書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ネイティブなら1-2分でわかるコーカサスの地政学

2008年10月20日 | 抜き書き
▲「Economist.com」Oct 16th 2008、「The Caucasus: After the war」
 〈http://www.economist.com/displaystory.cfm?story_id=12415100

THE scenery is breathtaking. Sandwiched between two seas and home to Europe’s highest mountains, the Caucasus has always been an alluring and darkly mysterious region. Its reputation rose during its long, slow conquest by imperial Russia in the 19th century. The Caucasus features prominently in the poetry of Pushkin and the fiction of Tolstoy. A classic Russian figure, the “superfluous man” who is powerless and doesn’t fit in, first appeared in the character of Pechorin in Lermontov’s novel, “A Hero of Our Time”, set in the Caucasus. Russian readers were also enthralled by the exploits of the Caucasian resistance hero, Imam Shamil.

Now the Caucasus is at centre-stage again. The restive north Caucasus republics in the Russian federation are always in the news. After two bloody wars with the Russians, Chechnya is more or less at peace under the thumb of its strongman president, Ramzan Kadyrov, but could easily flare up again. Dagestan has become an increasingly lawless place. Worse, Ingushetia is in a state of near-anarchy, with Russian security services using the same brutal methods as armed Ingush rebels.

But it is the three countries of the south Caucasus―Georgia, Azerbaijan and Armenia―that are the bigger story now, for they are the cockpit in a new clash between Russia and the West. The main reason these tiny countries matter, despite a combined population of only 16m or so, is geographical. Perched next to Turkey, north of Iran and south of Russia, this is a place where empires have long met―and clashed. Russia never reconciled itself to losing control of the Caucasus when the Soviet Union broke up in 1990-91. Moscow has been visibly fretful about rising Western influence.

タリバンの目指す国とはどんなものだろう

2008年10月20日 | 思考の断片
▲「MSN毎日インタラクティブ」2008年10月20日2時30分(最終更新10月20日2時42分)、「タリバン:自爆『6割が身体障害者』 カブール大准教授」
 〈http://mainichi.jp/select/today/news/20081020k0000m030105000c.html

 准教授は2年前から、カブールを中心に自爆テロの実行犯の遺体80体を独自に検分。うち65%に当たる52体が、手や足、指などが自爆前から欠損している身体障害者だった。
 准教授は現場に残された義足や歩行補助具の流通ルートを調べ、うち1件は06年、カブールの援助団体が中部ロガール州で地雷被害に遭った男性に贈ったものであったことも突き止めた。
 タリバンは「米軍の空爆による犠牲者の遺族が、(志願して)自爆している」と主張している。准教授は「手足などを失い失業して貧困に陥った障害者が、家族の生活を保障するなどと口約束されて、自爆している可能性がある」と指摘する。

 無駄飯食らいの穀潰しも減るし、一石二鳥というわけであろうか。
 もしルサフ・ラドガリ准教授のこの仮説が事実なら、タリバンは即刻この地上から消え去るべきである。

池谷薫 『蟻の兵隊 日本兵2600人山西省残留の真相』

2008年10月20日 | 日本史
●「ウィキペディア」、「中国山西省日本軍残留問題

 この残留事件では、現役軍人で残留を希望しない者が残留を余儀なくされた、という主張が元残留兵の一部からなされ、戦後、訴訟にも発展するなど問題となっている。すなわち、日本政府は残留兵を「志願兵」とみなして現地除隊扱いとし、原則として恩給等を補償しないという姿勢であるのに対し、元残留兵の一部は軍命による残留を主張して、軍人恩給の支給を求めている。2005年には本件で最高裁判所に上告したが敗訴している。

 これを志願と呼ぶのは特別攻撃隊(特攻隊)を志願と呼ぶが如し。残留が、志願は形式にすぎず、実際はほぼ強制であったことは、首謀者の一人の城野宏が早く1967年に出版した『山西独立戦記』(雪華社)で、はっきり認めていることである。
 最高裁は、「乙集参甲電第一一二號」以下の一項を、どう解釈したのだろう?

 三、鉄道修理工作隊ノ編成人員ハ召集解除ノ形式ヲ採ルコトナシ  (本書80頁)

(新潮社 2007年7月)

奥村和一/酒井誠 『私は「蟻の兵隊」だった 中国に残された日本兵』

2008年10月20日 | 日本史
 奥村氏の語りを酒井氏が聞き書きしたもの。

 →「ウィキペディア」、「蟻の兵隊
 →「ウィキペディア」、「中国山西省日本軍残留問題

 奥村氏は「(自分は)中国一辺倒」、「なんでもかんでも中国を礼賛する」、「家の中でも中国のことを悪くいうことは絶対に許さん」と明言しているし(98頁)、インタビューアーの酒井氏は、本書裏表紙見開きの著者紹介によれば日中友好協会常務理事である。この本は何かの冗談か。と思わせてしまったのは岩波書店の戦術的ミスである。そしてこの本はプロパーの岩波文庫ではなくジュニア文庫のほうから出て、子供相手なら誤魔化せると思ったか、読者いや国民を舐めてるのか、と思わせた、これは戦術的ミスの上塗りである。
 書中、城野宏の名が出てくる。城野は、日本軍2,600名を敗戦後中国の山西省に残留させ、閻錫山率いる国民党山西軍の一部として共産党軍と戦わせるよう仕組んだ首謀者の一人である。城野には、帰国後、満州国総務庁次長だった古海忠之との対談書がある(『獄中の人間学』、竹井出版、1982年3月)。城野と、撫順戦犯管理所で率先して認罪坦白しながら、帰国するとその反省と改悛をいとも簡単に翻した古海との対話というのも、考えてみれば悪い冗談だが、しかし城野は、山西に駐屯していた支那派遣軍第一軍の司令官だった澄田らい(貝へんに來)四郎とは違い、次第に残り少なくなってゆく残留将兵とともに最後まで彼の地に留まり、1949年の共産党の勝利後は戦犯として1964(昭和39)年まで抑留されていた。一方の古海のほうも、戦犯として彼の地で懲役刑を受けて、帰国できたのは1963年である。この点、彼ら二人は、おのれの行動の責任を、全部とはとうてい言えないにせよ、取っていると言える。

(岩波書店 2006年6月)