ヤマガラの御神籤

2010-07-10 17:48:58 | 塾あれこれ
途中で倒れたらカッコ悪いし、と悩みましたが
本日も暑い中、散歩にでかけました。

最近は昼間暑いと夜散歩しています。
でも夜は面白くないですからね。

若い人は別として年配者の散歩姿は減っています。


カワセミがいました。

ミチオシエのように少し前を飛び
私が追いつくと、また前に行きます。
およそ100mくらいそうしたでしょうか。
何度見ても美しい鳥ですね。

パラパラと先へ行くのも可愛いものです。
もっとも向こうとしてみれば

「しつこいオッサンやなー。ストーカーか。
 どこまでついてくるんや」・・かもしれません。

ところがこちらは勝手に「カワイイ」と。


動物の芸も人間が勝手に思い込むことを
利用したものですね。

ヤマガラに占いをさせる芸がありました。

小学生のころ八丁堀福屋の前でやっていましたから
50年前はまだそういう文化が残っていたのですね。

いまはタコやインコで占いをしているようです。

すっかり有名になったものですが
ドイツが占い通り負けたからといって
「殺しちゃえ」はないですよね。

タコに罪はないハズ。


西洋ではタコは悪魔のイメージがあるのですね。

魔女が占いをするときには、彼女自身が魔術を使う
とすり替えられるのでしょう。

魔女がドイツの負けを占い、結果がそのようになったら
負けを導いた魔女を殺せ、となるのです。

従って「タコを殺せ」が突飛ではないのでしょう。


本当は占が当たって殺されるというほうが理不尽。
だから魔女狩りはいけないのですが
どうも人間には魔女狩りに走り易い部分がありそうです。
(昔、岩波新書で読んだ、確か『魔女狩り』)

レッテルを張り付けて、どう転んでも相手が悪いと云う
妙なリクツを振り回し、ワーワー騒ぐとそれが通っちゃう
教会の偉い人格者でもそうなっちゃう

度し難いもの=人間


「タコが当てるのは数学をする犬や馬と同じで
 きっと裏に人間のリードがあるのだ」と言うと

カミサン「いつも夢がない。
・・楽しむと云うことをしない。
あなたの言うことはそれも勝手な憶測でしょう?
証拠がないのだから楽しまなきゃ。」

しっかり御説教されちゃった。
タコ、食ってやる~

矛盾だらけ、と言われるけれど

2010-07-09 21:41:43 | 塾あれこれ
「言ってることが違うじゃん」
カミサンによくツッコマレます。

私は「そうではなくて、あなたこそヒトの言うことを
きちんと聞きなさい」
と言いたいところですが気が小さいので言えません。

その分をブログで発散させているわけです。


短い文では「Aです」と言い切ることが多くなります。

「それは場合によりAではないということもあるけれども
 およそAとなることが多いといえる。 
 もちろんBということもありうるが・・・」

なんて書いても何も言っていないに等しくなるオソレが
ありますから。


短い文では、たとえば
「美味しいものといえば、のどが渇いたときの水」と
言い切ります。

別のところで「日本人にはやはりお米」
「美食は牛でしょう」

なんて書く場合もあるでしょう。

(ホンネはいったいどれやねん?)

とツッコマレますが、云わんとするところをお汲みとり
願いたいものです・・・

ムリ?上手に書け?

難しいのですよ・・・


で、矛盾する話。

前、務めていた塾では「アタマを使わないのは(作業)。
アアマを働かせて初めて(仕事)と云える」
と口癖のように言っていました。
(自らをカエリミズではありますが)

今でもそれは正しいと思います。
常に頭を働かせなくてはいけません。


けれど、ルーティンワークも仕事なのです。

紅葉まんじゅうを焼くのも仕事
家を建てるのも仕事

同じことを繰り返すのも立派な仕事です。


さらに、職業に貴賎がないのと同様に
仕事に上下はありません。

高級料亭が上で、街の食堂が下か
そんなことはありません。

でも何となく上下をイメージする人が多いですね。

日本刀を打つ方は包丁づくりを軽く見られる・・
かもしれません。

けれども、難易度が低いからと言って包丁づくりが
下位にあるとは思えません。
世界が違うのですから。

タコヤキとパスタを比べても意味がないのです。


塾やその近くの業界でも似たことがあるのでは?

