すべき代名詞をしばしばその名詞より先に使用する点、二つ目は、その代名詞自体を多用することで、すくなくとも日本語訳では文体がやや弛緩冗長に陥りがちだという点もまた、その理由として挙げることができようか。これら二点についても、上掲段落から読者は容易に窺うことができると思う。

(筑摩書房 1965年6月第1刷 1983年1月第4刷)

宮脇淳子/岡田英弘 『真実の中国史 1840-1949』

2012年03月13日 | 東洋史
 〔・・・〕ですから私も「中国の言うことを気にするな」としょっちゅう言っているのです。真面目に受け取る日本人は馬鹿みたいで、中国は日本人が言っていることも、全部ウソだとたぶん思っています。日本人が真面目に本当のことを言っているのに対しても、「自分たち(日本)に都合のいいことしか言っていないだろう」と。向こうは頭から思っているのです。日本がふっかっけているに違いないとしか思っていないので、日本がどんなに本当のことを言っても、やはりダメなのです。 (「第三章 国とは呼べない中華民国からはじめて国家意識が生まれる 【1901~1930】」本書217-218頁)

 私もそのとおりだと思う。国家や政府を背負った時の中国人の“公式”発言は。
 何故そうなのかについては、畏友林思雲氏に教えてもらった。文中〔〕は、引用者による注。

 西洋で創造された諸学問のうち、もっとも重要な意義を有するのは科学だろう。科学は事実や心理の探究を唯一の目的とする。/中国に科学が誕生しなかった最大の原因のひとつは、“避諱〔恥となる物事を隠すこと〕”の文化だと、私は考えている。中国人にとって事実や真理はさして重要ではなかったからだ。偉大な人物や国家、自民族の名誉のほうが重要であって、必要とあらば事実や真理などはどこかへ放り出して名誉を護る。 (『続・中国人と日本人 ホンネの対話』日中出版、2006年5月、同書17頁)

(李白社 2011年10月)

出隆/岩崎允胤訳 『エピクロス 教説と手紙』

2012年03月13日 | 西洋史
 物理学者ウィリアム・ヘンリー・ブラッグ(1862-1942)は、ローマ時代の原子論者ルクレチウス(前1世紀)の同名の詩を慕ってつけた「宇宙をつくるものアトム」(講演)のなかで、ルクレチウスの原子論の欠点は、アトムは無数にあるわけではなく、わずか数種しか存在しないこと、とくに同種のアトムは全く同じであることを知らなかったことだと、指摘している(国分一太郎/亀井理編訳『宇宙をつくるものアトム』国土社、1965年3月)
 その誤りは、ルクレチウスが先達と仰ぐギリシャ時代の原子論者エピクロス(前4-3世紀)から引き継いだものだった。「ヘロドトス宛の手紙」、「4 原子の形状の相違」(本書14頁)。
 行き着くところが無神論であることも同じ。唯物論はとどのつまりは一切の神秘の否定(たとえば人間の霊魂をも原子から成る自体的=物質的存在とする)であり、神ですら実体、「不死で至福な生者」、人間生活とは何の関わりもない存在だと言うだから(「メノイケウス宛の手紙」本書66頁)。すなわち通常の意味でいうところの無神論に等しいであろう。
 いま一つエピクロスで驚嘆すること。観察可能なものと不可能なものを識別し、後者については、臆測で断定してはならないとしており、自身も、後者に言及する場合(自然現象や天体の運動について)には「ありうる」「可能性がある」と、決して断定しないところ。「ピュトクレス宛の手紙」、「5 月」(本書48頁)。

(岩波書店 1959年4月第1刷 1996年7月第27刷)

ショウペンハウエル著 斎藤信治訳 『自殺について 他四篇』

2012年03月13日 | 人文科学
 一般的に言って、生命の恐怖が死の恐怖にたちまさる段階に到達するや否や、人間はおのが生命に終止符を打つものであることが、見いだされるであろう。 (「自殺について」本書80頁)

 言っていることはあまりたいしたこととは思えないが、このくだりは目の付け所が秀逸だ。しかし訳文の日本語がなんともいえず平板な。「見いだされるであろう」は、ドイツ語の原文でもこのような語法があるのかもしれないが、「一般的に言って」は、これはあきらかに直訳にすぎる。「およそ」とか「概して」とかの副詞にして、後続の文中に潜ませるべきではないだろうか。

(岩波書店 1952年10月第1刷 1994年10月第54刷)

高原基彰 書評「「中国化」という多層的な概念で日本近現代史を整理  与那覇潤著『中国化する日本』」

2012年03月12日 | 地域研究
 『東方』373号収録(26-29頁)。

 〔・・・〕しかし〔著者の言う「中国化」という概念の意味内容であるところの〕これら三点は、現実に存在する中国社会とは、ほぼ関係がない。著者は現在の中国を理解するのに本書が有効であると述べているが、それは著者のサービス精神の現れであり、「中国化」というのはあくまで日本社会の分析のための「理念型」であることを、読者は理解する必要がある。 (29頁)

 高原氏が「管見によれば大きく以下のようにまとめられるのではないか」と謙遜しつつ簡明に列挙される「三点」とは、以下の通りである。
 
 (1) 近世日本史の考察として、西洋化=近代化という図式に固執する観点が見落としてきた宋朝中国の影響。
 (2) これまで日本研究の分野で論じられてきた、日本社会の諸特徴とされる事象を、裏返して批判的に捉え直す理論装置。
 (3) 福祉国家と新自由主義、前期/後期近代などといった形で論じられてきた、主に一九七〇年代以後の「グローバル化」を解釈するための概念群。
 (29頁)

