書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

皮錫瑞 『経学歴史』

2011年04月27日 | 人文科学
 もと1907・光緒33年、湖南思賢書局より出版。
 『経学通論』(同年出版、出版社も同じ)のほうは堅実な概説でどうということはなかったが(いまもむかしも日本人学者の同種の本を読めば書いてあるような内容という意味)、こちらは同じ初学のための教科書風とはいえ、一個の儒者、それも今文派としての視座から徹底して物語ろうとする気概が感じられて感銘を受けた。伏生を崇敬して清末を前漢の学風そのままに生きようとした学者の覚悟というべきか。この本を読む前は――さきに『経学通論』を通読したのだがそのあとでさえ――、このようないわば二千年の時代錯誤の人がどうして洋務運動どころか変法自強運動を支持したのかが解らなかったのだが、この著作を読んで、このひとはただの尚古主義者ではないことがわかった。

 当時(前漢時代)の儒者は、君主は至尊であるが畏れ憚るところがなにかなければならぬと考えた。だから天象を君主への戒めの口実に用いた。彼らは、君主がそれを畏れ憚ることによりおのれの不徳を恥じて矯めることを企図したのである。〔略〕当時の君主が日食や地震のあるたびにおのれを罪する詔を発したり、三公をその責任のゆえに免職したりしているが〔略〕後世の人間はこのあたりの事情を理解せず、漢儒はみだりに天変地異を口にするとか、讖緯の書を信じるとはとかと批判する。果ては単なる自然現象をいちいちこの世の人事と結びつけてあれこれその意味を忖度したりする必要はないのだなどと、最新の西洋の科学を拠り所に当時をまったく否定して見せたりする。しかしこれは表面的な事実だけを見て軽々しく断じていい問題ではないのだ。 (原文文語文。「経学極勢時代」本書104頁)

 本書にも末尾に伝記が載せられているが、ざっと調べた限りでは『百度百科』の「皮錫瑞」項が彼の生涯と行蔵について要を得ている。骨のある、おもしろい人だったらしい。

(芸文印書館 台北 1987年12月第2版)