『祝の島』

2010-07-19 10:47:56 | 塾あれこれ
やっと見ることができました。
横川シネマの上映期間はあと少しですね。

纐纈あや監督

良い映画だと思います。
いかにも女性らしい、細やかな視線が気持ちの良さと
なって映画に滲んでいます。

次回作品も期待したいですね。
(監督がカメラを持たれてもよいのでは?)

作品の内容は、山口県上関に建設予定の原発に
反対をしている祝島の人々のドキュメンタリー。

反対運動の叫び、という部分は押さえた表現ですが
その分、真実が伝わるような気がします。

映画の大半は島の人の暮らし、といってもよいほどで
昔から続く暮らしの延長に原発ができたら困るという
気持ちがあるのだ、ということなのです。

そういうスジが通っているので分かりやすい映画です。
賛成派も反対派も多くの人に見ていただきたいですね。


映画館のセイか、もともとのフィルムゆえか画面が暗い
のが気になりました。
瀬戸内の島ですから天気が良い日は明るく映らないと。
自然の美しさをもっと謳ってほしいから。

原発におしつぶされそうだから暗く撮った?
まさかね。


今でもこのように美しい生き方をしておられる
ということに改めて感嘆します。

漁も農業も何にもできない私では生きてゆけません。
人間として本来あるべき彼らの姿がうらやましい。

それらが現代日本から急速に消えて行きつつある
原発そのものの問題よりもこちらのほうが深刻では
ないかと思ってしまいました。
監督の意図とは違う感想になるのかな?


いろいろな条件から賛成派の意見や生活を撮れなかった
とは思うのですが、ほぼ反対派だけの視線に終始する
映画になっていたのが残念です。

中国電力の主張もあるでしょう。
地元政治家の思いも。
これらが賛成派の生き方と合わせて提示されていたら
もっと深い映画になったのではないでしょうか。

ストレートな分かり易さは消えますけれども。


近年のドキュメンタリーに多く見られる
一方的な主張を「分かり易く、面白く」見せる映画作り
には大いに問題があります。

ナチの宣伝映画を裏返したにすぎないss映画とかね。

一方的な宣伝映画は危ないのです。
たとえ主張することが正しくても。

ですから両方の立場を盛り込んでほしかったのです。


世間のドキュメンタリーの手法にも問題があります。
ヤラセ、隠し撮り、不当な編集
自分の主張が正しければ何をしてもよいのか?

反原発映画でも写真家・映画監督M氏の『○の村』
これには明らかにヤラセや再現が含まれているようでしたが
映画というメディアの自殺行為ともいえ、問題でした。

『祝の島』で、この感想はタブーかなあ?


『祝の島』ではそういう問題は気付きませんでしたが
(ならば別の項で書くべきだったかな)
本当にヤラセはなかったのか、疑問が残る昨今の映画事情
ではあります。

この映画は本当に大丈夫か、と思わせること自体が作品として
不十分になります。
ドキュメンタリーは制作手法を明らかにした映画作りでなければ
ならないのです。

なおヤラセと言っても、悪い意味だけではなく、映画制作者が
出演者に意見を求めるような手法もヤラセと言います。
それは、制作者が求めていることを映画で明確にすれば
手法としての問題はありません。


『祝の島』そのものからずれてしまいました。

多くの人に見ていただきたいですね。

あえていうなら、知より情、の映画です。

PS
みなさんの瀬戸内訛りが美しく詩的です。
それだけでも必見。必聴。