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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

森島守人 『陰謀・暗殺・軍刀 一外交官の回想』

2008年06月14日 | 東洋史
 著者は、通州事件(昭和12・1937年7月29日)発生の一報を受けて、現地の責任者(在北京日本大使館参事官。当時は中華民国日本帝国大使館参事官)として直接その処理に当たった人。当事者の説明を聴く。本書127-131頁。
 この出来事について、他書にはどう書かれているのだろうか。

●『ウィキペディア』「通州事件」
 〈http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6)

 通州とは、北平(現在の北京市)の東約12kmにあった通県(現在の北京市通州区北部)の中心都市である。当時ここには、日本の傀儡政権であった冀東防共自治政府が置かれていたが、1937年7月29日、約3000人の冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、華北各地の日本軍留守部隊約110名と婦女子を含む日本人居留民(当時、日本統治下だった朝鮮出身者を含む。)約420名を襲撃し、約230名が虐殺された。これにより通州特務機関は全滅。
 事件の原因は、日本軍機が華北の各所を爆撃した際に、通州の保安隊兵舎をも誤爆したことの報復であるとする説明が一般的だったが、近年は反乱首謀者である張慶餘の回想記により、中国側第二十九軍との間に事前密約があったとの説も有力になっている。
 なお、中国側ではむしろ「抗日蜂起」と看做されている。

 張慶餘とは何者ぞ。
 彼は、冀東保安隊第一総隊長(当時)である。

●『南京事件-日中戦争 小さな資料集』「『通州事件』ー直接の引き金」
 〈http://www.geocities.jp/yu77799/tuushuu/tuushuu2.html〉

 秦郁彦「盧溝橋事件の研究」より

 張慶餘は、回想記のなかで久しく以前から抗日を決意し、冀察幹部と通謀して反乱の機会を狙っていたと主張するが、二十七日早朝の戦闘で傳営(ゆう注 「傳営長」の誤植と思われます。中国側第ニ九軍)と共に戦う機会を見送っている点からみても、説得力は乏しい。むしろ保身に徹するか、勝ち馬に乗ろうとして形勢を観望していたと思われる。(P316~P317)
 通州で反乱にぶつかり九死に一生を得た同盟の安藤記者も、二十八日夕方に冀東政府内で同主旨のラジオ放送を聞いているから、張慶餘らはこのデマに踊って反乱に踏み切ったのかも知れない。誤爆や萱島連隊の移動は、それを促進する材料となったのであろう。(P317)

 『盧溝橋事件の研究』(東大出版界)は、1996年12月出版。

●本欄2003年8月4日(月)◆秦郁彦 『現代史の争点』 (文藝春秋)
 〈http://toueironsetsu.web.fc2.com/booktoday/bt200308/bt0308.htm〉

 3.通州事件は、「実は日本のカイライ政権である冀東政府の保安隊が、日本機に通州の兵舎を誤爆され、疑心暗鬼となって起こした反乱によるもの」であって、中国側の日本にたいする虐殺とはいえないこと。(「昭和史の『修正主義史観』を排す」 229頁)

 『現代史の争点』は1998年5月出版だが、「昭和史の『修正主義史観』を排す」は「諸君!」1989年11月号に掲載されたもの(原題「謙虚な昭和史研究を」)。つまり、『盧溝橋事件の研究』のほうが後になる。要するに、秦氏の見方は、誤爆を主原因とする見方からそれを要因の一つとする見方へと変化したということだが、しかし「陰謀説」にも与していない。
 それにしても、思い返してもひどいのは、狭間直樹氏の通州事件と事件に関連する言説である。

●本欄2000年11月28日(水)◆狭間直樹・長崎暢子著 『世界の歴史 27 自立へ向かうアジア』 (中央公論新社)
 〈http://toueironsetsu.web.fc2.com/booktoday/bt200111/bt0111.htm〉

 狭間氏は、上海事変時の「上海での『海軍陸戦隊の砲撃』」という当時の写真説明について、「隣国人の生活、生命への配慮はまったくない」と批判している(135頁。「南京国民政府の時代」、“上海事変”項)。また氏は、世上伝えられる、日本軍によるこの際の南京での様々な残虐行為に関して、”それらはいずれも、今のわれわれの感性からいえば、あまりにもひどすぎる。犠牲となった人びとの無念は晴らしようがないだろう” (172頁)と書く。
 まさにそのとおりであるが、通州事件について、“中国の保安隊が反乱を起こして日本人居留民約150名を虐殺した”と書いて、その非をならすどころか、 “日本の侵略に不満もあろうから反乱を起こしても不思議ではない”(165-166頁、「抗日戦争、そして惨勝」、“七七盧溝橋事件”項)と断じている。氏にとっては、よほど取るに足らぬ問題らしく、通州事件の起こった日付(1937年7月29日)すら書いていない。
  「日本が侵略したために中国の民衆が一方的に災難を被った(略)。日本の民衆もたしかに戦争の被害を受けたが、それは自国が起こした侵略戦争において、加害者として振る舞った結果としての被害だった」(201頁)
  「物理的な被害としては同じであっても、それが持つ歴史的な意味あいはまるで正反対のものである」(同頁)
 氏の批判がもっぱら日本軍、日本人のほうに向けられて、中国人の“隣国人の生活、生命への配慮”については不問に付すのは、氏にとって、日本人は加害者であるから殺されて当然どころか、正反対の意味合いであるから、中国人が日本人(氏も注記されているように、殺された150人の7割は朝鮮人なのだそうだが)殺すのは正義であるという理屈らしい。さらに、非難の反対は賞賛である以上、氏は、その論理に忠実に従えば、中国人が日本人を殺すのは被害者が加害者を殺すのは当然であるだけでなく賞賛されるべき行為だと、主張していることになる。

