『福澤諭吉全集』第19巻(岩波書店 1962年11月初版 1971年4月再版)付録月報所収。
(承前)
日本の近代化に最も貢献した福澤諭吉は、中国の近代化に対して如何なる影響を及ぼしたであらうか。 (冒頭。原文旧漢字)
私の知る限り、“東アジアにおける福澤諭吉”(藤井省三氏の「東アジアにおける魯迅」《注》をもじったもの)というテーマのもとで書かれた専論はこれしか知らない。ほかにもあるのならひらに謝るし、喜んでことごとく拝読したいと思っている。
(注)藤井省三『新・魯迅のすすめ』(「NHK人間講座」2002年2~3月期、日本放送出版協会、2003年2月)「第8回 東アジアにおける魯迅」、同書122-138頁。
内容は、梁啓超の作業(さくぎょう)のほか、吉野作造が第一次世界大戦勃発直後に中国を訪れた友人からきいた話として記した文章についても紹介がされている(吉野作造「公人と常識」所収「孫逸仙と福澤諭吉」)。中国のある田舎の小学校を視察におとずれた日本軍の将軍〈神尾大将)が、「日本で一番えらいのはだれと思うか」と生徒にたずねたところ、その大多数が「福澤諭吉」と答えたという。ちなみに、その前に神尾大将(おそらくは神尾光臣・当時青島守備軍司令官)は、「いま支那で誰が一番えらいと思ふか」と訊ねており、その答えは「孫逸仙(孫文)」であった。
ファム・ティ・トゥ・ジャン氏も注意しておられるように、福澤については日本でもまだ評価は定まっていない(私は普通にその著作を読めば端から定まっていると思うが、学界の人々はおのれの錦の御旗が飯の種であるせいもあっていまさら定めたくないのだろう。勝手にやってくれ)。それはともかく、福澤反対・支持をとわず、どちらの陣営も、海外に福澤がどういった影響を及ぼし、あるいは影響といわないまでもどう受容されたかについてはもっと関心を向けるべきだと思うのだが、如何なものであろうか。どちらも、「脱亜論」にいまだに囚われてはいないか? だからあれもちゃんと読んだらどういうことかわかるだろうに。わからないのは――とくにあれを侵略主義と捉える人は――単に、御自身の日本語読解力に問題があるというだけだ。だいいち‘処分’は「侵略」の意味じゃないっつうに。何度でもいうが、事実研究の蓄積があるのならいくらでも謝る。ぜひ教えてくれ!
(承前)
日本の近代化に最も貢献した福澤諭吉は、中国の近代化に対して如何なる影響を及ぼしたであらうか。 (冒頭。原文旧漢字)
私の知る限り、“東アジアにおける福澤諭吉”(藤井省三氏の「東アジアにおける魯迅」《注》をもじったもの)というテーマのもとで書かれた専論はこれしか知らない。ほかにもあるのならひらに謝るし、喜んでことごとく拝読したいと思っている。
(注)藤井省三『新・魯迅のすすめ』(「NHK人間講座」2002年2~3月期、日本放送出版協会、2003年2月)「第8回 東アジアにおける魯迅」、同書122-138頁。
内容は、梁啓超の作業(さくぎょう)のほか、吉野作造が第一次世界大戦勃発直後に中国を訪れた友人からきいた話として記した文章についても紹介がされている(吉野作造「公人と常識」所収「孫逸仙と福澤諭吉」)。中国のある田舎の小学校を視察におとずれた日本軍の将軍〈神尾大将)が、「日本で一番えらいのはだれと思うか」と生徒にたずねたところ、その大多数が「福澤諭吉」と答えたという。ちなみに、その前に神尾大将(おそらくは神尾光臣・当時青島守備軍司令官)は、「いま支那で誰が一番えらいと思ふか」と訊ねており、その答えは「孫逸仙(孫文)」であった。
ファム・ティ・トゥ・ジャン氏も注意しておられるように、福澤については日本でもまだ評価は定まっていない(私は普通にその著作を読めば端から定まっていると思うが、学界の人々はおのれの錦の御旗が飯の種であるせいもあっていまさら定めたくないのだろう。勝手にやってくれ)。それはともかく、福澤反対・支持をとわず、どちらの陣営も、海外に福澤がどういった影響を及ぼし、あるいは影響といわないまでもどう受容されたかについてはもっと関心を向けるべきだと思うのだが、如何なものであろうか。どちらも、「脱亜論」にいまだに囚われてはいないか? だからあれもちゃんと読んだらどういうことかわかるだろうに。わからないのは――とくにあれを侵略主義と捉える人は――単に、御自身の日本語読解力に問題があるというだけだ。だいいち‘処分’は「侵略」の意味じゃないっつうに。何度でもいうが、事実研究の蓄積があるのならいくらでも謝る。ぜひ教えてくれ!