昨日、市井の人の、天候の挨拶よりもうすこし踏み入った内容の会話を耳にする機会があったのだが、そのものずばりを避けて使う言い換え語彙の“ずらしかた”や“にじませかた”、また同様の発想や語彙の使用法に基づくいいまわしや表現が、「それでお互い何のことかわかるのか」と不思議に思えるくらい、技術的には多義的で模糊としていた。魯迅と許広平が書簡で金銭の話をする場合には、信じられないほど曖昧な物の言い方をすることを、魯迅の評伝を訳しているさい原著に教えられた。著者の注釈がなければ何のことか分からないほど模糊とした書き方だったが、それと同様か。背景となる状況について知識を共有していないと、“解読”できない。
半世紀使い続けている高梨健吉『総解英文法』(美誠社 1970年3月)で、限定用法における性状形容詞の語順をあらためて確認してみた。大小→形状→性質・状態→色彩→年齢・新古→材料・固有形容詞→名詞の順に“だいたいは”なるという(第9章、234-235頁)。つまり英語の宇宙では、この順序で人や物事の性状を認識するということである。興味深い。
そして形容詞全体について言えば、冠詞または代名形容詞→数量形容詞(序数詞→基数詞)→性状形容詞→名詞の順となる(同234頁)。実に興味深い。
そして形容詞全体について言えば、冠詞または代名形容詞→数量形容詞(序数詞→基数詞)→性状形容詞→名詞の順となる(同234頁)。実に興味深い。
お年を召すと理屈が通じなくなるのだなと実感させられる例を、外出先で目の当たりにした。言動が支離滅裂なのは、たったいまご自分が言ったことや為たことを忘れておられるか、憶えていても気分もしくは性格、もしくは人格が変化するせいかと思える。高齢化社会が進むとはこの現象が至る所で見られるようになる、いなむしろ常態となるということだろうかとふと考えた。そして自分がそうなることはむろん十分に考えられることだとも。
そういう状態に立ち至ったひとは、こちらがいちいちまともに相手にしていると実現不可能な無茶苦茶をそのまま実現するべく強いてくるし、できないと言うと激情に任せて平気で無礼な言動にも及ぶので、理も非もない感情だけの相手にはそれ以上の量と程度の感情をぶつけて怯ませるしかないのかもしれないとも考えさせられる。私は一度やってしまったことがある。
ひとは老いると幼児に戻るという。成程いわゆる魔の3歳児に似通う所があると見ていて思った。しかし正真の3歳児にはこれから昇る一方の熾んな生命の輝きと美とがあるが、己の人生の収穫を終えて人生を下ってゆく老人が同じ事をするのは、その人自身には如何ともし難いことかもしれないものの、一種無残さを感じさせた。
そういう状態に立ち至ったひとは、こちらがいちいちまともに相手にしていると実現不可能な無茶苦茶をそのまま実現するべく強いてくるし、できないと言うと激情に任せて平気で無礼な言動にも及ぶので、理も非もない感情だけの相手にはそれ以上の量と程度の感情をぶつけて怯ませるしかないのかもしれないとも考えさせられる。私は一度やってしまったことがある。
ひとは老いると幼児に戻るという。成程いわゆる魔の3歳児に似通う所があると見ていて思った。しかし正真の3歳児にはこれから昇る一方の熾んな生命の輝きと美とがあるが、己の人生の収穫を終えて人生を下ってゆく老人が同じ事をするのは、その人自身には如何ともし難いことかもしれないものの、一種無残さを感じさせた。
吉田松陰は「吾に軽信の癖あり」と自戒していたらしいが、私も長らくこのきらいがあった。さすがに年を取って信用すべき理由がない相手は信用しないという、たぶん世間ではごく普通の対処方法が少しは身についたものの、それでも誰かのなかに実際には存在しない意気や志を見たいがゆえに見ようとしてしまうことがまだある。
李贄は『蔵書』で、自らの評語のなかで歴代史家の賛を三個所、引いている。そのうち一つが范曄で、あとの二つが司馬遷なのは、何か意味はあるだろうか。
過去の議論からの続き。
「孟子は、分析的理性の働きが実践的有効性の限界をこえるとき、それを『穿鑿』とよんできびしく非難した」(「中国の文化と思考様式」"4 分類原理と技術的思考" 24頁)とある。これは原文は『孟子』のどこだったかしらん。出典の指示がないので。
もっとも私も、“何か”の概念が「実践的有効性の働きをこえるとき云々」という意味の似たようなくだりを読んだ憶えはある。ただ「分析的理性」という概念が『孟子』のなかにあったことは知らない。
そして山田先生は「ジェスイットの指摘」によればとしたうえで、「中国人は理性の自然の光にしたがってさまざまな観念を比較し、正確な結論をみちびきだす」とされるのだが(同"6 フィルターの変質と近代の変質"35頁)、彼らの中国理解は“理”を理性ratio他と理解翻訳する体の表面的なものではなかったか。
イエズス会の宣教師は、彼らが見たいものを見た、あるいは極言すれば西洋へ報告する際の都合のよいダシに中国を使ったと、私は考えている。それを受け取った西洋の人間も、自分に都合がよいから受け入れたのだと。
(筑摩書房 1975年10月)
「孟子は、分析的理性の働きが実践的有効性の限界をこえるとき、それを『穿鑿』とよんできびしく非難した」(「中国の文化と思考様式」"4 分類原理と技術的思考" 24頁)とある。これは原文は『孟子』のどこだったかしらん。出典の指示がないので。
もっとも私も、“何か”の概念が「実践的有効性の働きをこえるとき云々」という意味の似たようなくだりを読んだ憶えはある。ただ「分析的理性」という概念が『孟子』のなかにあったことは知らない。