毎日の仕事に追われっぱなしの私ですが
目の前の生徒にサービスするだけが仕事なのです。
それ以上「立派な」仕事をする必要はありません。

もちろん業界を束ねるエライさんも「仕事」
小さな塾で日々追われるのも仕事。
上下はありません。

ただ、収入はねえ・・・

『ウイスキーの科学』

2010-07-08 18:36:58 | 本の話
古賀邦正著ブルーバックス『ウイスキーの科学』
2009年の本です。

題名からして私が買うタイプの本ではありません。
ひと様からの貰いものです。

ブルーバックスでしょう、面倒くさそうですしね。


私はおうおうにして「簡単にいえば酒の話じゃん」のように
決め込み、それ以上突っ込むのを回避する悪い癖があります。

イギリスあたりの蒸留酒でしょ。
穀物を発酵させ、アルコールを蒸留して、樽でねかせ
ブレンドしてボトルにいれたら終了。

どんな仕事でも奥は深いだろうが、それを読んでも結局
忘れるだけじゃん。。。

若いころならウンチクとして仕入れて、飲み屋なんぞで
さりげなく威張ったツモリ・・当人は、ね。

周りは「また始まった、シッタカブリ・・」

今はカミサンですら付き合ってくれない
「はいはい」と言われてオワリですねえ。

だったら読むまでもないか、という気分です。


ところがこういうものに限って案外面白いし
勉強になるのです。

脳ミソの表面の方で推測しただけではいけないの
でした。

どうせ深い世界には届きません。
(たかが新書一冊で分かるような世界はサミシイ)

ですから、入口を覗いてみるだけの話ですが
上記のように覗きもしないで「ああ、~でしょう」で
終えてしまうのとは大きな違いがあるでしょう。

「うわあ、深そうだなー」と実感することが
子供に話をするときにも力をもつはずです。
人間の営みに尊敬をもつことができます。

若いころの私が「人間とは」と言っても説得力を
持たなかったのはきっとそのセイに違いありません。


『ウイスキー・・』

興味深い話がたくさん詰まっています。
(つまりウンチクとして使える話もテンコモリ)

現代の科学をもってしても分からないことが多いという
ことにも驚きますし
科学で分かっていることでも、絶妙なバランスの世界に
感嘆されると思いますよ。

熟成という不思議な世界が待っています。


さらに、そんな難しい世界を科学的知識ぬきで職人の手仕事
として「正解」を得てきた先人の知恵に脱帽。


アルコールの話以外に、味覚についても知識が増えます。

読んで損はないでしょう。

コリンキーのぬか漬

2010-07-07 10:49:14 | 食べる
スーパーで地元産の大きなコリンキーを売っていました。

一つ350円は高い。
二人では量も多すぎる。
真半分に切ったのが195円、これは更に割高。

翌朝、半分のが売れ残っていまして半額シールが!
98円なら買ってみたくなります。
量も適当だし。

カミサンがぬか漬けにしてくれました。

(夏の味覚は家で漬ける糠漬が最高でしょう。
 ご飯によく、酒のアテにもなります)


母が亡くなったときは突然で、あとの整理も大変でした。
カミサンでは分からないことも多く、どうしても私が
片づけの中心でした。

(亡母との会話でもあり充実した時間でもありました)

日ごろ使っている食器ではなく、使わないか取ってある
という形で漆器の蓋付き椀が出てきました。
良いものではありません。

蓋などヒワってしまい、かろうじて上に載せられます。
姉など、要ると言いそうもないものですから
我が家へ持って帰ることにしました。

もともと尾道の祖父母の持ち物で、母が形見分けというか
捨てられずに持ってきたものでしょう。

それをやはり我々も捨てられません。

現在我が家では漬物を入れて食卓で使っています。

漆器は軽くてそれなりに悪くはありませんが
いかにも古臭い絵がついていてね・・・


ぬか漬けの糠は家庭用精米機で取れます。
いろいろやってみた結果、きゅうりかナスが美味いと
いう結論になりました。

そこにコリンキーも混ぜてもらったのです。

歯ごたえと色取ですね。

味はキュウリのほうが糠によく合います。
漬けるのもキュウリのほうがラクだそうです。

けれど、黒い漆器の蓋をとってレモンイエローが
目に飛び込む瞬間は気持ちの良いものです。

漬けものとは思えないコリンキーのフレッシュな色が
顔を出すと、梅雨の食卓がぱっと明るくなります。

谷崎の『陰翳礼讃』に通じるところがありますね。

もっとも谷崎潤一郎はコリンキーなどご存じは
なかったハズですけれども。

『懐かしき器彩る夏野菜』

塾むけ学校説明会

2010-07-06 15:02:19 | 塾あれこれ
今日は例のH高校・塾向け学校説明会がありました。

たまたま本日に保護者面談をお願いしていた方が
もう七年めになられ、お願いしやすかったので
日付けを振りかえていただき、出席して参りました。

先日の当ブログで悪口を書いていたので
「入れてもらえんかな」と半分冗談に言うと
カミサンは「誰もブログは読んでいませんよ。
特に学校の関係の方が読むわ~けがない」
と冗談にしてはスルドイご発言。

