塾のお仕事

2010-07-31 10:15:17 | 塾あれこれ
学習塾の役割は、受験請負や学力伸長、補習。
それに新しい教育。
こういうものは当然のこととして今日は触れません。

というか、それらを実現してゆく上で、塾の立つ位置は
どうなのか、これを書いてみます。


短い文で書くこと、具体的な例を出しづらいこと、から
極端なケースをでっち上げて、それで話を進めますね。

思考実験といえばカッコいいですか?
(でも、それほど大したものではありません)

第三者としての塾が以下の構図をみつけたとします。

親は受験させたい。
子は燃え上がらない。

こういう場合に塾は何ができるか。

子供が絶対に受験をしたくないようであれば
保護者に塾の判断を率直に伝えればよいですね。

月謝のために見て見ぬふりをするのは好みません。
「首つりの脚を引っ張る」のと同等だから。
いや、それ以上に自分の利益も絡むので、最低ですね。

多くの場合は、特に中学受験では子供も親に言われれば
「よく分からないけれども言われるようにしよう」
程度のことが多いでしょう。

保護者の方は「子供も納得しています」
「受験する気になっています」こう仰る。

実際には、子供が大変盛り上がっている場合から
かなり消極的な場合まで幅広い可能性がありそうです。
親も子供の真意をつかめていない場合もあります。

高校受験でも似たようなものです。
生徒は受験しなければならない現実を知っているけれども
それ以上はイメージの外、ということが多いでしょう。


非の打ちどころがない、学校でも親戚でもご近所でも
認められていて、無茶なことはされそうもない保護者の
子供はしっかり育つことも多く、文武両道に秀で
スポーツをしているので、礼儀正しく人当たり良く・・

こんなうらやましいようなご家庭でも
場合により親子の齟齬が生まれてしまいます。

子供は成長するにつれ
「何で勉強しなくちゃいけないのだろう」
「いつまでシンドイ思いが続くのか」
「親のための受験ではないか」
こんな気持ちが心の奥に生まれることがあるのです。

もちろん子供には親の言い分も良く分かっていて、
それでもなおかつ滲み出てくるホンネです。

真面目で良い子ですから一応頑張って勉強はしますが
プレッシャーが高まってくるとフリーズしてしまい
「自分にはできない」と匙をなげてしまいます。

それでも圧力が続くとキレて
「だまれ、くそばばあ」

「なんてこと言うの!」
親も実力行使に及び・・・

・・と、外からはとても想像できない光景が。


長くなっていますが、極端な例を作り上げてみました。
下手な(作文)で申し訳ありません。

ただし、現実にはありえなくもないかと思います。

塾の仕事はそんな親子の間に入る仕事です。
関係を修復できるように、第三者からの見え方や
相手の立場の説明などが出来るのです。

自信をなくしかけた子供には「大丈夫」のメッセージを
(口先だけではダメで説得力がある話を)
不安がよぎる保護者には子供の可能性を伝えます。
「苦労しているが、やる気がなくなったわけでもない」

もちろん、適当なことをデッチあげるわけにはいきません。
小さな可能性を誇大にいうこともできません。
かなり狭い道しか塾には残されていませんがそこをなんとか。

繰り返しますが、嘘は言えません。

片方に向かって「50%も残っています」
もう片方に「50%しかありません」
これくらいのニュアンスがギリギリでしょうか。

それでも、あちらとこちらと云うことが違っている、などと
クレームがつきかねません。

結果が出ればよいのですが、出なかった場合、間に入った塾は
クレームや批難、場合によれば根拠のない中傷をうけることまで
覚悟をする必要があります。

基本的には親の側について(勉強をやらせる)のですから
結果が出なければ批判は甘受しなければなりません。

こちらの言うとおり動いてくれないで結果が出ないこともあり
さすがにホゾをかみますが、言ってく処はありません。

自らの実力のなさを思い知り、
運の悪さを神様に文句つけるくらいでしょうか。

「あなたへの貴重な試練をお与えくださった神に感謝を」
とか言われちゃっても、ねえ。
悪態の一つ二つは吐いてもよいでしょう。

とはいえ自塾の無謬を信じて疑わないのも愚の骨頂。
更には成功で隠れたクレームの存在も知っておくべきです。