書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

高良勉 『沖縄生活誌』

2017年02月02日 | 地域研究
 出版社による紹介

 「宮古差別」、つまり島差別のことが書かれている。「いわれなき」と形容してある。薩摩の琉球侵略以後、琉球処分後も温存され、明治32年まで先島地域で続いた人頭税のことにも触れられている。「宮古」、本書126-129頁、とくに127-128頁。

(岩波書店 2005年8月)

上原善広 『被差別のグルメ』

2016年01月17日 | 料理
 出版社による紹介

 沖縄の島差別についての言及がある。「はじめに」と「第四章 沖縄の島々」。先島地域だけでなく、奄美地域の住民に対するそれにも触れられている。奄美は薩摩の琉球征服後薩摩領となって、首里王府によるノロの任命と派遣以外琉球とは交流や関係がなくなったはずだから、文書上はともかく以後実地には消滅したと思っていたが、沖縄の人々の奄美群島への差別意識は江戸時代を生き続け、明治後、国民に移動の自由が与えられると、差別行動は復活したらしい。

(新潮社 2015年10月)

ジョージ・H・カー著 山口栄鉄訳 『沖縄 島人(しまんちゅ)の歴史』

2015年11月05日 | 東洋史
 出版社による紹介。

 第Ⅰ部第3章「中山国最良の日々 一三九八~一五七三年」に、「4. 沖縄と先島諸島」という条があって、先島差別について触れている。その箇所の引用。

 〔略〕そのような歴史的経過の違いの結果、首里や那覇の人たちの間には、ずいぶんと早い頃からはっきりとした形で優越感が芽生え、先島の住民の人となり、行いを卑下するようになっていた。中国や日本が沖縄人を常に洗練さに欠ける粗野な者とみていたと同じく、沖縄の人たちはまた、先島の人たちのことを社会的にも知的にも劣る『田舎の兄弟分』だとみなしていた。このことは、今なお政治面で色々な形となって表われてきている。逆にまた、先島の人たちの何となく感じる疎外感や中央に認められたいといった願望が、その地の民俗歌謡や舞踊、民話に反映されている。 (122-123頁)

(勉誠出版 2014年4月)

ヘンドリック・ハメル著 生田滋訳 『朝鮮幽囚記』

2011年10月21日 | 東洋史
 1653年、済州島に漂着したヘンドリック・ハメルら一行は、治所済州邑の客舎にひとまず収容され、米の飯を与えられた。このことについて、本人は酷い扱いを受けたかのように書いているが(後になると放置されさらには厄介者扱いされて実際にも待遇が悪化するが)、当初のこの扱いは、朝鮮側にすれば優遇であった。なぜなら済州島は火山島で、火山灰の土壌には水がたまらず、当然ながら水田が作れず、米は外部からの供給に仰いでいたからだ。地方長官の牧使やその部下の官吏はまだしも、一般庶民には滅多に口に入らぬものであったらしい。このあいだ済州道民俗自然史博物館で伝統的な郷土料理の展示を見てきたが、基本的に島民の主食は粟・麦・豆などの雑穀が主体であったようである。(家の屋根をふく藁も、稲ではなく粟や茅のそれであると、いまも伝統家屋に住み続けている住民を訪ねた際に聞いた。)もっともこんにちではさすがにそんなことはないが、私のリクエストに応じて一日かけて島内のあちこちを案内してくれたタクシーの運転手兼ガイドの金さんによれば、現在でも済州島で消費する米は外から買っているとのこと。
 なおハメルは、済州島人が本土人から蔑視されていた旨証言している。“済州島差別”というものは、いつのころからあったのか。

(平凡社 1969年2月初版第1刷 1979年12月初版第5刷)

下川裕治/仲村清司著・編 『新書 沖縄読本』

2011年05月11日 | 人文科学
 沖縄ブームの火付け役の一端を担った両者が、その終息ともいわれるこんにちの時期に際して、「落とし前をつけ」るため、“癒しの島”でも“楽園”でもない、“問題の山積した南の島”、ただ“「ゆるさ」というエネルギー”だけは確かにある、沖縄県の現状ひいては現実――沖縄ブームの結果、物的にも心的にも本土の人間に荒らされたという面も含めて――を、本土人に伝えるべく書いたとのこと。おそらくは懺悔の念を籠めて。
 文中、その山積する“問題”についてはもちろんのことだが、おそらくはブームのさなかなら決して取り上げることができなかったであろう沖縄本島人による伝統的な先島人(宮古・八重山諸島の住民)差別についても、隠すことなく書いている。たとえば先島では明治36年まで、沖縄本島でも施行されなかった人頭税が行われていたことなど(事実自体は司馬遼太郎氏がすでに『街道をゆく』で指摘しているが)。そして宮古・八重山の人たちが、自分たちを決して沖縄人(ウチナーンチュ)と呼ばないこと(先島差別については司馬さんも触れていない)。ちなみに著者のひとり仲村氏は本土生まれとはいえ沖縄人である(現在は沖縄在住)。えらいものだと思った。

(講談社 2011年2月)