無事、説明会に入れていただけました。


最近は塾向けの説明会が減る傾向にあり
また、開催されても情報量は減ってきております。

私も最近はサボルことが増えてきましたが
本当はそれでは宜しくありません。

なるべく出席しなければ、ね。

一定の情報は頂けるものですから。

特に、学校の姿勢というものはメディアや噂だけでは
分からない部分があります。
実際にナマでお話を伺うことは何にもまして
貴重な情報を頂けているのです。

沢山の情報を頂いて帰ることができました。
ありがたいことです。

特別新しいことだけが情報ではありません。
再確認できることも重要な情報です。
そうして現時点で最新の情報なのです。
場合によっては(ここは不十分)という情報も
自分の肌で感じ取れます。

塾向けの案内が減ってきつつある現在
有り難く、貴重な説明会でした。

しかし、それにしては今日の出席者が少なかった。

忙しい時期ではありますが、もっと参加塾がいないと
いけませんねえ。

手抜きする塾って、吠えない番犬みたいで頼りない・・

ドビンが死んだ

2010-07-04 10:58:13 | 塾あれこれ
「観光犬」ドビンが死んだ。

新聞によると18歳だとか。
もう何年も前から尾道の本通りで見かけるたび
ずいぶんヨレヨレだなあ、と思いましたが
長生きだったのですねえ。

尾道に行くたびに、いたとか今日はいないとか
気になる存在でした。


私はネコ派ですがワンコも嫌いではありません。

ただ小さいころから一緒に暮らしていないと
心の奥のヒダが感じられないと信じているので
ネコしか飼えません。
残念。

ドビンはしばしば道のわきにへたりこみ
人を見上げていました。

何だか哀しそうな目に見えましたが。
犬派ではないから、間違いかもしれません。

人間と付き合いが長くなると地球上の
哀しみをよく知るようになるのかもしれませんね。


『尾道の夏のあつさが来る前に』

油揚と椎茸の煮物

2010-07-04 10:33:07 | 食べる
椎茸といえば(干したもの)が常識だったのに
いつの間にか生シイタケをさし、元々椎茸で通じていたものが
わざわざ「干シイタケ」と言わねばならぬように
なってしまいました。

ヤですねえ。

何でも、ころりと変わる国民です。

いったん変わってしまうとそれに合わせないと通じないから
一種の言葉の暴力なのですが、メディアが発達したこれからは
今まで以上にこの「暴力」がはびこるでしょう。

だから、意識して言葉を守るべきなのに。


話が逸れました、シイタケに戻しましょう。

エコな生活には干物が役立ちます。
冷凍庫にない良さがありますよね。
我が家では干物を結構ストックしています。

(生椎茸じゃ素麺の出汁はとれませんしね)


しかし、世の中のTVでは生椎茸のレシピしか
扱わないことが多いでしょう。

生の代わりに干物を戻して使ってよいものか
留意点があるのか
ちょっと悩む場合もあります。

7/2放送の『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』
「油揚と椎茸の煮物」でした。

その前の春雨料理も美味でしたし、宮崎先生のレシピは
良いですねえ。

やはり天才。
辻調のモーツアルトと言いたいですが
なにわのモーツアルトのイメージがかぶるといけない?

彼は家庭料理もよく分かっておられる。

それにしてもこんなにシンプルなレシピでよいのか
というほど磨き上げた(=削り込んだ)料理です。

ここまでくるとマジックですね。

美味シンだ、これが。
甘い料理はあまり好まない私が美味いと言うのです。


このレシピの場合、しっかり生椎茸を炒めることが
ポイントのようですが干しシイタケは可能か?
大丈夫な気もするのですが、どうでしょう。
それとも生じゃなきゃイマイチかなあ。

祖母の家

2010-07-03 15:49:45 | 塾あれこれ
愛媛県大三島にありました。

母方の祖母が住んでいた家です。

30年くらい前に建て替わる直前の写真。
これでは古い家のように見えませんが
中は戦前とほぼ変わっていなかったのではないか。

私が小学生のころ、電灯は20ワットの裸電球が一つ
簡易水道はひかれていましたが井戸水も多く使い
土間やクド、囲炉裏・・こういう生活でした。
ラジオはありましたが聞くことはなかったですね。

