書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

手塚利彰 「ダライラマの出現とその歴史的背景」

2011年09月21日 | 東洋史
 櫻井よしこ/北村稔編『中国はなぜ「軍拡」「膨張」「恫喝」をやめないのか その侵略的構造を解明する』(文藝春秋 2010年10月)所収(163-206頁)。
 再読していてあっと驚いた。文中、パンチェン・ラマ4世と乾隆帝の会見(1780年)の有様について、石濱由美子氏の研究を引いて紹介してあるのだが、両者同じ高さの座席だったという(184頁)。ダライ・ラマ5世が順治帝と会見したときには(1653年)、ダライ・ラマの席のほうが低かったからだ(5世自身の証言。山口瑞鳳『チベット』下、1988年3月、103頁に引用されている)。どういうことなのだろう。チベットにおける地位はいうまでもなくダライ・ラマのほうが高い。

「【コラム】今日の任天堂を作ったオタク精神」(1)(2) を読んで

2011年09月21日 | 地域研究
▲「中央日報 Joins.com」2011年09月21日12時02分、金光旭(キム・グァンウク)韓国京セラミタ社長。
 〈http://japanese.joins.com/article/943/143943.html?servcode=100§code=140
 〈http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=143944&servcode=100§code=140

 「オタク」とは結局「数寄者」の謂かもね。外国語では、イギリス英語の "anorak" がこれにやや近いか。

栗原悟 『雲南の多様な世界 歴史・民族・文化』

2011年09月21日 | 地域研究
 雲南にはモンゴル族もいるそうだ。人口はわずか1.5万人、通海県のみに集住しているそうで、しかも元時代にここに移住してきてからの数百年のあいだにモンゴル語を話せなくなっているそうだが(現在は漢語か周辺の多数民族であるイ族の言葉を使用)、「村の中の廟にはチンギス・ハーンやクビライ・ハーンなどの像を安置して、モンゴル族としてのアイデンティティを保持し続けている」(168頁)とのこと。清代以来の満族もいる由(7,000人、昆明地区ほか)。もっともこちらについては言語状況などについて触れられておらず、どの程度、自らの民族的アイデンティティのよすがを保持しているかもわからない。
 民族的アイデンティティと言えば、革命後に民族識別工作が行われる過程で、雲南では、自分が何民族に属するのかわからない人が多数存在することが明らかとなったという(1953年第一回全国人口調査の結果。本書143頁)。
 ところで、迪慶チベット族自治州シャングリラ県(もと中甸県)のチベット族は、日本輸出用の松茸採取(栽培はせず自生のものを取るだけらしい)に従事しており、なかには“松茸御殿”を建てた者もいるらしい(174頁)。

(大修館書店 2011年4月)

Artemy M. Kalinovsky 『A Long Goodbye: The Soviet Withdrawal from Afghanistan』

2011年09月21日 | 地域研究
 当時のソ連指導部とそのほとんどを占めるロシア人の政治過程および“集合意識”(カバー表折り返しの編集部による内容紹介コピーから)に専らで、アフガニスタンに隣接する中央アジア諸共和国の指導者や国民/諸民族のそれはあまり触れられない(46-51ページあたりが主)。まとまった史料や情報が不足しているためか?

(Harvard University Press, May, 2011)

「【韓国ブログ】ミニスカートで自転車…日本の日常風景に衝撃!」

2011年09月21日 | 地域研究
▲「Searchina 中国情報局」2011/02/06(日) 15:06、編集担当:新川悠。(部分)
 〈http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0206&f=national_0206_077.shtml

 ブログで“日本で経験した文化的な衝撃”について紹介している韓国人ブロガーのJヒメ(ハンドルネーム)さんは、衝撃を受けたことの中でも、特に「ミニスカートで自転車に乗る女子高生」の姿に驚いたと語る。〔中略〕「多くの韓国人は文化的衝撃と、緊張感、妙な好奇心、さらに心配が交じり合った変な心理状態になる。ミニスカートで自転車に乗る女子高生をよく見かけたが、堂々と乗っていた。気を遣うのではないかと思ってしまう」と述べる。 

 Jヒメさんは日本の友人に「ミニスカートで自転車に乗る女子高生」についてたずねたところ、「よく分からない」と無関心だったという。「他人の人生や姿や行動に無関心なのが、日本人らしい。だから日本は韓国よりも多様性が存在する国なのかもしれない」と考察した。


 私は韓国のうら若き女性歌手グループのミニスカート姿に驚くが、あれは国内の服装感覚ではないのだろうか。
 ちなみに、今現在はどうなっているか知らないが、10数年前の北京では、夏の暑いさなかに北京の女性は老いも若きも長いスカートをまくり上げて自転車をこいでいたり、同じ格好で家のまえに出した椅子にすわって足の間に涼を入れていたりした。地元の北京の男性(複数)は、「あれは恥ずかしい」と言っていた。ほぼ同時期の山東省では、北京よりやや涼しかったこともあるのかもしれないが、そのような光景はほぼまったく目にしなかった。
 所変われば品変わるというか、三者三様(いや四者四様というべきか)で、面白い。