書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

平野久美子 『坂の上のヤポーニア』

2011年09月22日 | 西洋史
 2011年04月29日「『自然エネルギー』の幻想」 を読んで」より続き。
 著者は、ステポナス・カイリースの『日本論』(1906年刊)に、執筆時1905年からすればそのわずか8年前の「時事新報」に発表された福澤諭吉の「宗教は茶の如し」(1897年9月4日社説)が引用されている事実を指摘している(「第四章 文明開化の音がする」「福沢諭吉」、本書110-111頁)。
 こうしてみると、同時代における福澤の影響というものは、非西洋列強世界においてとても大きかったのかもしれないと思えてくる。
 それにつづいて、西洋で暮らし、西洋を理解し、かつ西洋と戦い勝った男である秋山好古が、福澤を尊敬し、自身の子供たちを慶應に入れたという逸話も、裏返しに――つまり国外へ視点を転じて世界を外回りに一周してから――その意味を考えてみるのもいいかもしれないとも思った。

(産経新聞出版 2010年12月)

汪輝祖著 劉強編訳 『官経』

2011年09月22日 | 東洋史
 著者は清代の科挙官僚(1730年生-1807年没)。おもに県クラスの地方官畑で一生の大半を過ごした人物である。その前には知県(県長)の私的スタッフ(幕僚・幕客)を長くしていたので、自分と同じ科挙官僚である知県(すなわち官)と、地元採用の実務職員(吏、胥吏)との境目にたって、その両方の世界を知ることになったという、わりあい珍しい経歴の持ち主だった。なお汪輝祖の人となりについては滋賀秀三氏による懇切な紹介がある。
 基本的に原文だけ読み、わからないところは編訳者による現代漢語訳を参照することにした。先日親の墓参の行き帰りに、列車の中および待ち合わせの駅のペンチで読む。
 読む前は、「宮仕えのバイブル」というから、生々しい清代官場の描写とそれを踏まえたノウハウの書かと思っていたのだけれど、実際には抽象的な処世訓ばかりだった。ただ事件死体の死因の見分け方、また諸手続の運営の手順については、さすがに詳細かつ具体的だが、そのほかの儒教の教えと引用をちりばめた綺麗事は、たぶん書いている本人も信じているまいと思った。それにしても、愛民だの節約だの教導だのと歯の浮くような綺麗事を、これだけ延々と書きつらねることができるというのは驚異である。
それはさておき、清朝の官僚が、またその幕僚が、公と私をどのように考えているのかを見たくて、その一例として読んでみたのだが、結論を言うと、すくなくともここでは、「公」は「お上」、「私」は「下々」である。べつに公共の意味もなければ公平の意味あいもなく、ただ「お上の御政道(支配、法律、徴税など)にかかわること」「お上が決めること(裁判、命令)」というだけの、記号のような使用法であった。たとえば「公事(公務)」の公がそれである。そこに含まれないものやことのすべてが、「私」である。

(哈爾浜出版社 中国 2007年4月)

「『デフレの正体』著者、ブログへ反論で賠償命令」 を読んで

2011年09月22日 | 思考の断片
▲「YOMIURI ONLINE(読売新聞)」2011年9月22日10時08分。
 〈http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110922-OYT1T00196.htm?from=main5

 この記事を見るかぎり、「あたまでっかち」で誰かを「揶揄し、侮辱するもの」になり、慰謝料を払わねばならなくなるとのこと。私も気を付けねば。この程度でそうなるのなら。
 それで想い出すのが、時々訪れるブログの筆者などはコメント欄で、わりあい平気で「馬鹿」「アホ」とか「ヴォケ」とかあるいは「中国の手先」とか言っているのだが(書き込みする相手のなかにも同じように「馬鹿」とか「死ね」とか「在日の犬」とか酷いことを書き込みする輩がいるのだが)、あれでおたがい訴訟沙汰にする・なるとは考えないのだろうか。

溝口雄三 『中国の公と私』

2011年09月22日 | 東洋史
 何度読んでもよくわからない。これまでのところわかるのは、もっぱら「公平」と「公共」の面から中国の「公」を検討しているということだが、どうして「公正」の面から考察しないのかという点になると、もうわからない。日本の公(おおやけ)と比較したうえで(どうも文体が晦渋でわかりにくいのだが)、どうして日本のほうにより批判的であるのか――つまりなぜ中国の公のほうが優れているといいたげなのか――も、わからない。そもそもたいして厚くもないこの本で、どうしてここまで枚数を費やして中国と日本のそれを比較しなければならない必要があるのかからして、さらにわからない。

(研文出版 1995年4月)

山口瑞鳳 『チベット』下 から

2011年09月22日 | 抜き書き
 2011年08月20日「中村元 『中村元選集』 2 「シナ人の思惟方法」」より続き。

 〔・・・・・・〕実体的時間を考察しない点は中観哲学史に見られる重大な欠陥と言うべきかもしれない。 (「第四章 チベットの宗教」「改革派の仏教」 本書297頁)

 そうですよね! 
 大分前のことになるが、ある中堅方のチベット研究者に、チベット仏教の「因明」の因(縁)果とアリストテレス以来の「形式論理学」の因果性はどう違うのかたずねたところ、「わからない」という返事だったので、自分で調べることにしたのだった。三支作法の「因」(因の三相)が、すくなくともよくあげられる山と煙の例では、質料因ばかりで動作因がない――つまり時間の観念がない――のはなぜなのかわからなかったことが、そもそもの発端だった。まだぜんぜんわからないが。

(東京大学出版会 1988年3月初版 1994年3月4刷)