今月18日「坂出祥伸 『大同書』/譚嗣同著 西順蔵・坂元ひろ子訳注『仁学 清末の社会変革論』」で触れた格致という語について、この書に更に詳しい言及があった。
清末に日本語で書かれた西洋諸科学の書籍が中国人日本留学生の手によって大量に中国語へと重訳され、中国国内の学校の教科書に使われた。
そのなかにイギリスの伝蘭雅著『格致須知』というシリーズ本があるが(“須知”は概説、入門というほどの意味)、このシリーズには物理学のほか『動物須知』『植物須知』といった博物学の書籍も入っている。(本書第5章「留日学生の翻訳活動」273-275頁に引く、国民政府教育部編『教育年鑑』所載「教科書之発刊概況――1868~1918――年」の1903・光緒29年条)
なお実藤氏の研究によれば、日清戦争後の1896年に最初の留学生13名が日本へ来て以来、日露戦争後には8000人を数えた中国人日本留学生が1937年の“支那事変”の開始ですべて引き上げるまでの42年間に、2602種の日本書(外国書の翻訳を含む)が中国語訳され中国へ紹介された。内訳は以下のとおり。
宗教・哲学 113種
文学・語学 324種
教育 140種
政治・法律 374種
経済・社会問題 374種
地理・歴史 344種
自然科学 347種
実業 177種
医学 193種
軍事 132種
雑類 84種
合計 2692種 (事変後に出版された2種を含む)
(本書291頁に引く実藤恵秀編『中訳日文書目録』、国際文化振興会、1945年2月より)
“「満州事変」以前は、文化系の研究をする ものが多かったが,「満州事変」以後は空理空論では救国はできない,という空気が生じ,留学生も自然科学の研究というほうに かたむいていった。日本書の翻訳も したがって,自然科学の方面に中心が おかれる ようになり,巨大な専門書が 翻訳される ようになった。(略)このころは,自然科学の もの だけを翻訳していた わけではない。文芸方面・社会科学方面の ものも たくさん訳され,ふたたび 明治末期の ような 日本書漢訳の隆盛を むかえたのであった。ただ「満州事変」以後は,自然科学書の比率が 急に高くなった ことが特徴的なので ある” (第5章 291頁)
(くろしお出版 1960年3月)