学習塾の役割は、受験請負や学力伸長、補習。
それに新しい教育。
こういうものは当然のこととして今日は触れません。
というか、それらを実現してゆく上で、塾の立つ位置は
どうなのか、これを書いてみます。
○
短い文で書くこと、具体的な例を出しづらいこと、から
極端なケースをでっち上げて、それで話を進めますね。
思考実験といえばカッコいいですか?
(でも、それほど大したものではありません)
第三者としての塾が以下の構図をみつけたとします。
親は受験させたい。
子は燃え上がらない。
こういう場合に塾は何ができるか。
子供が絶対に受験をしたくないようであれば
保護者に塾の判断を率直に伝えればよいですね。
月謝のために見て見ぬふりをするのは好みません。
「首つりの脚を引っ張る」のと同等だから。
いや、それ以上に自分の利益も絡むので、最低ですね。
多くの場合は、特に中学受験では子供も親に言われれば
「よく分からないけれども言われるようにしよう」
程度のことが多いでしょう。
保護者の方は「子供も納得しています」
「受験する気になっています」こう仰る。
実際には、子供が大変盛り上がっている場合から
かなり消極的な場合まで幅広い可能性がありそうです。
親も子供の真意をつかめていない場合もあります。
高校受験でも似たようなものです。
生徒は受験しなければならない現実を知っているけれども
それ以上はイメージの外、ということが多いでしょう。
○
非の打ちどころがない、学校でも親戚でもご近所でも
認められていて、無茶なことはされそうもない保護者の
子供はしっかり育つことも多く、文武両道に秀で
スポーツをしているので、礼儀正しく人当たり良く・・
こんなうらやましいようなご家庭でも
場合により親子の齟齬が生まれてしまいます。
子供は成長するにつれ
「何で勉強しなくちゃいけないのだろう」
「いつまでシンドイ思いが続くのか」
「親のための受験ではないか」
こんな気持ちが心の奥に生まれることがあるのです。
もちろん子供には親の言い分も良く分かっていて、
それでもなおかつ滲み出てくるホンネです。
真面目で良い子ですから一応頑張って勉強はしますが
プレッシャーが高まってくるとフリーズしてしまい
「自分にはできない」と匙をなげてしまいます。
それでも圧力が続くとキレて
「だまれ、くそばばあ」
「なんてこと言うの!」
親も実力行使に及び・・・
・・と、外からはとても想像できない光景が。
○
長くなっていますが、極端な例を作り上げてみました。
下手な(作文)で申し訳ありません。
ただし、現実にはありえなくもないかと思います。
塾の仕事はそんな親子の間に入る仕事です。
関係を修復できるように、第三者からの見え方や
相手の立場の説明などが出来るのです。
自信をなくしかけた子供には「大丈夫」のメッセージを
(口先だけではダメで説得力がある話を)
不安がよぎる保護者には子供の可能性を伝えます。
「苦労しているが、やる気がなくなったわけでもない」
もちろん、適当なことをデッチあげるわけにはいきません。
小さな可能性を誇大にいうこともできません。
かなり狭い道しか塾には残されていませんがそこをなんとか。
繰り返しますが、嘘は言えません。
片方に向かって「50%も残っています」
もう片方に「50%しかありません」
これくらいのニュアンスがギリギリでしょうか。
それでも、あちらとこちらと云うことが違っている、などと
クレームがつきかねません。
結果が出ればよいのですが、出なかった場合、間に入った塾は
クレームや批難、場合によれば根拠のない中傷をうけることまで
覚悟をする必要があります。
基本的には親の側について(勉強をやらせる)のですから
結果が出なければ批判は甘受しなければなりません。
こちらの言うとおり動いてくれないで結果が出ないこともあり
さすがにホゾをかみますが、言ってく処はありません。
自らの実力のなさを思い知り、
運の悪さを神様に文句つけるくらいでしょうか。
「あなたへの貴重な試練をお与えくださった神に感謝を」
とか言われちゃっても、ねえ。
悪態の一つ二つは吐いてもよいでしょう。
とはいえ自塾の無謬を信じて疑わないのも愚の骨頂。
更には成功で隠れたクレームの存在も知っておくべきです。
それに新しい教育。
こういうものは当然のこととして今日は触れません。
というか、それらを実現してゆく上で、塾の立つ位置は
どうなのか、これを書いてみます。
○
短い文で書くこと、具体的な例を出しづらいこと、から
極端なケースをでっち上げて、それで話を進めますね。
思考実験といえばカッコいいですか?
