書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ピェンゼフ 「ウイグル分離主義と1920年代ソ連の諸民族団結運動の関係」 から

2011年09月07日 | 地域研究
▲「New Eastern Outlook」22.12.2010, Константин Пензев「Папа Карл и големы. Уйгурский сепаратизм и советское национальное строительство в 20-х гг. ХХ века」(部分)
 〈http://www.journal-neo.com/?q=ru/node/3469

  Уйгурский сепаратизм неоднороден. Он неоднороден потому, что неоднороден уйгурский этнос. Можно даже сказать так: существование некоего единого уйгурского этноса весьма сомнительно, а потому этническая компонента в уйгурском сепаратизме выражена весьма слабо. Гораздо более сильное влияние в этом движении имеет компонента религиозная, а, именно, исламская, позволяющая объединить весьма разрозненное население Таримской впадины.

 (訳)ウイグル族の分離主義は一枚岩ではない。なぜかといえばウイグル人という民族そのものが一枚岩ではないからである。あるいはこういう言い方をしてもいいだろう。実体としてのウイグル民族というものの存在にはおおいに疑問があると。だから分離運動における民族的色彩が微弱なのだ。そのかわり色濃いのは宗教的な要素である。つまりイスラム教のそれだ。イスラム教が、ほんらいばらばらなこのタリム盆地の住民をひとつに纏めているのである。

  Наконец, известнейший номадист Л.Н.Гумилев утверждает: «Кажется странным, но были, к примеру, страна и народ... без имени. Географически это бассейн реки Тарим, условно называвшийся по-разному - Кашгария, Восточный Туркестан или Синьцзянь. Все эти термины для нашего времени не годятся. Коренное население края - индоевропейцы. Они сохраняют поведенческий стереотип, но имена меняются чаще, чем носившие их этносы, причем смена этнонимов объяснялась политической конъюнктурой. Население сменило тохарский (индоевропейский) язык на тюркский. Тогда сюда прикочевало имя «уйгур». Но самих уйгуров ныне в этих местах нет. А те, кто называют себя уйгурами (ошибочно их именуют еще китайскими татарами, что в корне неверно), - ферганские тюрки, выселившиеся на восток в XV-XVIII вв.»〔原注〕9.

 (訳)著名なる遊牧民族史家であるレフ・グミリョフいわく、「奇妙に思われるかも知れないが、歴史上、名を持たない国や民族というものが存在したのだ。地理で言えばタリム河周辺の盆地である。ここは過去さまざまな名前で呼ばれた。たとえばカシュガリア、或いは東トルキスタン、或いは新疆。しかしこれらの名称は、現代の我々には無意味である。この土地の住民は、もとはインド・ヨーロッパ系の人々だった。彼らには昔からいまに伝わる伝統がある。しかし彼らの名はしばしば変わった。そしてその変更の度合いは彼らの民族のそれよりもさらに頻繁だった。民族の移り変わりは、その時々の政治的な情勢の移り変わりによって説明できる。住民の言語はトカラ語(インド・ヨーロッパ語族)からテュルク諸語へと変わった。そしてそのあとに“ウイグル”という名称が、蹄の音とともにこの地へやってきた。しかしこんにち、本来のウイグル人はもはやここにはいない。いま自らをウイグル人と呼ぶ人々は――ちなみに中国タタール人と呼ぶのは一層間違っているが――、15-18世紀にフェルガナ地方から移住してきたテュルク系の人々の子孫なのである。

  〔原注〕9 - Л.Н.Гумилев. Черная легенда. М.: Айрис, 2003, с. 255
        レフ・グミリョフ『暗黒伝説』(モスクワ アイリス 2003年)。〔訳注。初版はもっと古い〕


 概ね首肯す。

.「Uyghur Flag Protesters Detained」

2011年09月07日 | 地域研究
▲「RFA Home」2011-09-06, reported and translated by Shohret Hoshur for RFA’s Uyghur service; Written in English by Joshua Lipes. (部分)
 〈http://www.rfa.org/english/news/uyghur/flag-09062011180015.html

  Rebiya Kadeer, president of the World Uyghur Congress, said that the flag raising campaign would do little to alleviate the frustration of the Uyghur people with Chinese rule. 
  “The Chinese government doesn’t understand the basic concepts of human nature. Love and respect cannot be created through forceful actions and propaganda,” she said.
  “Of course, they may succeed in raising the Red Flag in buildings throughout the region, but the important thing is which flag is being raised in the heart of the Uyghur people.”

 こういうところに中国(漢人)の empathy のなさが露骨にでる。何が中華民族の美徳は「おのれの欲せざるところを他人にほどこすなかれ」にあるか。全然実行できていないではないか。それができるのは実利がからむ時だけだけろう。日中国交正常化の際に田中角栄をたらしこんだように。
 ところで、「東トルキスタン」はいまでは「新疆ウイグル自治区」の全域をさす、シノニムであるという反論があった。だがそれはあなた方政治運動家が、自らの運動上“政治的に”正しいからそう言いづづけ、それがある程度まで一般社会(世界)に受け入れられるようになったということのだけではないか。私やその他真面目な研究者が言っているのは、本来、「東トルキスタン」という用語は、歴史的な事実としては、天山以南の、いわゆる(アルティシャフルもしくはカシュガリアもしくは小ブハーリア)を指すだけで、ジュンガリアを指したことはないという厳然たる事実だ。現に第一次東トルキスタン共和国では含まれていない。第二次東トルキスタン共和国でジュンガリアがその領域に入ったのは、この地域、いわゆる「三区」の住民が(タタール人・カザフ人といった非ウイグル人)協力・参加していたから――それも強力な助っ人としてー―にすぎない。それが史実だ。
 いまでは「新疆(「ウイグル自治区)」の全域を指す言葉として、「東トルキスタン」がウイグル自治・独立派陣営が力づくと人海戦術で広めた挙げ句普通に使われているからその通り使えというのなら、「新疆(「ウイグル自治区)は古代以来中国の神聖不可分の領土である」という、おなじく中国政府による力づくと人海戦術による宣伝の言説も正しいということになる。「みんな言っているから」。同じ論法だから第三者には区別できないな。それに中国は13億人だ。多数決で正偽を決めるのはいいが、勝てるか。部外者の私などは、どちらかを選ぶことはできない。まともな根拠のないことは双方同じであるから。それでいいのか。「敵はダメだが自分はいいのだ」なんどと吐かしたらはり倒すぞ。