ぼくは歴史学者です。以前、言語学や言語哲学を数多く研究しました。ぼくたちがことばを使って考えているだけではなく、ことばもまたぼくらを使って考えています。 (「第3章 悲しみをのりこえて」、アレクサンドル・レワルスキー「ロシア人はいつも信じるものを欲している」 同書193頁)
レワルスキー氏はそれだけではないことをこの発言にこめているのだが、同じ歴史の研究者あるいは言語に注意する歴史学者として、この面にかぎって引用部の後半を平易に言いなおすと、以下になる。
「ことば(=言語)は、そのことばで語れることを語れるようにしか語れない」
(岩波現代文庫版 2011年6月)
レワルスキー氏はそれだけではないことをこの発言にこめているのだが、同じ歴史の研究者あるいは言語に注意する歴史学者として、この面にかぎって引用部の後半を平易に言いなおすと、以下になる。
「ことば(=言語)は、そのことばで語れることを語れるようにしか語れない」
(岩波現代文庫版 2011年6月)