書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

坂野潤治/大野健一 『明治維新 1858-1881』

2010年02月27日 | 日本史
 木戸〔孝允〕派と板垣〔退助〕派の間には、専制政府に都合のよい憲法をまず制定するか、それより先に民撰議院を設立するかの優先順位の相違があった。/一年余の欧米滞在中に、木戸が皇帝権限の強いドイツの立憲君主制に強く惹かれたことは、すでに記した。言い換えれば、木戸は法と秩序の確立のために憲法を制定しようとしていたのである。これと反対に、板垣に議会の必要性を説いたイギリス帰りの小室〔信夫〕と古沢〔滋〕は、天皇制は前提にしつつも、一種の議会主権的な考えを抱いていた。憲法論が法と秩序を重視するのに対し、議会論はその変革をめざすものだったのである。 (「第一部 明治維新の柔構造 4 政策と政局のダイナミズム」 本書64・68頁)

 大久保利通を「富国派」、軍部や旧革命軍を「強兵派」と分類し、木戸の「憲法派」、板垣の「議会派」と、四派の四つどもえと見る図式の妥当か否かはわからぬが、すくなくとも板垣退助の自由党系の民権論者が大隈重信の改進党系に比べてどうして憲法制定に熱心でなかったのかはこれで説明がつく。

(講談社 2010年1月)