書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

和田博徳 「中国における福澤諭吉の影響」

2011年09月17日 | 東洋史
 『福澤諭吉全集』第19巻(岩波書店 1962年11月初版 1971年4月再版)付録月報所収。

 (承前

 日本の近代化に最も貢献した福澤諭吉は、中国の近代化に対して如何なる影響を及ぼしたであらうか。 (冒頭。原文旧漢字)

 私の知る限り、“東アジアにおける福澤諭吉”(藤井省三氏の「東アジアにおける魯迅」《注》をもじったもの)というテーマのもとで書かれた専論はこれしか知らない。ほかにもあるのならひらに謝るし、喜んでことごとく拝読したいと思っている。

 (注)藤井省三『新・魯迅のすすめ』(「NHK人間講座」2002年2~3月期、日本放送出版協会、2003年2月)「第8回 東アジアにおける魯迅」、同書122-138頁。

 内容は、梁啓超の作業(さくぎょう)のほか、吉野作造が第一次世界大戦勃発直後に中国を訪れた友人からきいた話として記した文章についても紹介がされている(吉野作造「公人と常識」所収「孫逸仙と福澤諭吉」)。中国のある田舎の小学校を視察におとずれた日本軍の将軍〈神尾大将)が、「日本で一番えらいのはだれと思うか」と生徒にたずねたところ、その大多数が「福澤諭吉」と答えたという。ちなみに、その前に神尾大将(おそらくは神尾光臣・当時青島守備軍司令官)は、「いま支那で誰が一番えらいと思ふか」と訊ねており、その答えは「孫逸仙(孫文)」であった。
 
 ファム・ティ・トゥ・ジャン氏も注意しておられるように、福澤については日本でもまだ評価は定まっていない(私は普通にその著作を読めば端から定まっていると思うが、学界の人々はおのれの錦の御旗が飯の種であるせいもあっていまさら定めたくないのだろう。勝手にやってくれ)。それはともかく、福澤反対・支持をとわず、どちらの陣営も、海外に福澤がどういった影響を及ぼし、あるいは影響といわないまでもどう受容されたかについてはもっと関心を向けるべきだと思うのだが、如何なものであろうか。どちらも、「脱亜論」にいまだに囚われてはいないか? だからあれもちゃんと読んだらどういうことかわかるだろうに。わからないのは――とくにあれを侵略主義と捉える人は――単に、御自身の日本語読解力に問題があるというだけだ。だいいち‘処分’は「侵略」の意味じゃないっつうに。何度でもいうが、事実研究の蓄積があるのならいくらでも謝る。ぜひ教えてくれ!

「停電:守られないマニュアル、繰り返される人災 (上)」

2011年09月17日 | その他
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2011/09/17 12:05:20。
 〈http://www.chosunonline.com/news/20110917000034

 マニュアルを守らないのではなくて守れないといったほうが近くないか。マニュアルを守らない/守れないのはマニュアルを遵守/墨守するより、歴史的発展段階において程度が低いぞ。できる人間はしないでおく選択ができるが、できない人間にはするという選択肢は逆立ちしたってないのだから。

「中国高速鉄道温州事故調査専門グループ、信号システムには技術的な問題はなかったという途中見解」

2011年09月17日 | その他
▲「Yahoo! 資訊」2011-09-17 07:10 新京报,「温州动车事故专家组:动车信号技术无问题」
 〈http://news.cn.yahoo.com/ypen/20110917/592842.html

 つまり人の知識と訓練がついてきてなかったということ。あるいはそれを運営管理する人間の組織が十分に整備されていなかったということ。関連法の整備や機構の確立といった“かたち”の次元の話ではない。

「msn 産経ニュース」2011.09.05「歴女カメラ!! Vol.8」

2011年09月17日 | 日本史
 〈http://photo.sankei.jp.msn.com/girls/data/ogikubo/8/

 このところ、仕事のあいまに、司馬遼太郎『夏草の賦』を映像化するなら誰がいいかをなんとなく考えていたところ、ちょうどこの記事を見て、背中を押された気になって書いてみる。
 まず最初に断っておかなければならないのは、これは戦さがあたりまえの戦国時代で、しかも政略結婚を当然どころか乱世で女がおのれの腕をふるえる好機と思っていた主人公という原作の枠組みを守るということだ。近頃の第二次世界大戦(大東亜戦争)敗戦後でないと出てこない平和主義で原作を歪めてはいけないのである。『功名が辻』がそうなったように。
 前置きはそれくらいにして、さて配役。時の流れは無視。

