書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

あのときはあれが真実だったんだけどね

2008年10月21日 | 思考の断片
 1960年代から70年代にかけては歴研(歴史学研究会)学派・東京学派に属し、当然ながらマルクス主義者として、中国中世社会経済史を専門としていたが、1980年代以降、次第に民衆思想史へとみずからの研究分野をシフトしていった、ある東洋史研究者・元大学教授の、90年代初頭における言葉。

▲「YOMIURI ONLINE 読売新聞」2008年10月19日03時03分、「アフガンに自衛隊ヘリを、米が日本に派遣を打診」
 〈http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20081018-OYT1T00700.htm

 具体的には〈1〉CH47輸送ヘリによるアフガン国内の輸送〈2〉C130輸送機による海外からアフガンの拠点空港への輸送〈3〉地方復興チーム(PRT)への人的貢献――の3分野。インド洋での海上自衛隊の給油活動の継続に加えて、米側がアフガン本土での日本の貢献拡大に期待していることが改めて浮き彫りになった。

●「日中覚書貿易会談コミュニケ」(1970年4月19日) (「日中関係資料集」より)
 〈http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19700419.D1J.html

 双方は、一九六九年一一月二一日に発表された日米共同声明についてきびしく非難した。
 中国側は、次のようにきびしく指摘した。日米共同声明は侵略的な日米「安全保障条約」を、一層範囲の広い、一層危害性にとんだ新しい米日軍事同盟に変えており、その矛先を直接中国人民、朝鮮人民、インドネシア三国人民およびアジア諸国人民に向けている。日本反動派は、アジア人をアジア人と戦わせるいわゆる「新アジア政策」を推し進めているアメリカ帝国主義のおもな幇助者となり、アジア諸国人民に反対する急先鋒をつとめている。日米共同声明が言いふらしているいわゆる「沖繩返還」は、全くのペテンである。「沖繩返還」の看板のもとに、佐藤栄作は、日本の民族利益と主権を売り渡すことさえ辞せず、日本全土をアメリカの戦車に縛りつけ、日本本土を沖繩化し、アメリカ帝国主義のアジア侵略の軍事基地に変えることを承諾した。佐藤栄作は、横暴にも、日米共同声明の中で、台湾は、「日本の安全にとってきわめて重要な要素」であり、朝鮮は「日本自身の安全にとって緊要」である、日本はインドシナ地域の「安定」のため「役割」を発揮すると公言している。米日反動派が軍事結託を一層強化する目的は、明らかに、中国の神聖な領土台湾省を永久に占拠し、中国人民が台湾を解放するのを阻もうとするものであり、南朝鮮を永久に占拠し、朝鮮の再統一を妨げ、はなはだしきに至っては朝鮮民主主義人民共和国を再び侵犯しようとするものであり、ベトナムを永久に分割させ、ベトナム人民が南部を解放し、北部を守り、祖国を統一するのを妨害しようとするものであり、そのために、インドシナを侵略する戦争の拡大さえ辞さないでいる。疑いもなく、これらすべては、日本軍国主義の侵略の野望を徹底的にさらけだしている。アメリカ帝国主義の育成のもとに、日本軍国主義の復活は、すでに、アジア人民と世界人民の前におかれているきびしい現実となっている。(赤字は引用者) 米日反動派のこのような新しい侵略活動は、アジアと世界の平和に対する重大な脅威であり、日本人民にも必ずや新しい、一層大きな、深い災難をもたらすであろう。中国人民および日本人民を含む全アジアの人民は、団結して、米日反動派に打撃をあたえ、これを粉砕しなければならない。
 日本側は、中国側の立場に理解を表明するとともに、次のようにのべた。日米共同声明は、日米軍事結託を新たな段階におし上げ、「日米安全保障条約」を一層拡大し、エスカレートさせた。日米共同声明のいわゆる「沖繩返還」の条項は欺瞞性をもっており、「沖繩返還」の名のもとに、佐藤政府は、日本本土を沖繩同様のアメリカの軍事基地にする危険をつくり出している。日米共同声明は公然と日本の「安全」の範囲を台湾、朝鮮、インドシナ地域に拡大させ、佐藤政府は軍備拡張、軍事予算の増大等に拍車をかけている。このような日本軍国主義復活の情勢は、中国人民、朝鮮人民、インドシナ三国人民およびアジア諸国人民に重大な脅威をあたえ、極東地域の緊張情勢を一層激化させているものであって、われわれの容認できないことである。日本側は、さらに、日本軍国主義の復活を排撃、粉砕し、侵略戦争に反対するために、一層多くの努力をはらう決意を表明した。

 当時の中国側は、安保条約の持つ自衛的側面をまったく認めず、“本質的に”(また!)、対外侵略的性質のものであると決めつけた。つまり、日米同盟の枠内で日本が自衛することさえ“軍国主義”と呼んで批判し、日米安保の翌1970年即時廃棄を要求したのである(ちなみに中国は同時に、米国から独立した日本の再軍備はなんら問題ないとしていた)。
 日本は現在でも日米安保の枠内にある。米国との軍事的同盟関係は、1969年の時点よりもさらに強化されている。自衛隊(もしくは自衛官)はインドシナどころか、東南アジア、インド洋、西アジア、さらには南米、アフリカにまで――つまりほぼ世界中に、中国(東北部)にすら――海外派遣されている。40年前に“きびしい現実”だったのなら、今日の現実は当時とはくらべものにならないくらいきびしいはずである。だがその現実を、中国政府は少なくとも表だっては批判しない。
 以上、とくに感想はない。

 というより、論評する気もおこらないほどにばかばかしい。 (司馬遼太郎 『長安から北京へ』、中公文庫版、1979年1月所収「北京の桐の花」、同書184頁)