書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

『大久保利通日記』の「江藤醜体笑止なり」の「笑止」を、・・・

2018年06月09日 | 思考の断片
 『大久保利通日記』の「江藤醜体笑止なり」の「笑止」を、「笑うべきだ」の嘲りではなく「笑ってはいけない」同情の意味だとする意見をたしかどこかで見た憶えがあるが、原文のあのくだりは「(それに比べて)朝倉香月山中等は賊中の男子と見えたり」と続くので、後者よりは前者の意味のほうが繋がりがよくはないか。
 それにその直前のくだりで「江東〔ママ、以下同じ〕其外の詰問を聞、江東陳述曖昧、実に笑止千万」とある。これは、名前を当字にしたり、嘲り以外の何物でもない。「〔・・・〕、人物推而知られたり。只賊中人間らしきものは副島朝倉香月山中のみ」
 三宅雪嶺『同時代史』の「明治七年」項にこの佐賀の乱関係の記述があって、この大久保日記のくだりも引用されているのだが、雪嶺はこの大久保の記述を、「『笑止千万』『醜体笑止』とは何事ぞ」と怒っている。「大久保の執拗なる復讐心の茲に端なく発露せるに非ずして何ぞ」。岩波書店版、第1巻、397頁。