 繰り返すが、気は確かなのだろうか?

(岩波書店 1950年6月第1刷 1998年12月第12刷)

「MSN産経ニュース」、「『戦争も排除せず』尖閣問題で台湾行政院長」から

2008年06月14日 | 抜き書き
 2008年6月13日20時27分の日付。
〈http://sankei.jp.msn.com/world/china/080613/chn0806132028016-n1.htm〉

“5月に政権復帰した国民党は、「一つの中国は中華民国」という虚構を抱え、沖縄県は「琉球」と表記して「自国領土」とみなし、尖閣への領有権を主張している。”

 今後もし、国民党系の御用学者が福沢諭吉の「脱亜論」をもちだし、遠山茂樹が行ったのと同じ箇所を省略して「脱亜論」の末尾部分を引用し、かつその中にある「処分」の語を文化的・人種的に血なまぐさい天皇制軍国主義国家日本と日本民族が数百年来抱き続けてきた中国併呑の野望の証拠であるとして非難するなら、中台統一の可能性はかなり高いというのが、私の観察である。

厳家祺/高皋著 辻康吾監訳 『文化大革命十年史』 上下

2008年06月13日 | 東洋史
 佐藤美穂子ほか訳。

“劉少奇が病気になっても、医療看護員は親切に応対するわけにはいかなかった。診察の前には必ずひとしきり罵声を浴びせ、検査のときも「中国のフルシチョフめ」と何度か罵らなければならなかった。医療看護員の中には診察のさい聴診器でわざと殴りつけるような良心のかけらもない医者もいたし、注射のときやたらに針でつついたり刺したりする看護士もいた。” (「第十章 劉少奇最後の日々」、上巻152頁)

 要するに劉少奇は、彼らの“ふり”で、死に至らしめられたわけである。正確には病死だが、まともな治療を受けられず、そのうえ虐待されたあげくの死なら、「殺された」と言っても良いのではないか。
 伊藤律の遭った目は、劉少奇のそれに酷似している。伊藤の回想(『伊藤律回想録 北京幽閉二七年』)に、政治状況が変わる(あるいは権力の座にある者が変わる)たびに言動から日常のふるまいまで、そのときどきの大勢に合わせて、まったくの別人と言ってもいいほどに豹変する、ある種の中国人の姿が描かれている。
 伊藤は幸いにも生き延びることができたが(本人の言うところによれば一度、本当に――つまり故意に――殺されかけたらしいけれども)、文化大革命時期に受けた虐待のため、肉体的にはほとんど廃人同様となった。

(岩波書店 1996年12月)

張雲生著 竹内実監修 徳岡仁訳 『全訳 林彪秘書回想録』 から

2008年06月12日 | 抜き書き
 林立果(林彪の息子)の言葉。

“問題は別に歴史的問題があるかどうかにはなくて、打倒するかどうかにあるんじゃないのか(中略)。あんたは純真だね。羅瑞卿がやられたのは、歴史的問題があったのか。蕭華はどんな歴史的問題だった。理屈からいえば、楊〔成武〕参謀長代理は打倒されるはずはないじゃないか。しかし、問題にする人間が〔問題があるとされる人間を〕打倒するつもりかどうかを見なければならないんだよ”(「第6章 『楊成武・余立金・傅崇碧事件』始末」、本書141頁) 

 言葉は行為を正当化するためにもっぱら用いられるということ。

(蒼蒼社 1989年5月)

毛里和子 『中国とソ連』

2008年06月11日 | 抜き書き
“文化大革命にはさまざまな側面がある。ある面では毛沢東がしかけた権力闘争だし、また官僚主義に対する大衆の行きどころのない不満が爆発したという面もある。だが思想的には、ソ連の「修正主義」をたたき、中国への浸透を防ぐためのものだった。毛沢東がしかけた反ソの一大実験だったのである。毛の頭の中にあったのは、なにがなんでもソ連とはちがう社会をつくることだったにちがいない。” (「Ⅲ 対立と対決の20年」、本書81-82頁)

