やっと見ることができました。
横川シネマの上映期間はあと少しですね。
纐纈あや監督
良い映画だと思います。
いかにも女性らしい、細やかな視線が気持ちの良さと
なって映画に滲んでいます。
次回作品も期待したいですね。
(監督がカメラを持たれてもよいのでは?)
作品の内容は、山口県上関に建設予定の原発に
反対をしている祝島の人々のドキュメンタリー。
反対運動の叫び、という部分は押さえた表現ですが
その分、真実が伝わるような気がします。
映画の大半は島の人の暮らし、といってもよいほどで
昔から続く暮らしの延長に原発ができたら困るという
気持ちがあるのだ、ということなのです。
そういうスジが通っているので分かりやすい映画です。
賛成派も反対派も多くの人に見ていただきたいですね。
○
映画館のセイか、もともとのフィルムゆえか画面が暗い
のが気になりました。
瀬戸内の島ですから天気が良い日は明るく映らないと。
自然の美しさをもっと謳ってほしいから。
原発におしつぶされそうだから暗く撮った?
まさかね。
○
今でもこのように美しい生き方をしておられる
ということに改めて感嘆します。
漁も農業も何にもできない私では生きてゆけません。
人間として本来あるべき彼らの姿がうらやましい。
それらが現代日本から急速に消えて行きつつある
原発そのものの問題よりもこちらのほうが深刻では
ないかと思ってしまいました。
監督の意図とは違う感想になるのかな?
○
いろいろな条件から賛成派の意見や生活を撮れなかった
とは思うのですが、ほぼ反対派だけの視線に終始する
映画になっていたのが残念です。
中国電力の主張もあるでしょう。
地元政治家の思いも。
これらが賛成派の生き方と合わせて提示されていたら
もっと深い映画になったのではないでしょうか。
ストレートな分かり易さは消えますけれども。
○
近年のドキュメンタリーに多く見られる
一方的な主張を「分かり易く、面白く」見せる映画作り
には大いに問題があります。
ナチの宣伝映画を裏返したにすぎないss映画とかね。
一方的な宣伝映画は危ないのです。
たとえ主張することが正しくても。
ですから両方の立場を盛り込んでほしかったのです。
○
世間のドキュメンタリーの手法にも問題があります。
ヤラセ、隠し撮り、不当な編集
自分の主張が正しければ何をしてもよいのか?
反原発映画でも写真家・映画監督M氏の『○の村』
これには明らかにヤラセや再現が含まれているようでしたが
映画というメディアの自殺行為ともいえ、問題でした。
『祝の島』で、この感想はタブーかなあ?
○
『祝の島』ではそういう問題は気付きませんでしたが
(ならば別の項で書くべきだったかな)
本当にヤラセはなかったのか、疑問が残る昨今の映画事情
ではあります。
この映画は本当に大丈夫か、と思わせること自体が作品として
不十分になります。
ドキュメンタリーは制作手法を明らかにした映画作りでなければ
ならないのです。
なおヤラセと言っても、悪い意味だけではなく、映画制作者が
出演者に意見を求めるような手法もヤラセと言います。
それは、制作者が求めていることを映画で明確にすれば
手法としての問題はありません。
○
『祝の島』そのものからずれてしまいました。
多くの人に見ていただきたいですね。
あえていうなら、知より情、の映画です。
PS
みなさんの瀬戸内訛りが美しく詩的です。
それだけでも必見。必聴。
横川シネマの上映期間はあと少しですね。
纐纈あや監督
良い映画だと思います。
いかにも女性らしい、細やかな視線が気持ちの良さと
なって映画に滲んでいます。
次回作品も期待したいですね。
(監督がカメラを持たれてもよいのでは?)
作品の内容は、山口県上関に建設予定の原発に
反対をしている祝島の人々のドキュメンタリー。
反対運動の叫び、という部分は押さえた表現ですが
その分、真実が伝わるような気がします。
映画の大半は島の人の暮らし、といってもよいほどで
昔から続く暮らしの延長に原発ができたら困るという
気持ちがあるのだ、ということなのです。
そういうスジが通っているので分かりやすい映画です。
賛成派も反対派も多くの人に見ていただきたいですね。
○
映画館のセイか、もともとのフィルムゆえか画面が暗い
のが気になりました。
瀬戸内の島ですから天気が良い日は明るく映らないと。
自然の美しさをもっと謳ってほしいから。
原発におしつぶされそうだから暗く撮った?
まさかね。
○
今でもこのように美しい生き方をしておられる
ということに改めて感嘆します。
漁も農業も何にもできない私では生きてゆけません。
人間として本来あるべき彼らの姿がうらやましい。
それらが現代日本から急速に消えて行きつつある
原発そのものの問題よりもこちらのほうが深刻では
ないかと思ってしまいました。
監督の意図とは違う感想になるのかな?
○
いろいろな条件から賛成派の意見や生活を撮れなかった
とは思うのですが、ほぼ反対派だけの視線に終始する
映画になっていたのが残念です。
中国電力の主張もあるでしょう。
地元政治家の思いも。
これらが賛成派の生き方と合わせて提示されていたら
もっと深い映画になったのではないでしょうか。
ストレートな分かり易さは消えますけれども。
○
近年のドキュメンタリーに多く見られる
一方的な主張を「分かり易く、面白く」見せる映画作り
には大いに問題があります。
ナチの宣伝映画を裏返したにすぎないss映画とかね。
一方的な宣伝映画は危ないのです。
たとえ主張することが正しくても。
ですから両方の立場を盛り込んでほしかったのです。
○
世間のドキュメンタリーの手法にも問題があります。
ヤラセ、隠し撮り、不当な編集
自分の主張が正しければ何をしてもよいのか?
反原発映画でも写真家・映画監督M氏の『○の村』
これには明らかにヤラセや再現が含まれているようでしたが
映画というメディアの自殺行為ともいえ、問題でした。
『祝の島』で、この感想はタブーかなあ?
○
『祝の島』ではそういう問題は気付きませんでしたが
(ならば別の項で書くべきだったかな)
本当にヤラセはなかったのか、疑問が残る昨今の映画事情
ではあります。
この映画は本当に大丈夫か、と思わせること自体が作品として
不十分になります。
ドキュメンタリーは制作手法を明らかにした映画作りでなければ
ならないのです。
なおヤラセと言っても、悪い意味だけではなく、映画制作者が
出演者に意見を求めるような手法もヤラセと言います。
それは、制作者が求めていることを映画で明確にすれば
手法としての問題はありません。
○
『祝の島』そのものからずれてしまいました。
多くの人に見ていただきたいですね。
あえていうなら、知より情、の映画です。
PS
みなさんの瀬戸内訛りが美しく詩的です。
それだけでも必見。必聴。