そして山田先生は「ジェスイットの指摘」によればとしたうえで、「中国人は理性の自然の光にしたがってさまざまな観念を比較し、正確な結論をみちびきだす」とされるのだが(同"6 フィルターの変質と近代の変質"35頁)、彼らの中国理解は“理”を理性ratio他と理解翻訳する体の表面的なものではなかったか。
イエズス会の宣教師は、彼らが見たいものを見た、あるいは極言すれば西洋へ報告する際の都合のよいダシに中国を使ったと、私は考えている。それを受け取った西洋の人間も、自分に都合がよいから受け入れたのだと。
(筑摩書房 1975年10月)
『日本中国学会報』53, 195-212, 2001。
本論文の議論および引用・紹介される史料から副次的にわかることは、新儒教では「心」は客体として存在を捉えられているが、その内容は必ずしも分析的に究められておらず、よってその働きたる「思」の内容も精密ではないという事実である。
本論文の議論および引用・紹介される史料から副次的にわかることは、新儒教では「心」は客体として存在を捉えられているが、その内容は必ずしも分析的に究められておらず、よってその働きたる「思」の内容も精密ではないという事実である。
この朱子の主張〔理一分殊〕は、もちろんそれなりに筋が通っているといわねばならない。ただそれはあくまで世界統一原理としての理体系が存することを前提し、その理体系に随順するところに本心の満足が得られることを予測してのことである。もしも一元的な理体系と現実とのずれ〔原文傍点〕に注目し、そのような理体系への随順に本心の満足が得られなくなるとするならば、個別的な理から理へと類推して行くことは不可能であり、それを強いられれば強いられるだけ本心は反撥を感じるだけであろう。 (荒木見悟「近世儒学の発展 朱子学から陽明学へ」本書69頁)
私は王廷湘や山鹿素行とおなじで、それぞれことなるありようの万事にどれもまったく同じひとつの理は存在できない、さらに、それでは格物致知の必要はなく論理矛盾になると思っているが、それは宋一代(王廷湘は明代の人)はそれで少なくとも表向きには通ったのだろう。信念であればそれで客観世界もそのはずだ、そうでなければならないという認識で通ったということであろうと思われる。
ただ時代の下った明代ではその信念だけでは客観世界の認識と折り合いがつかなかくなって、そこに陽明学の生まれる契機があったということか。
溝口雄三先生が仰るところの、「明代人の心にはもはや宋代理観は適応的でないということの表明」また「〔明代人が〕宋学的天理を拒否したのはそれが天の命であるからではなく、明代のリアリズムにとってそれがもはや天の理たりえないからであり、だから彼らは〔略〕自己の心性においてあるべき理を実得しようとした」とは、荒木先生の指摘されるこのことをも含めて言われたものであろうか。
(中央公論社 1978年12月初版 1992年6月4版)
先達の教えをあらためて叩く。
王陽明において「良知」が、“個々人が倫理的判断を為す主体”として、客観的にその存在を認識されていることを確認する。その持つ作用については言うまでもない。ただしそれは、「天理」と同じ、また「道」と同じともあり、「動物や植物にもある」ともされており、朱子学の「理」と同じ側面もまた有する。
9月10日補足。
溝口雄三先生は良知を「人の道徳的本性(良知、心の本体)」と定義しておられる。(溝口雄三訳『王陽明 伝習録』中公クラシックス、2005年9月、22頁)
また日原利国編『中国思想事典』(研文出版 1984年4月初版第1刷、1992年10月初版第2刷)、上田弘毅執筆「良知説」項は、「道徳的判断・行動の主体」と説明する。
(たちばな出版 1995年4月第1刷 1995年5月第2刷)
王陽明において「良知」が、“個々人が倫理的判断を為す主体”として、客観的にその存在を認識されていることを確認する。その持つ作用については言うまでもない。ただしそれは、「天理」と同じ、また「道」と同じともあり、「動物や植物にもある」ともされており、朱子学の「理」と同じ側面もまた有する。
9月10日補足。
溝口雄三先生は良知を「人の道徳的本性(良知、心の本体)」と定義しておられる。(溝口雄三訳『王陽明 伝習録』中公クラシックス、2005年9月、22頁)
また日原利国編『中国思想事典』(研文出版 1984年4月初版第1刷、1992年10月初版第2刷)、上田弘毅執筆「良知説」項は、「道徳的判断・行動の主体」と説明する。
(たちばな出版 1995年4月第1刷 1995年5月第2刷)
主君を含めた〔原文傍点〕大名家の成員の総てが国家共同体の官僚制を形成するということである。その目的は主君個人に向けられるのではなく、治国安民という公共性に求められる。 (「第四章 近世の国制」“第四節 君臣秩序とその思想” 本書280頁)
すなわち主君も家臣も国家統治を職務とする役人であり、 (同、279頁)
こうして公私の分離と、主君の地位の公的機関化が進行すると、それは必然的に、主君が公的機関に相応しくない態度を改めようとしない場合には交替させよとする、主君廃立の正当化理論としての性格を持つに至る。 (同、275頁)
(講談社学術文庫版 2006年10月。もと平凡社 1988年5月)
すなわち主君も家臣も国家統治を職務とする役人であり、 (同、279頁)
こうして公私の分離と、主君の地位の公的機関化が進行すると、それは必然的に、主君が公的機関に相応しくない態度を改めようとしない場合には交替させよとする、主君廃立の正当化理論としての性格を持つに至る。 (同、275頁)
(講談社学術文庫版 2006年10月。もと平凡社 1988年5月)