 看来,这种说法基本上跟严家祺、高皋的《文化大革命十年史》一样(该书上卷第10页)。

(岩波書店 1989年5月)

春名幹男 『秘密のファイル CIAの対日工作』 下から

2008年06月11日 | 抜き書き
“実は、総裁選挙では、/They had put their money on Kishi・・・・・・/と、英外交文書は明記している。この They とはアメリカのことだ。英語で put money on A というのは普通「Aに賭ける」という比喩的な意味。だから、/「アメリカは岸に賭けた」/という意味だ。money という言葉にぎょっとするが、ここでは、実際に岸のために金を使ったわけではなく、岸の勝利を期待していた、という程度の意味だろう。” (「第八章 政界工作」、本書192頁)

 比喩ではなかったかもしれない。
 ただし、

“「岸はわれわれのエージェント(代理人、スパイの意味)ではなく、同盟者だった」/と、ビクター・マーケッティ元CIA副長官補佐官は言う。” (同上、本書278頁)

 と云うが、これは果たして日本人向けのリップサービスか否か。
 そもそもここで言う“エージェント”とは何の謂か。ザイール(現コンゴ民主共和国)のモブツ・セセ・セコ大統領などは、エージェントと「位置づけられていた」そうだが。

"An agent of influence is a well-placed, trusted contact who actively and consciously serves a foreign interest or foreign intelligence services on some matters while retaining his integrity on others. Agent of influence might also refer to an unwitting contact that is manipulated to take actions that advanced interests on specific issues of common concern." ("Agent of influence," from Wikipedia)

 では、広すぎる。
 
(新潮社版 2000年9月)

思考の断片の断片(58)

2008年06月10日 | 思考の断片
Social capital
From Wikipedia
<http://en.wikipedia.org/wiki/Social_capital>
Social capital is a concept in business, economics, organizational behaviour, political science, public health, sociology and natural resources management that refers to connections within and between social networks. Though there are in fact a variety of inter-related definitions of this term, which have been described as "something of a cure-all" for the problems of modern society, they tend to share the core idea "that social networks have value. Just as a screwdriver (physical capital) or a college education (human capital) can increase productivity (both individual and collective), so too social contacts affect the productivity of individuals and groups".

Social capital lends itself to multiple definitions, interpretations, and uses. David Halpern argues that the popularity of social capital for policymakers is linked to the concept's duality, coming because "it has a hard nosed economic feel while restating the importance of the social." For researchers, the term is popular partly due to the broad range of outcomes it can explain; the multiplicity of uses for social capital has led to a multiplicity of definitions. Social capital has been used at various times to explain superior managerial performance, improved performance of functionally diverse groups, the value derived from strategic alliances and enhanced supply chain relations.


It is highly appropritate to say that the concept of "social capital" should not be used in any scientific argument, like that of "memes":


Meme
From Wikipedia
<http://en.wikipedia.org/wiki/Meme>
In much the same way that the selfish gene concept offers a way of understanding and reasoning about aspects of biological evolution, the meme concept can conceivably assist in the better understanding of some otherwise puzzling aspects of human culture. However, if one cannot test for "better" empirically, the question will remain whether or not the meme concept counts as a valid scientific theory. Memetics thus remains a science in its infancy, a protoscience to proponents, or a pseudoscience to detractors.

Another objection to the study of the evolution of memes in genetic terms (although not to the existence of memes) involves the fact that the cumulative evolution of genes depends on biological selection-pressures neither too great nor too small in relation to mutation-rates. There seems no reason to think that the same balance will exist in the selection pressures on memes.

Some controversy has become associated with the word meme itself: partly because Richard Dawkins (a self-proclaimed atheist) champions critical thinking and publicly challenges irrational beliefs. He has appeared on television to expose as frauds psychics and mediums who charge fees for their services. As a personality, Dawkins appears to some as a crusader against faith-based belief systems, and many of those who come under his scrutiny come to criticize him and the concept of "memes". However, some doubters of memetics challenge the concept of "memes" on a scholastic level and divorce their criticism of memetics from an argumentum ad hominem criticism of Dawkins and his personal views.

重光葵著 伊藤隆/渡邊行男編 『重光葵手記』

2008年06月09日 | 日本史
 この長年(昭和13年から23年)にわたって書き継がれた膨大な手記(700頁弱)は、一体誰にあてて書かれたものだったのだろう。自分自身か、それとも誰か別の読者がいたのか(実際に読ませるかどうかは別として)。だが自分自身のためだけに記されたにしては、行文に自明のこととして省略した部分がないようだ。自己の思考を整理する目的で、敢えてすべてを言語化したのか、それとも後世に残すための記録という意識がやはりあったか。

(中央公論社 1986年11月)