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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

村元健一 『漢魏晋南北朝時代の都城と陵墓の研究』

2016年11月04日 | 東洋史
 中国のウェブサイトによる内容紹介

 西高穴2号墓に関して、「公表されている資料から見る限り、これを〔曹操の〕高陵以外のものと考えることは困難であると考える」と結論される(「第二篇第一章曹魏西晋の皇帝陵」本書266-267頁)。だが同時に、このくだりに付された注(4)において、例の「魏武王常所用」云々の石碑の“魏武王”および“常所用”について、「筆者も解釈をしがたい」(同288頁)と、断っておられる。
 だがこの解釈を行わずにこの結論は導き出せるのかどうか。実際のところ、氏は自らのそのうえに立った議論を展開するために、前提あるいは公理として同墓=曹操の陵墓を置かれておられるようにも思える。

(汲古書院 2016年8月)

李商隠 維基百科

2016年11月04日 | 伝記
 https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%95%86%E9%9A%90#.E6.96.87.E5.AD.A6.E6.88.90.E5.B0.B1

  李商隱的詩經常用典,而且比杜甫用得更深更難懂,而且常常每句都用典故。他在用典上有所独创,喜用各種象徵、比興手法,有時讀了整首詩也不清楚目的為何。而典故本身的意义,常常不是李商隐在诗中所要表达的意。

 そんなことより”象徵symbol”や”比興trope”が古代漢語の修辞法に印欧語そのままの概念で同じく存在するという証明はできているのか。なぜ彼が典故を多用するか(それも僻典まで)の答えは?
 李商隠関連の論考と著書数本を読んだ。李の「文体」を専心に探究するものにはいまだ当たらず。朦朧たる彼のスタイルはなぜ朦朧としているのか?いかにして朦朧たりえているのか?等の疑問あり。