書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「『民主も与党の苦しみわかったはず』小泉元首相が皮肉混じりに批判」

2011年09月05日 | 地域研究
▲「msn 産経ニュース」2011.9.5 19:48。
 〈http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110905/plc11090519530016-n1.htm

 民主党内に根強い日米中「正三角形」論に対しても「中国は経済的にもっとも重要な国だが(相互の)安全が確保されていない限り、いかなる政策も進められない。あれだけの戦争をして領土を全部返した米国と、沖縄・尖閣諸島を自分の領土だと主張している中国と同じ関係でいいという議論は私はとらない」と語り、日米同盟堅持の重要性を力説した。

 そのとおりだと思います。だって実際事実としてそうなんだから。ちなみに、火事場泥棒ながらいちおう戦争はした旧ソ連(今日のロシア)はまだしも、戦争もしていないのに竹島を占拠している韓国は、本当は論外だと、私は思っている。

「Building a law-governed socialist state in the new revolutionary period」 から

2011年09月05日 | 地域研究
▲「Nhan Dan Online」11:33PM (GMT+7), Fri, September 2, 2011. (部分)
 〈http://www.nhandan.com.vn/cmlink/nhandan-online/homepage/politics/editorial/building-a-law-governed-socialist-state-in-the-new-revolutionary-period-1.310333#ofk6w5zAMwbg

  Today, in order to meet the new demands of the revolutionary cause, we need to continue to strengthen the State apparatus, so that the State is truly of the people, by the people and for the people, as outlined in the Political Platform for the Transition to Socialism (which was supplemented in 2011). The power of the State belongs to the people, with its foundation being the alliance between the working, peasant and intellectual classes, led by the Communist Party of Vietnam. The State’s power is unified; and there is division, co-ordination and control of power between different branches in executing their legislative, executive and judicial rights.

 この一段落に、いまの私がベトナムについてまず知りたい点がすべて詰まっている。答えではなく問いの手がかり。

「裁判文書が明るみに出したテロ容疑者秘密移送の闇」

2011年09月05日 | 地域研究
▲「AFPBB News」2011年09月02日 21:30 発信地:ワシントンD.C./米国。
 〈http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2823947/7707880

 (承前
 これだってそうだ。だが、事実だったとしたら。
 私は同盟国として中国より米国を選ぶ者である。だが、先のCIAがカダフィ政権と協力関係にあったという文書しかり、そしてこの裁判文書のテロ容疑者秘密移送しかり、無法ぶりにおいては、米国も中国もかわるところはない。であるならいわゆる「どっちもどっち」になって両者のいずれかを選ぶ根拠はなくなる。あるいはどちらでもいいことになる。
 いまの論理は冷戦時代に旧ソ連が用いた論法である。「米国だって同じようなことをやっている、同じような欠点がある」。中国も基本的には同様の論法を使うが、旧ソ連ほどには声高ではない。まして「社会主義国家である我が国のほうがイデオロギー的にも史的発展段階の事実においても優れている」などと追って続けるようなことは、もはやたえてない。
 中国の蛮行も、米国のそれも、isolated incidents 、つまり個人的な資質によるものとしてとりあえずは片づけるのが常である。みずからの組織的・体制的な欠陥によるものと見ることはあまりない。しかしこのあたりから両国の差は出てくるようでもある。しかし米国でJFK暗殺の調査は国家自身によって行われ、9.11事件についても議会と大統領によって設置された特別委員会による報告書は出たが、中国では党や国家による天安門事件の調査結果や一昨年のウイグル騒乱についての原因を究明した報告書はでていない(もちろん内々では行われて何らかの形でまとめられているのだろうが)。表向きには政府当局から公式見解という形で「これはこうだ」という言い渡しが一方的になされただけである。
 どうやら結論が見えてきたようだ。JFKの調査報告も、9.11の調査報告も、内容に問題ありとして、国民の間でおおやけの場における喧々諤々の論議が絶えない。だが中国ではそれはたえてない。あっても現実世界やネット世界における私語の類である。それもいつ取り締まりの対象になるかわからない。中国では議論は最初から結論が決まっているのである。
 私は論拠もしめさずに結論だけ言い渡されても(あるいは私から見て論拠に値しないものを論拠とされても)、とうてい納得できない。しかし「納得できない。これはこういう解釈も可能だろう」とは面と向かって言えない、そして自分なりの再検証を許さない社会や政府や国家と、それがすくなくともそれらがそこよりははるかに許されている(あるいは許されていると感じることができる)社会や政府や国家と、どちらに与したいかといえば、後者に決まっている。ただしそれは、「どちらのほうがいい」よりも、「どちらのほうがましか」という選択にちかいけれど。
 もし私の寡聞によって、中国でも報告が公表されていたのなら、私は上記の結論を取り下げると共に、このテーマを喜んで再考する。

