書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

梶山雄一ほか著 『講座大乗仏教』 9 「認識論と論理学」

2011年04月28日 | 人文科学
 著者は、梶山雄一・桂紹隆・戸崎宏正・赤松明彦・御牧克己・宮坂宥勝・川崎信定・長崎法潤の各氏。

 ダルマキールティの認識論と論理学(因明)について学ぶ。

 それでは、かれ〔ダルマキールティ〕が認めた、論理的必然性を確定する根拠とは何か。かれはそれを実在における関係のうちに求めた。「同一関係」〔チベット語略。以下同じ〕と「因果関係」〔略〕がそれである。この両者は、あわせて「実在の本質〔略〕を介する結合関係」〔略〕といわれている。というのも、前者の「同一関係」は、「AがBの本質〔原文傍点、以下同じ〕そのもの〔略〕であること」であり、後者の「因果関係」は、「A(結果)の本質はB(原因)から生じるということ」だからにほかならない。 (赤松明彦「Ⅳ ダルマキールティの論理学」本書186頁)

 しかし、さらにこう尋ねたらどうであろうか。「そのような、同一関係とか因果関係とかいったものは、いかにして認識されるのか、何によって確証されるのか。それらは経験によって知られるものなのか、それとも先験的な原理なのか」と。ダルマキールティの論理学の主題は、推理論においてはこの点にしぼられることになる。 (同、188頁)
 
 後者については、その重要性がわかる。
 だが前者については、よくわからない。「同一関係」においてはまだしも、「因果関係」においては、原因と結果のあいだの関係には時間的経過――原因が前にあり結果は後という――は考慮されているのだろうか。こういう安易な当てはめはよくないが、アリストテレスの四原因説でいえば、この「因果関係」における「原因」は、もっぱら「質料因」だけを意味するようにも思えるけれど、どうなのだろう。
  
(春秋社 1984年7月)