当塾としてはとても困る話

2010-07-11 11:33:47 | 塾あれこれ
長い間言えずにきた話です。
それも、塾の基本的なありかた。

自分としてはAを拒否しBを選択したと言ってきたのに
「AもBも一緒じゃないの」疑惑があり
私には説明しきれないことかもしれないのです。

幸か不幸か、面と向かって「一緒じゃないの?」と
言われたことはありません。
ブログにそのような意見を寄せる方もおられません。

ではありますが、私としては、黙っているのも卑怯だし
かといって営業を思えば云いたくないことです。

気が重くなりますね。
言わなくてもよいことなんでしょうけれども。

「え~? そうか、気付かなかったなあ・・でもね」とか
何かあっても、しらじらしく言えばよいのです。


このブログでも今までに「AではなくB」と書いていますが
改めて羅列しておきます。

A 大半の学校や塾で一斉授業が行われている
B 個別形式が教育として、より有効である

A 文科省の方針を順守する
B 寺子屋に戻ろう

A 懇切丁寧な指導を目指す
B 「教えない」教育を目指す

A 新しい教え方の工夫を採用する
B 目先の「何%学力アップ」より長いスパンを考える

A 学校教育や受験を明確に意識する
B 受験優先などと(こちらの事情)を優先させない

などなど。

それらに関するより細かい話はここでは省略します。
いずれも一長一短はあるもののどちらを採用しているかの
理由は説明できます。(当たり前ですね)

もちろんどちらかが一方的に良いということはないでしょう。
数字も考え方も、自分としては、総動員しての結論です。


お叱りを受けそうですが、そういう自己検証の過程を経ずに
あちらこちらでしていること、それと同じものを自分も
という仕事もあるように見えます。

「世界で最新のシステムだから採用している」という
のはどんな世界にもよくあることです。(サッカー?)

あるいは、初めての食堂に行ったら皆さんが食べているのと
同じものを注文する、その感覚です。
失敗が少ない。

とはいえ「個性を伸ばす塾です」とか書いてあるチラシをみて
その具体論や根拠を求められたらどうするんだろう、と
人ごとながら心配をしたりすることもあります。

「私の信念」とか持ちだされてもねえ。
「これしかできない」なんて・・←ええかげんにせえ!

(客も客)の時代だから(店も店)でよいのかなあ。


たとえば、仮に寺子屋がよいとしましょうか。

「だから井上」か?

私がしていることが果して正しく「寺子屋」を具現していると
云えるのか?

寺子屋方式が長い歴史の検証を経てきたのは良いとして
これから未来へも有効だと言えるのか。

すべての人にあてはまる方式か。

結局、寺子屋も他のやり方も大差がないのではないか。


私としてはいろいろ持ちだして、違うと申しますが
それは「内側から見た景色」でしかないのではないか。
外から見れば同じような物でしかないのかもしれません。

長い歴史をもちだしても、当塾そのものは十年余でしか
ありません。

寺子屋の長所を取り入れられているか不明だとすると
長い歴史を持ち出すわけにはいきません。

たかがテストの点数が何点か上がっただけで
教育効果がある、とは誇大広告めくと思います。

「どこそこ何名」が直接は塾や学校の優秀性を証明する
わけでもありません。

教育とは証明しづらい世界です。
人の一生にかかわることだからです。

たとえ証明できるとしても自塾が十年では
何も言えませんね。
(自分の証明は不可能かもしれません・・)


入試ならば数字が出ます。

しかし、それも本人や家庭、学校の力があってのことです。
どこまでが塾の力と証明できるのか・・

先に悪口をいった「信念の人」と五十歩百歩なのですね。
「私はこうです、塾はこうです」と連呼しているに過ぎない
のでは?という気分になることがあります。

塾とはただの受験請負屋でしかないのかもしれません。

それで教育を論じることができるのか?
をこがましー。


・・といっても未練がましく小声で
「そうは言っても、違うのだけれどなあ・・
 そういうことがあるから、なおさら寺子屋で・・」


この件に関しては様々なことを考えねばなりません。
上記は書きやすいことに少しふれただけでして。。

正直を申しあげると、気の重いワークでもあります。
気がむけば時おり続きを書くつもりですけれども。