尾道から遊びに行くと、うわ~田舎と思いましたが
今となると良い経験を沢山したことに気付きます。

旅館などでイロリを経験するのと生活の中にあるのを
たとえわずかでも知っているのとでは違いますから。

空気も匂いも濃密で、田舎の長い歴史を実感できます。

遺産相続をした人がこの家を建て替えたのですが
勝手な感想として「オレにも大切な家なのに」という
気持ちが少しよぎりましたね。


トイレはいったん庭に出てから家の一番端に行きます。
雨の日はカサが必要でした。

穴の上にひわった板が渡してあるだけでぐらぐらとし
怖かったですねえ。

今では世界の片隅に行かないと残っていないタイプの
「ご不浄」でした。


日本は変わりましたね。

吉田松陰に役人は無理

2010-07-02 15:02:40 | 塾あれこれ
「教育者」という言葉のイメージはどのようなものですか?

本来、プラスの語感を持っている筈ですね。
しかし私にはスッキリしないところが残るのです。
現在の日本語で「教育者」とは、どんな感じ?


まず個人的なことを書いておきますが
子供のころ、学校は嫌いでした。
先生の多くが好きになれなかったから。

修学旅行の引率で酒呑んで赤い顔してるか?
その直前の夕食時には生徒に長時間の説教してて。

もちろん、大変に尊敬できる先生も何人かおられた。

いま思えば良い先生の少なさは当時の教育界における
教育者の割合そのものだったかもしれませんね。
良い先生は、何十人かに一人、かな。(私にとって)

今はどうなっているのでしょう?
増減ありかなあ。


塾ですか?

話がどんどんと外れますね。

教育を考えておられる方と、受験請負業に絞った方
金儲け(または当面生活するため)の手段の方
・・塾にもいろいろおられるので良い先生の割合は
学校より低いかもしれません。

では、どこにも少数の立派な教育者がおられる、
で終わる話か?


吉田松陰は学校の先生になれるでしょうか?
ぜったいになれませんよね。

彼は、自ら肯んずるところのないことは
たとえ上からの命令でも行わない筈。

これは人間としての基本です。

そこを守れないで何が教育者・・・
なのですが、お役人ならばそうはいきません。
上からのワクに縛られるのがお役人です。

役人からは吉田松陰は生まれないのです。


ニニンが四、を教えるだけを教育とは言いません。
人としての在り方を示すことも大切です。
生きてゆくすべを伝えることも教育。

では教育者とは、それだけ?

明治時代に学校教育が始まって以来
教育者とは官吏でもありました。

権力を持って、国家の立場から子供を導くという
面があります。

自らは立派な人間として模範を示さねばならぬ存在でも
ありました。

もちろん立派に具現化された「教育者」もおられました。

また、相撲の親方のように、一見立派でジツはアヤシイ、
という教育者もおられたやの噂を聞いた人の、また聞きで・・


教育者という言葉に対して、人間だから神様のようなワケには
いかない、という先生もおられます。

かといって、日ごろは神様を演じながら、生徒と同じ旅館で
酒を飲むことに「それはどうか」と疑問を感じる真面目な方も
おられたハズです。

難しい話と思います。


イデオロギー過剰の先生方も苦手ですね。
教師は労働者、で良いのでしょうか。

医師がただの労働者でない如く
教師もただの労働者ではありません。

目の前の子供の人生に関わることもあるのだから。
責任は重いのです。

さまざまな難しさに押しつぶされようとしているから
「教育者」のイメージが曖昧なのでしょう。


さて、「ではお前はナニモノ?」

と言われると困りますねえ。

少なくとも「立派」と言われることはない自覚は
十分にあります。ハハ。残念ながら。

私に学校の先生は務まりませんよね。
(教育者なんぞになりたくねー、とか言ってます)

かといってもちろん手は抜いていません。
少なくとも自分ではそう思います。
けれど営業的に冴えないということは・・
え~~っと、ですね。。。

ササゴイを見た

2010-07-01 22:04:15 | 塾あれこれ
サギのようなシギのような見たことのない鳥がいました。
(例によって写真ナシです)

帰って調べると、どうもササゴイというサギらしい。

 (撒き餌をするというので有名です
 撒き餌のサギって冗談みたいですよね)

目のあたり(ほっぺた?)から後頭部にかけ、すっと
白いスジが走り、後頭部?には飾り羽?が出ています。

脚は黄色、比較的小型の多少ズングリした鳥でした。

羽に青い金属光沢もあり、よく見ると微妙に美しい。

近くにもう一羽いたのでツガイでしょう。

バード・ワッチャーからは「ビギナー・・」と笑われるかも
しれませんが、初めて見るような気がします。
私の散歩歴がこの数年ですから無理もないのかなあ。