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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

孫遜/鄭克孟等主編 『越南漢文小説集成』 巻14

2017年01月24日 | 地域研究
 収録作品
 野史  野史補遺  

 「提要」によれば1893年頃の成立。13巻と同様(むしろ時間的にはやや先行する)、仏領インドシナ時代(1883開始)の作品である。当巻所収の2作には、当時の新聞類に発表された複数の著者の手になるところの時事的話題を取り扱った文言文、いわゆる時文が分量・割合的に多く含まれる。そのせいもあるのだろう、前巻以上に新しい漢語が多い。「電信」「電気」「皇帝」「泰西」「欧洲」「欧羅巴」「法国」「地中海」「亜洲」「地球」「旧金山」「華盛頓」「維新」「変法」「推挙之法」「病院」「軽気球」「気燈」等。
 ただ時文への変容は語彙レベルに止まり、表現と文構造は固く伝統的文言文のそれを守っている。清末四大譴責小説康有為「上摂政王書」を思い出しつつ。

(上海古籍出版社 2012年10月)

孫遜/鄭克孟等主編 『越南漢文小説集成』 巻13

2017年01月24日 | 地域研究
 シリーズ全20巻についての紹介

 19世紀末から20世紀初にかけての作品を収める。すでに仏領インドシナ時代であり、この時期になると、フランスの侵略に直面して、近代化(西洋化)への意識と希求が、文言文で書かれた作品の語彙に反映されることになる。「愛国」「独立心」などといった、おそらくは日本から直接、あるいは中国経由で入ってきた和製漢語およびその内包する新概念が文中に現れる。それが見られるのは主として序文部分であり、すなわち作品の編纂目的、また問題意識が近代化・西洋化していることを意味する。

 収録作品  
 婆心懸鏡録  倫理教科書:人中物 南国佳事  大南行義列女伝  南国偉人伝  古怪卜師伝  武亭月円紀事

(上海古籍出版社 2012年10月)

飯野りさ 「中東少数派の自己認識 あるシリア正教徒の音楽史観と名称問題」

2017年01月16日 | 地域研究
 西尾哲夫編著『中東世界の音楽文化 うまれかわる伝統』(スタイルノート 2016年9月)所収、同書264-281頁。

 シリア正教徒は、“宗派的にもまたある意味で民族的にもシリア正教徒”なのだそうだ。宗教が民族的なアイデンティティの基盤にもなっているという意味である。話す言語や、それ以外の文化や伝統は、ここには関わってこないらしい。

 シリアやレバノンに居住している、ないしは居住していた人々は、アラビア語を話すがアラブ人ではなく、トルコ南東部すなわち南東アナトリア地方の場合、クルド語も話すがクルド人ではなく、ウルファにいた人々はアルメニア語も話したがアルメニア人ではない。すなわち、シリア正教徒とは、典礼語として古典シリア語を使用し、母語としてないしは生活言語として口語シリア語〔現代アラム語〕を話す人々もいる、宗教を核とした、ある種の民族的な集団なのである。
 (「1. はじめに――中東における民族と宗教」 同書265頁)

