●「朝鮮戦争、真の勝者はユーゴスラビア」(上)
「朝鮮日報」2008/06/15 10:28:58
〈http://www.chosunonline.com/article/20080615000009〉
●「朝鮮戦争、真の勝者はユーゴスラビア」(下)
「朝鮮日報」008/06/15 10:29:02
〈http://www.chosunonline.com/article/20080615000010〉
「今朝未明、北朝鮮人民民主主義共和国の軍隊が、日本軍の武装解除のために米ソ間で樹立した北緯38度の全境界線を越え、韓国侵攻に突入した」。1950 年6月25日、東ヨーロッパのある社会主義国家の国営新聞ボルバはこのように報じた。北朝鮮とソ連が、戦争勃発の状況を「韓国軍の先制攻撃を撃退し、反撃を試みた」と歪曲(わいきょく)して宣伝していたそのときに、この国は「北朝鮮の南侵で戦争が起こった」という事実を冷静に見抜いていた。その唯一の社会主義国家とは、ユーゴスラビアだった。 (上)
独自の路線を進もうとしたユーゴのチトーとユーゴを統制したかったソ連のスターリンとの間の対立は、1948年のコミンフォルムで表面化した。ユーゴは周辺の社会主義国家から孤立し、親西欧路線を歩まなければならなかった。ソ連がいつ侵攻してくるか分からない、一触即発の状況だった。キム教授は「秘密が解除されたユーゴ側の文書を調査してみると、ソ連はユーゴの周辺国家に武器と軍需物資を提供し、1950年夏以降、大々的なユーゴ侵攻を準備していた」と語った。 (上)
ところが、砲声が轟いたのは、意外にも全く別な場所だった。1950年6月、ユーゴのメディアは「バルカンの代わりに韓国で戦争が起こった」と報じた。自らの運命と密接に関っている戦争だと判断したわけだ。実際、米国は6・25戦争を契機としてユーゴの戦略的重要性を一層深く認識するようになり、韓国軍の強い抵抗により洛東江での戦いが長引いたことで、ソ連のユーゴ侵攻計画は実現しなかったという。/こうした状況から、ユーゴは韓半島(朝鮮半島)での戦争を最大限「客観的」に見なければならず、その結果「南侵説」を支持するようになった、というのがキム教授の分析だ。 (下)
「朝鮮日報」2008/06/15 10:28:58
〈http://www.chosunonline.com/article/20080615000009〉
●「朝鮮戦争、真の勝者はユーゴスラビア」(下)
「朝鮮日報」008/06/15 10:29:02
〈http://www.chosunonline.com/article/20080615000010〉
「今朝未明、北朝鮮人民民主主義共和国の軍隊が、日本軍の武装解除のために米ソ間で樹立した北緯38度の全境界線を越え、韓国侵攻に突入した」。1950 年6月25日、東ヨーロッパのある社会主義国家の国営新聞ボルバはこのように報じた。北朝鮮とソ連が、戦争勃発の状況を「韓国軍の先制攻撃を撃退し、反撃を試みた」と歪曲(わいきょく)して宣伝していたそのときに、この国は「北朝鮮の南侵で戦争が起こった」という事実を冷静に見抜いていた。その唯一の社会主義国家とは、ユーゴスラビアだった。 (上)
独自の路線を進もうとしたユーゴのチトーとユーゴを統制したかったソ連のスターリンとの間の対立は、1948年のコミンフォルムで表面化した。ユーゴは周辺の社会主義国家から孤立し、親西欧路線を歩まなければならなかった。ソ連がいつ侵攻してくるか分からない、一触即発の状況だった。キム教授は「秘密が解除されたユーゴ側の文書を調査してみると、ソ連はユーゴの周辺国家に武器と軍需物資を提供し、1950年夏以降、大々的なユーゴ侵攻を準備していた」と語った。 (上)
ところが、砲声が轟いたのは、意外にも全く別な場所だった。1950年6月、ユーゴのメディアは「バルカンの代わりに韓国で戦争が起こった」と報じた。自らの運命と密接に関っている戦争だと判断したわけだ。実際、米国は6・25戦争を契機としてユーゴの戦略的重要性を一層深く認識するようになり、韓国軍の強い抵抗により洛東江での戦いが長引いたことで、ソ連のユーゴ侵攻計画は実現しなかったという。/こうした状況から、ユーゴは韓半島(朝鮮半島)での戦争を最大限「客観的」に見なければならず、その結果「南侵説」を支持するようになった、というのがキム教授の分析だ。 (下)