 氏の要約が正しいかどうかはここでは措く。私の問題とするのは、これら三点が、「あくまで日本社会の分析のための「理念型」であ」って「現実に存在する中国社会とは、ほぼ関係がない」という評者の判断であり、よしんばそうであるならば――私はそうであると思うが――、「現在の中国を理解するのに本書が有効であると述べている」著者の言動は、果たして「サービス精神の現れ」で片づけられるのかということだ。

(東方書店 2012年3月)

菅原正子 『占いと中世人 政治・学問・合戦』

2012年03月06日 | 日本史
 中世の日本人は、いくら身を慎み善行を積んでも天命がほほえむかどうかは限らない――というよりわからない――と考えていたので、それが当時広く見られるニヒリズムのもとになっていたと、誰かの中世史概説にあったのだが、そういう方面の話はなかった。いかに中世人が占いに頼っていたかはここにある豊富な実例で知ることができた。わからないからいっそう占いに頼るという心理的メカニズムかと思えば納得できる。
 それにしても秀吉は島津氏の占いのところで名だけ出てあと自身の例がひとつも出てこないが、まったく(史料に残っているだけでも)占いというものをしなかったのだろうか。

(講談社 2011年2月)

Георгий Владимирович Вернадский 『Монголы и Русь』

2012年03月06日 | 世界史
 ジョージ・ベルナツキー『モンゴル人とルーシ』。モンゴル帝国(ジョチ・ウルスとその後継国家)とロシア(ルーシは当時のロシアの名)の関係史。2009年10月02日「土肥恒之 『興亡の世界史』 14 「ロシア・ロマノフ朝の大地」」より続き。
 ユーラシア学派のうちに入るとはいえ、モンゴル支配を何でも賛美するわけではなく、ベルナツキーは、少なくともこの本ではそれほど極端な主張をしていない。二百数十年の間支配され、その後も16世紀、完全には17世紀半ばないし18世紀までその後継国家との密接あるいは複雑な交渉が続いたのであるから、何らかの影響をルーシが受けるのは当然であり、その視点からロシア史を叙述するという立場のようである。政治・経済・社会的な影響には、直轄ないし間接支配・略奪・破壊・搾取(貢税)といった負の面におけるものも当然含まれるが、著者は価値判断を下すことなく、すべてを中立的に記している。モンゴルの支配によるそれまで分立していたルーシの合同、結果としての中央集権国家の誕生といういわば肯定的なものも含めて。
 それに、ベルナツキーは、ハーンとツァーリの称号について、それぞれ別のものとして、それ以上何の触れるところもない。ツァーリの称号は最初ビザンティン皇帝に対して、ついでモンゴルのハーンに対して用いられたロシア側の自称と述べるのみである(412頁。この点については後述)。

 以下は、2010年11月04日「ラヒムジャーノフ 『カシモフ・ハーン国(1445-1552)歴史概論』 ③」からの続きとなる。
 注1、「1432年のモスクワ大公即位にあたり、ヴァシーリー二世は、ウルグ・ムハンマド・ハーン(ツァーリ)の手から、モスクワで君主たるべしとのヤルルィク〔引用者注・勅書〕を受けた。」の根拠となる史料がわかった。同様の記述がこの本にもあり(341頁)、その注(162)および巻末の参考引用文献リスト(485頁)で、Псковские летописи 1, Псковская первая летопись, А.Н. Насонов, ред. (Москва-Ленинград, 1941) であることが明らかになった。
 なおベルナツキーは、ラヒムジャーノフが“ウルグ・ムハンマド・ハーン(ツァーリ)”としてある箇所から“ハーン(ツァーリ)”を省いている。もとの Псковские летописи (『プスコフ年代記』)がそうなのかどうか。
 
(Москва: Ломоносовъ, 5.2011)

林毓生著 丸山松幸/陳正醍訳 『中国の思想的危機 陳独秀 胡適 魯迅』

2012年03月04日 | 東洋史
 著者のキーワードは、“総体論的反伝統主義”もしくは“伝統破壊主義的総体論”。
 これは、中国の欠点(と見なされるもの)を、中国がこれまでに置かれてきた歴史的・環境的な文脈から分析・理解することなく、その時点における価値基準から、文化的な欠陥としてとらえ、すべて否定・破壊しようとする立場と、要約できるであろう。著者は、五四運動をはじめ、そのあとの文化大革命も、天安門事件にいたる学生・知識人運動(たとえば『河觴』)も、すべてそうであるというのだが(そして五四運動を担った陳独秀も、胡適も、魯迅も、みなそうだと)、どうかねえ。

(研文出版 1989年11月)

胡適 『胡適全集』 第拾捌巻

2012年03月04日 | 東洋史
 ●「胡適口述自伝」(1986年刊)

  私は、民主とは生活方式であり、習慣化した行為であると考える。科学とは思想と知識における法則だ。科学と民主の両者が相俟ってある心理的状態をかたち作り、行動の習慣を形成するのである。 (「五四運動」)

  陳独秀は、ソ連共産党の秘密代表から科学的社会主義こそが真の科学であり民主であると吹き込まれて道を誤った。 (同上)

 感想。胡適の悲劇は、五四運動から死ぬまでの半世紀ちかく、口を酸っぱくして同じことを同じ次元で言い続けなければならないことだった。

(安徽教育出版社 2003年9月)