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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

井波律子訳 『完訳 論語』

2016年11月11日 | 宗教
 “訳”、つまり翻訳だから、これで当然だが、原書のテキストクリティーク(本文の校訂を含め)は、一切行われない。だがこれがもし研究書ならそれは必須である。先行研究になる宮崎市定『論語の新研究』(岩波書店 1974年6月)よりも方法論としては後退していると言える。万が一、これが経書の文字は改むべからずというような理由であるなら、心事はさらに前へと遡ることになる。

(岩波書店 2016年6月)

村上大輔 『チベット聖地の路地裏』

2016年11月11日 | 地域研究
 出版社による紹介

 著者の経歴に興味をひかれた。本著作の内容の、調査かつ記述対象(チベットとチベット人)と自身との間の、一種独特な、冷淡ではなくのめり込むでもなく、さりとて冷静あるいは平板一辺倒というわけでもない、いわば即かず離れずとも形容すべき微妙な距離感は、その経歴と関係はあるのかどうか。

(法藏館書店 2016年8月)

荷見守義 『永楽帝 明朝第二の創業者』 

2016年11月11日 | 東洋史
 出版社による紹介

 非常に教えられ、かつおもしろかった。去年翻訳の方の必要で明代史をおさらいしたとき、この時代の学界も変わったなあと思った。以前は、極端に言えば「社会経済史にあらざれば人にあらず」という感じだった。というより、「明清にあらざれば人にあらず」だった。30年ほど前、ある古代史研究の大家が、「明清(研究者)というのは、他人(他時代、他分野)の研究を読まずに勝手なこと言っている人たちだ」と苦笑まじりに評しておられた。私もそう思ったが、いまはどうか。諸行は無常で、そのような者は久しからざりけるか否か。

(山川出版社 2016年7月)