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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

レフ・トルストイ他著 平民社訳 国書刊行会編集部現代語訳 『現代文 トルストイの日露戦争論』

2011年05月19日 | 世界史
 2011年04月20日「Leo Tolstoy 『Bethink Yourselves!』」より続き。現代日本文としてはこれでいいのだろうが、「ロンドン・タイムズ」英語原文の現代日本語訳、ひいては平民社のもとの文語文の現代語訳としてはどうだろうという気もする。だがそれはもう客観的基準のない、好みの範疇である。
 それよりその訳者の名がどこにもないことのほうが奇妙で、理解に苦しむ。平民社訳のほうは、別の場所でではあるが、訳者の幸徳秋水が「自分と堺利彦の二人でやった」と、はっきり名乗りを上げているのにである。
 それにしても、今回添付された「フィガロ」紙のトルストイインタビューと、トルストイの「汝等悔い改めよ」を掲載した「ロンドン・タイムズ」紙の評論には驚き呆れるばかりである。「フィガロ」の記者は「人種差別など認めない。人類は良いも悪いも平等である」というトルストイの主張にたいし、哀れみの感情を籠めて(行間から明らかに臭ってくる)、「日本人は黄色人種ですよ。黄色人種というのは劣等にきまっているじゃないですか。そして日本人というのはそのなかでもとりわけ好戦的で、野蛮なやつらです。彼らを徹底的に打ち負かして文明の何たるかを教えてやるのが白人の務めであり神聖な使命でもあるんですよ。ま、ロシア人は白人で、白人が黄色人種に敗けるはずはありませんけどね」と、トルストイを教え諭すような調子で終始揶揄している。(あまりに全編侮蔑的な調子なので、こちらもその雰囲気にあわせて再編・意訳した。)それにしてもトルストイはよく怒り出さなかったものだ。
 つづく「ロンドン・タイムズ」の評論になると、ロシア人をも半アジア人扱いである。トルストイは「ヨーロッパ思想を完全に理解していないスラブ民族の思想家」であり、よって「純粋なヨーロッパ諸国民の考え方との間」には「著しい相違がある」のだそうである。その結果、トルストイの論説は、「十三世紀の論理と近世の社会主義を混同し、調子の乱れた議論」と決めつけられる。だから、「全ての戦争を絶対的な罪悪と見なす」独断の誤りに気が付かないと言う。「ロンドン・タイムズ」の評論子によれば、「自国の行う戦争は正義で、他国の行う戦争は悪である」というのが真理なのである。「フィガロ」の「白人の戦争は正義で、有色人種の戦争は悪」よりはまだわずかにましだが、絶対的にどうしようもなくひどいことに変わりはない。当時のヨーロッパ、そして世界とはこのようなところだったのかと、嫌悪感とともにあらためて確認した。いまの感覚でむかしをはかるのはよくないことはわかってはいるが、それでも当時、個人としてトルストイ、幸徳秋水、そしてこの現代語版におなじく論説を添付された石川啄木など、そうでない人々もいたのである以上、「そんな時代だったのだから」で済ませられる話かと、思うのである。いわでものことだが、彼らの誰も「資本主義(帝国主義)者の戦争は悪だが社会主義者の戦争は正義だ」などという、こんどは逆の意味でどうしようもなくひどいことは、ひとことも言っていない。すべての戦争は罪悪だと断じている。  

(国書刊行会 2011年1月)