書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

藤原定家 『毎月抄』

2012年03月26日 | 芸術
 三枝博音編『日本哲学思想全書』第11巻「藝術 歌論篇」所収。
 有名な「紅旗征戎吾が事に非ず(紅旗征戎非吾事)」の句が若い頃の行蔵を弁護するために後から書き足されたものだという指摘を聞いて、卑劣な奴だと余り好きではなかったが(注)、「本歌取りは、あまり多用するものではない。一首にせいぜい二語、上と下に各一つまでにせよ」とか、歌のよしあしとはその歌自身の出来不出来のことである、作者の権威に目を眩まされるな、名のある歌詠みでも出来の悪い作もあるという教えを見て、これも一廉の人物であると見直した。

 。「ウェキペディア」で「藤原定家」を閲してみると、このエピソードについての言及がない。私の記憶違いだったのだろうか。

(平凡社 1956年4月初版第1刷 1980年7月第2版第1刷)

山田慶児責任編集 『日本の名著』 20 「三浦梅園」

2012年03月26日 | 自然科学
 『玄語』(抄)、『贅語』(抄)、『造物餘譚』収録。この本、総742頁とかなり分厚。そのうえ冒頭山田氏の解説が295頁にも及び、さらに途中『玄語』と『贅語』の間に、吉田忠氏のさらなる解説(364-412頁)があらためて加えられるという、このシリーズのなかでは相当異質な造りである。これらすべては三浦梅園の哲学の持つ、極端な難解さによる。
 基本的に明末清初の西洋宣教師によって紹介された水準の自然科学知識しかなく、ニュートン力学を知ることのなかった梅園の理論が、陰陽五行と気の哲学に基づく、緻密とはいえ思弁的なものであったことは彼についてなんら評価を下げるものではない。彼は、自らの言うところに従えば、生来「世の中ではそうなっているから」という考え方を理解できない、きわめて自律的な思考の人間だったという。しかし晩年、地動説を耳にして検討することもなくそれを一蹴した点において、私は彼をそれほど偉い人間ではないと判断する。なぜなら徹底的に自律的ではなかったということだからだ。たとえば彼にとってさえはるかな古人であるところのソクラテスに及ばぬだろう。

(中央公論社 1983年8月)