『古田敬一教授頌寿記念中国学論集』(汲古書院 1997年3月)所収、同書391-407頁。
徐の「除蝗疏」にみえる「自然研究での法則追求から原因追求へという思考転換」は、ヨーロッパ自然学の影響であるという主張がなされている。
その証拠として、マテオリッチほかの西洋宣教師と接触していない時期には、「河川管理のごとく、法則把握と予測の段階に止まっていたのだが、接触以後は中国測量法・暦法はともに『故』を語っていないと非難していた」という事実を挙げている(「二」)。さらには法則把握から一歩さらに進めて「縁」の追求に向かったと。
じつに興味深い。この主張を検証するには、私にはまず、「除蝗疏」を読むところから始めねばならないが。
徐の「除蝗疏」にみえる「自然研究での法則追求から原因追求へという思考転換」は、ヨーロッパ自然学の影響であるという主張がなされている。
その証拠として、マテオリッチほかの西洋宣教師と接触していない時期には、「河川管理のごとく、法則把握と予測の段階に止まっていたのだが、接触以後は中国測量法・暦法はともに『故』を語っていないと非難していた」という事実を挙げている(「二」)。さらには法則把握から一歩さらに進めて「縁」の追求に向かったと。
じつに興味深い。この主張を検証するには、私にはまず、「除蝗疏」を読むところから始めねばならないが。