 長曽我部元親・・・・・・・・・・松山ケンイチ
 菜々・・・・・・・・・・・・・・・・・・上野樹里
 
 それぞれ、このふたりしか思いつかない。江もそうなのかもしれないが、菜々こそはまさに戦国時代の“のだめ”だから。「武家のむすめを見くびったか」。これができるのは、いまのところこの人だけだろう。
 そして“姫若子”であり、四国を統一した英雄でありながら、ついつい己を過剰に省みてその弱さが(しかし人としての美徳が)結果としてそれ以上の器となれない枷となってしまったことを知りつつも直せない、あるいは直そうとしなかった元親を演じられるのは、これもいまのところ松山さんだけではないかと思うのが如何。
 以下、賛否両論あるかと思いますが。(上に続いて敬称略)

 お里・・・・・・・・・・・・・・・・・・余貴美子
 福留隼人・・・・・・・・・・・・・・福田豊土

 一条兼定・・・・・・・・・・・・・・国広富之

 斎藤内蔵助・・・・・・・・・・・・永島敏行
 明智光秀・・・・・・・・・・・・・・近藤正臣

 長曽我部信親・・・・・・・・・・瑛太

 三好笑巌・・・・・・・・・・・・・・戸浦六宏

 十河存保・・・・・・・・・・・・・・真田広之

 仙石権兵衛・・・・・・・・・・・・オダギリジョー

 織田信長・・・・・・・・・・・・・・玉木宏

 木下藤吉郎/羽柴秀吉・・・竹中直人

 (最後のお二人には、私版ドラマ化『播磨灘物語』にも出ていただきます。続報を待て!!)

PHAM Thi Thu Giang(ファム・ティ・トゥ・ジャン) 「『福翁自伝』のベトナム語訳を手がけて」

2011年09月17日 | 東洋史
 〈http://www.erct.com/2-ThoVan/0-Meiji/Thu_Giang/PhucOngTuTruyen-Nihongo.htm

 もとは『福澤手帖』128号(2006年3月)に掲載されたものらしい。
 同時代の中国や朝鮮に福澤諭吉の著作と思想が与えた影響は、よく知られている。概説書程度でも、梁啓超・金玉均へのそれはまず記述されるだろう。だがおなじく同時代のベトナム(仏領インドシナ)に福澤がどれだけ影響を与えたかは、あまりわからない。すくなくとも私はそれを明確に記述した概説書・専門研究を知らない。
 ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)が日本滞在中に、おそらくは梁啓超を通じて福澤の思想に触れたことは確かであり、本人自身も著作や書信のなかでなんども福澤について触れている。またかならずしもファンとかならずしも思想的には同じではなかったが、ファン同様ベトナムの独立・近代化をめざしたファン・チュー・チン(潘周)が、ハノイに設けた私学校「東京義塾」はその内容といい、名称といい、あきらかに慶應義塾を範に取るものだった。
 ここまではたいていのちょっとしたベトナム史・日本思想史・福澤関連の書籍にはかいてある。だがそこから先がわからない。具体的にどうなのか。たとえば魯迅が東アジアの諸国・地域の知識人にあたえた影響については、藤井省三氏の研究がある。だがそれと同程度の精密さと深さをもった福澤思想についてのそれはあるのかいなか。たとえばベトナムに与えた影響についての専論というものはあるのか。あったらいまどなたからでも御教示を得てすぐにでも読みたいと思う。
 そうしたなか、このファム・ティ・トゥ・ジャン氏の文章は、私の渇きをおおいに癒してくれるものだった。
 このファム・ティ・トゥ・ジャン氏の文章によって、これまで福澤の『学問のすすめ』はベトナム語に訳されていたこと、しかし『福翁自伝』は未刊であったことをしった。ちかじかまたベトナムへ行くが、本屋で探してみたい。また誰か読んだことのある人に出会ったら、感想を聞いてみたい。
 それに、この翻訳が出版されたのは2005年であり、すでに数年が経過している。現在ではそのほかにも福澤の諸著が越訳されているのかどうか、知りたいものである。
 (なお「轟亭の小人閑居日記 馬場紘二」のこちらが本項を書くうえで参考になった。)