『三字経』に「光武興、為東漢。四百年、終於献」というくだりがある

2017年01月14日 | 地域研究
 『三字経』に「光武興、為東漢。四百年、終於献」というくだりがある。この「為」はどういう意味か。
 そのすぐあとにも、こんどは「宋斉継、梁陳承。為南朝、都金陵」という、やはり「為」を用いたくだりが、またある。こちらもどういう意味か。
 ネットですぐ引けた注釈では、どちらも「なす」と訓読している。 日本語への解釈は、いまひとつはっきりしないが、「である」もしくは「と言う、呼ぶ」の意味に取っているようである。現代の解釈では、「為」にはそのどちらの意味もあるとしている。
 さらにいえば、「為」には「つくる」という意味もある。たとえば先に挙げた第一の例「光武興、為東漢。四百年、終於献」の「光武(帝)」は東漢(後漢)王朝の創始者だから、この「為」をその意味で解釈することも可能である。いま触れたネットの注釈は、前者についてはどうもこの意味に解釈しているようでもある。
 どれが正しいのか。この意味の確定は、文章内の文脈からだけでは不可能である。文章の外の文脈、つまり書かれた内容に関する知識が必要になる。
 ところで、今日の日本語の「なす」という動詞は「する」が第一義であろう。ついで「である」や「つくる」の意味がくる。「と言う(呼ぶ)」の用法はまれか、ほとんど使われない。ここで私はいったいなにがいいたいのかというと、訓読の日本語は、それ自体一つの言語もしくは少なくとも文体であって、語彙・表現・文のすべてにおいて現代日本語とは異なると、はっきり認識すべきだと主張したいのである。
 現代日本語の話者が、「為」を「なす」と訳語を対照的に記憶して、それを語彙あるいは表現に逐一当てはめていって自動変換のように訓読文を作っても、「為東漢」も「為南朝」も、現代日本語の意味と語感で解釈してしまうことになる。つまり、「東漢をする」は論外としても、「である」「つくる」と辞書(それも現代日本語の辞書)を、機械的に調べなおして、その辞書にある用法の順番どおりに、部品を入れ替えるようにコトバを入れ替え当てはめる作業を繰り返すだけであろう。そして現代日本語と訓読文の「なす」の共通する意味「である」が、幸いにも偶然このばあい解(の一つ)として通用する(=現代日本語としても通じる)がために、当てはめはおそらくここで終わる。しかし、訓読文はおろか、もとの古代漢語において現代日本語の「である」、すなわち繋辞に相当する語や概念はあったか否かという最大の問題(すくなくとも言語を解釈するという面から言えばだ)は、ここでは最初から最後まで等閑に付されているのである。

 ちなみに「である」の意味の「為」は『論語』『左伝』に例が認められるほど古くからある用法なのだが、手元の虚詞辞典を引いてみると、「為」が後世から見て繋辞となる用法は、『助字弁略』に第一の字義(「猶是也」)として挙げられるほかは、『経伝釈詞』『経籍籑詁』のどちらにも見られない。
 ここでおもしろいのは、『経籍籑詁』には『助字弁略』における「猶是也」の用法はないかわり、「猶属也」という、『経伝釈詞』にもない用法が記されていることだ。例は『戦国策』から取られている。「代、上党不战而已为秦矣。」現代日本語の「である」は、基本的に、両者がまったく交換可能(同一物もしくは言い換え)である場合以外は、主語は基本的に述語のなかに包摂されるものという思考上の前提があるから、「AはBである」と「AはBに属す」を別の用法(意味)として捉える古代漢語の考え方は興味深い。

中原一博 『チベットの焼身抗議 太陽を取り戻すために』

2016年12月14日 | 地域研究
 出版社による紹介その他

 一言でいえばやはり、焼身行為は抗議ということになるのだろうか。だがこの中で紹介される個々の例を観ると、私個人としては、証言や遺書などに残された焼身者の事情や心理にもう少しの陰翳を感じるのだけれど、どうだろう。

(集広舎 2015年9月)

笈川博一 『物語 エルサレムの歴史 旧約聖書以前からパレスチナ和平まで』

2016年11月21日 | 地域研究
 必要なテーマ・論点へ、浅慮からする飛躍もなく、準備不足による逡巡と凝滞もなく、ごく自然な傾斜をもって記述が、必要に応じて方角を左右しつつ、先へ先へと流れてゆく。それはまるでまさに嚢中の物を探るが如く、碩学の書き下ろし感満載。

(中央公論新社 2010年7月)

村上大輔 『チベット聖地の路地裏』

2016年11月11日 | 地域研究
 出版社による紹介

 著者の経歴に興味をひかれた。本著作の内容の、調査かつ記述対象(チベットとチベット人)と自身との間の、一種独特な、冷淡ではなくのめり込むでもなく、さりとて冷静あるいは平板一辺倒というわけでもない、いわば即かず離れずとも形容すべき微妙な距離感は、その経歴と関係はあるのかどうか。

(法藏館書店 2016年8月)