書籍之海 漂流記

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『荘子』「天下篇」に見える恵施の命題「歴物十事」に関する章炳麟の解釈について

2013年12月19日 | 東洋史
 章は、「歴物十事」の「歴」を「算」の意味と解釈し、西洋自然科学の知識に拠って、その一見詭弁である十の命題を真であるとした。ここで西洋の、しかも現代の自然科学の知識を用いる必然性も正当性もわからない。現代韓国語で『万葉集』を解くのと同じアナクロニズムを感じるのは私だけであろうか。
 「算」とは「かぞえる」の意味である。即ち章炳麟は物事を数量的に捉えるという意味だと言いたいのだろう(従来は「析」すなわち分析するの意味と取るのが普通だった)。だがそれは流石に無理ではないか。歴には暦と通用と見て、その意味もあるとされるが(古人の注釈における根拠のない説)、この命題の中に“数える”たぐいの命題は一つもない。つまり文脈を無視して章が無理矢理にそう訓んだだけである。
 良い形容を思いついた。「章炳麟の『荘子天下篇』「歴物十事」の解釈は、胡適の『中国哲学史大綱』巻上における『墨子経篇・経説篇』の解釈と同じくらい、好い加減である」。