永田圭介 『厳復 富国強兵に挑んだ清末思想家』

2011年09月05日 | 伝記
 筆者が何回もその名を引用するとおり、シュウォルツの『中国の近代化と知識人 厳復と西洋』を意識して、あるいは攻めるべき橋頭堡として、書かれた書であることは間違いない。そして、伝記としてはあるいはシュウォルツの同書より詳細かもしれない。袁世凱の帝政を、進んで支持したのではなく、その脅し(あるいは世間の空気)に屈してその支持者に名を連ねたのであり、けっして思想信条からするものではなかったこと、晩年最終的に行き着いたのは『荘子』であり『老子』ではなかったことなど。
 しかし結論は、言外ながら、ほぼ同じところに落ち着いたようである。

 “よくいってもいささか荒っぽい形而上学者” (シュウォルツ)

 さて、この本の帯に「中国の福澤諭吉の生涯」とあるのだが、やはり加藤弘之だろう。本文には厳復を福澤になぞらえる記述は一言も出てこないから編集部の発案だろうけれど。ほめたつもりなのかもしれないが。

 救国の道は、機械を作らないで鉄道を敷設することではなく、鉄道用の機器を作ってから鉄道を敷設することである。 (「救亡決論」1995年5月。本書134頁)

 英に千艘の軍艦あるは、ただ軍艦のみ千艘を所持するにあらず、千の軍艦あれば、万の商売船もあらん。万の商売船あれば、十万人の航海者もあらん。航海者を作るには、学問もなかるべからず。学者も多く、商人も多く、法律も整い、商売も繁盛し、人間交際の事物、具足して、あたかも千艘の軍艦に相応すべき有様に至て、始て千艘の軍艦あるべきなり。(略)他の諸件に比して割合なかるべからず。割合に適さざれば、利器も用を為さず。(略)けだし巨砲大艦は以て巨砲大艦の敵に敵すべくして、借金の敵には敵すべからざるなり。今、日本にても、武備を為すに、砲艦は勿論、小銃軍衣に至るまでも、百に九十九は外国の品を仰がざるはなし。あるいは我製造の術、いまだ開けざるがためなりというといえども、その製造の術のいまだ開けざるは、即ち国の文明のいまだ具足せざる証拠なれば、その具足せざる有様の中に、独り兵備のみを具足せしめんとするも、事物の割合を失して実の用には適せざるべし。故に今の外国交際は、兵力を足して以て維持すべきものにあらざるなり。 (福澤諭吉『文明論之概略』1875年) 

 20年の時を隔てて、二人は同じようなことを言っているわけであるが、福澤は最後まで自然科学(数理学)を「東洋になきもの」としてその重要性を唱え続けた。厳復は途中から自然科学の重要性を口にしなくなる。この伝記を読む限り、これはだれにも強要されたことではなく、厳復おのれ自身の選択のようである。結局は、譚嗣同と同じような形而上学者だったからということだろうか。

(東方書店 2011年7月)