著者は、日本語の歴史において、具体的な事物や動作を指す語から、抽象的な意味を表す語がつくりだされるという経過をたどると主張される。たとえば「もの」という言葉は、最初は個別具体的な「存在物」を指し、次に「存在一般」という種または類(後述)概念を意味するようになったと。ここで例として平安時代の「もの」、あるいは動詞化した「ものす」が挙げられる(「第一部第三章 語の意味は展開し変化する」、とくに28-34頁)。
しかしながら、この「もの」=存在一般には人間は入らない。少なくとも抽象化の当初においては人間とそれ以外の存在は峻別されており、たとえば平安初期の漢文訓読体では人を示す「者」は「ヒト」と訓み、「モノ」とは読まなかった(33頁)。
ここで想起するのは中国語である。欧米語および日本語漢字語彙の影響が大きい現代漢語(普通話)はさておき、古代漢語(文言文)においては、漢語の意味はあくまで個別・具体の意味に留まり、類概念を持たなかったというのが、私の理解するかぎりにおいて加地伸行先生の御説である。両者の歴史におけるこの差異の指摘は、非常に興味深い。漢語では唯名論が、日本語では実念論が発達したということになる。
この主張は、三枝博音氏の三浦梅園評価と絡めると、非常に興味ある思考の材料を提供する。
(岩波書店 1974年11月)
しかしながら、この「もの」=存在一般には人間は入らない。少なくとも抽象化の当初においては人間とそれ以外の存在は峻別されており、たとえば平安初期の漢文訓読体では人を示す「者」は「ヒト」と訓み、「モノ」とは読まなかった(33頁)。
ここで想起するのは中国語である。欧米語および日本語漢字語彙の影響が大きい現代漢語(普通話)はさておき、古代漢語(文言文)においては、漢語の意味はあくまで個別・具体の意味に留まり、類概念を持たなかったというのが、私の理解するかぎりにおいて加地伸行先生の御説である。両者の歴史におけるこの差異の指摘は、非常に興味深い。漢語では唯名論が、日本語では実念論が発達したということになる。
この主張は、三枝博音氏の三浦梅園評価と絡めると、非常に興味ある思考の材料を提供する。
(岩波書店 1974年11月)