(でも、それほど大したものではありません)
第三者としての塾が以下の構図をみつけたとします。
親は受験させたい。
子は燃え上がらない。
こういう場合に塾は何ができるか。
子供が絶対に受験をしたくないようであれば
保護者に塾の判断を率直に伝えればよいですね。
月謝のために見て見ぬふりをするのは好みません。
「首つりの脚を引っ張る」のと同等だから。
いや、それ以上に自分の利益も絡むので、最低ですね。
多くの場合は、特に中学受験では子供も親に言われれば
「よく分からないけれども言われるようにしよう」
程度のことが多いでしょう。
保護者の方は「子供も納得しています」
「受験する気になっています」こう仰る。
実際には、子供が大変盛り上がっている場合から
かなり消極的な場合まで幅広い可能性がありそうです。
親も子供の真意をつかめていない場合もあります。
高校受験でも似たようなものです。
生徒は受験しなければならない現実を知っているけれども
それ以上はイメージの外、ということが多いでしょう。
○
非の打ちどころがない、学校でも親戚でもご近所でも
認められていて、無茶なことはされそうもない保護者の
子供はしっかり育つことも多く、文武両道に秀で
スポーツをしているので、礼儀正しく人当たり良く・・
こんなうらやましいようなご家庭でも
場合により親子の齟齬が生まれてしまいます。
子供は成長するにつれ
「何で勉強しなくちゃいけないのだろう」
「いつまでシンドイ思いが続くのか」
「親のための受験ではないか」
こんな気持ちが心の奥に生まれることがあるのです。
もちろん子供には親の言い分も良く分かっていて、
それでもなおかつ滲み出てくるホンネです。
真面目で良い子ですから一応頑張って勉強はしますが
プレッシャーが高まってくるとフリーズしてしまい
「自分にはできない」と匙をなげてしまいます。
それでも圧力が続くとキレて
「だまれ、くそばばあ」
「なんてこと言うの!」
親も実力行使に及び・・・
・・と、外からはとても想像できない光景が。
○
長くなっていますが、極端な例を作り上げてみました。
下手な(作文)で申し訳ありません。
ただし、現実にはありえなくもないかと思います。
塾の仕事はそんな親子の間に入る仕事です。
関係を修復できるように、第三者からの見え方や
相手の立場の説明などが出来るのです。
自信をなくしかけた子供には「大丈夫」のメッセージを
(口先だけではダメで説得力がある話を)
不安がよぎる保護者には子供の可能性を伝えます。
「苦労しているが、やる気がなくなったわけでもない」
もちろん、適当なことをデッチあげるわけにはいきません。
小さな可能性を誇大にいうこともできません。
かなり狭い道しか塾には残されていませんがそこをなんとか。
繰り返しますが、嘘は言えません。
片方に向かって「50%も残っています」
もう片方に「50%しかありません」
これくらいのニュアンスがギリギリでしょうか。
それでも、あちらとこちらと云うことが違っている、などと
クレームがつきかねません。
結果が出ればよいのですが、出なかった場合、間に入った塾は
クレームや批難、場合によれば根拠のない中傷をうけることまで
覚悟をする必要があります。
基本的には親の側について(勉強をやらせる)のですから
結果が出なければ批判は甘受しなければなりません。
こちらの言うとおり動いてくれないで結果が出ないこともあり
さすがにホゾをかみますが、言ってく処はありません。
自らの実力のなさを思い知り、
運の悪さを神様に文句つけるくらいでしょうか。
「あなたへの貴重な試練をお与えくださった神に感謝を」
とか言われちゃっても、ねえ。
悪態の一つ二つは吐いてもよいでしょう。
とはいえ自塾の無謬を信じて疑わないのも愚の骨頂。
更には成功で隠れたクレームの存在も知っておくべきです。