龍馬伝=(忠臣蔵+紅白)÷2

2010-07-21 10:35:54 | 塾あれこれ
NHKって、当たると手抜きするように思います。
官僚的な世界なのでしょう。

ですから、当たり始める辺りまでが面白い。
もちろん、たまにそういう番組に出会うという処が
よろしいのです。

きっと来年以降の大河はまた詰らないものへと戻って
ゆくような気がします。


そんな話はさておき、私が今更言うまでもない大ヒット
『龍馬伝』ではありますが・・つい、またヒトコト。

第3部になり、動きが出てきました。 (『ゲゲゲ』も)
若もの特有のモラトリアムから完全に抜け出て
やっとダイナミックな龍馬の登場ですね。

現在の日本人が、いや私が、いかに閉塞感に捉われ
ているか、それをよく分からせてくれるドラマです。

永い間この国では『忠臣蔵』が国民の心情を支えて
きたようですが、下が上にモノ申すというだけでは、
現代人にはインパクトが足りないのです。

「皆! 何とかせな、いかんろう。そうは思わんか?」
・・呼びかけられ、肩を揺さぶられているのですね。

『龍馬伝』は『忠臣蔵』の現代世界。
国民的な支持土壌があるのです。


忠臣蔵も誰が何の役をするか、豪華な顔見せが楽しみな
ドラマですが、『龍馬伝』は遥かに面白いですね。

登場人物の多彩なこと。

大河ってこうじゃなくちゃあいけません。

それに今回は女性陣の素晴らしさが際立ちます。

紅白を見ているかのように、男性に負けない魅力的な
俳優が次々と現れては「アリアを歌われ」ます。

ご出演の短時間に自分の最高の魅力を出そうと云う
競演の面白いこと、見事なこと。

これはオペラや歌舞伎の楽しみと同じですね。


佐藤健=以蔵が亡くなると、伊勢谷友介(高杉晋作)

こんなピッタリした晋作、今までにいたでしょうか。
最高です。

強さと一種の線の細さが交錯して魅力的な存在です。
「白洲次郎」よりもさらに素晴らしい!

と思うと、蒼井優が良いでしょう。

出てくる人が皆良いのは制作スタッフの力でも
あるようですね。

人材さえ働かせれば、世界でトップクラスのTVを
作れるのだという証明です。

「うむ、日本も捨てたもんじゃない」

・・すぐにこういう感想が出るところがアラカンの
悪い癖であります。

税は手段にすぎない

2010-07-20 10:09:02 | 塾あれこれ
今回の参院選では消費税発言が流れを決めたと
報道されています。

もちろん報道する側は、税は手段であると云うことを
下敷きにし、簡略に書かれているのですが、記事から
受ける印象は「国民は何が何でも増税を嫌う」とも
読めるのですね。

増税が好きな国民がどこの世界にいるか、伺って見たい
ものではありますが、報道姿勢のどこかに「国民は
近視眼的で困ったものだ」という気持ちがあるように
思うのはヒガミでしょうか?


消費税に関して言えば、最初3%を通すときに皆が心配し
「いつでも気軽に増税となるから反対」と言った時、
政府は「そのようなことはない」と見え見えのウソを
ついています。

しかしウソに違いないと思っても、エライ人の答弁に
それ以上は言えませんから、法案は通ります。

しばらくすると表に立つ人間を変え、あの時と状況が
違う、とこれまたシラジラシイ話で5%にしました。

国会答弁などその程度か、みえみえの嘘でもつき放題
ということが国民によく伝わった瞬間でしょう。

鳩山首相から菅首相に替わってすぐ10%を持ち出す
・・それで皆が思いあたるところがあったのです。

選挙で公約し、あれほど強調していた政策は、いとも
簡単にゴミ箱に捨てられる程度のものです。

議論を始めよう、と云ったって?
それが、お前らは国民をバカにしている証拠なんじゃ!
(・・まあ、オヒンのない言い方でございますこと)

なぜこれほど急に風向きが変わり、しかも強まったか
「あわてて低所得者には救済策でバラまきをする」などと
テキトーなことをいうから火に油だったわけです。

過剰にも思える国民の反応は、政治家が原因でした。


税は手段です。

どの様な国にするのか、どういう信頼できるシステムを
造ろうとするのか、その提示がなく「赤字ですから増税」
じゃ通らないのですよ。

民主党になって実質まだ何も変わっていないのだから。


財政健全化、これも目標と言うより手段です。
健全化してどんな国になっているのか?

江戸時代じゃないんだから、その先にどのような国が
という提示が必要です。

その目標をどのように実現するのか
それらは信頼できることであるか

あなた方は信頼できるのか?
結局(ほぼ自民党)にしかすぎないのではないか。


官僚が完全に意識改革を遂げるにはン十年の歳月が
必要でしょう。

一気に良くなるなどと期待する人間はいません。
万葉の昔から存在しつづけるゾンビですから。

よって、まず政治家が変わらないといけないのです。

しかしそれも難しいようですから集団としてのありようを
変更することが緊急の課題になりそうです。

時代はいよいよ政界再編。

菅政権は短命と予想するけど、タコに聞いた方がいいか?
(スペイン優勝は穴馬券と思っていた私じゃ当たらないかもね)

『祝の島』

2010-07-19 10:47:56 | 塾あれこれ
やっと見ることができました。
横川シネマの上映期間はあと少しですね。

纐纈あや監督

良い映画だと思います。
いかにも女性らしい、細やかな視線が気持ちの良さと
なって映画に滲んでいます。

次回作品も期待したいですね。
(監督がカメラを持たれてもよいのでは?)

作品の内容は、山口県上関に建設予定の原発に
反対をしている祝島の人々のドキュメンタリー。

反対運動の叫び、という部分は押さえた表現ですが
その分、真実が伝わるような気がします。

映画の大半は島の人の暮らし、といってもよいほどで
昔から続く暮らしの延長に原発ができたら困るという
気持ちがあるのだ、ということなのです。

そういうスジが通っているので分かりやすい映画です。
賛成派も反対派も多くの人に見ていただきたいですね。


映画館のセイか、もともとのフィルムゆえか画面が暗い
のが気になりました。
瀬戸内の島ですから天気が良い日は明るく映らないと。
自然の美しさをもっと謳ってほしいから。

原発におしつぶされそうだから暗く撮った?
まさかね。


今でもこのように美しい生き方をしておられる
ということに改めて感嘆します。

漁も農業も何にもできない私では生きてゆけません。
人間として本来あるべき彼らの姿がうらやましい。

それらが現代日本から急速に消えて行きつつある
原発そのものの問題よりもこちらのほうが深刻では
ないかと思ってしまいました。
監督の意図とは違う感想になるのかな?


いろいろな条件から賛成派の意見や生活を撮れなかった
とは思うのですが、ほぼ反対派だけの視線に終始する
映画になっていたのが残念です。

中国電力の主張もあるでしょう。
地元政治家の思いも。
これらが賛成派の生き方と合わせて提示されていたら
もっと深い映画になったのではないでしょうか。

ストレートな分かり易さは消えますけれども。


近年のドキュメンタリーに多く見られる
一方的な主張を「分かり易く、面白く」見せる映画作り
には大いに問題があります。

ナチの宣伝映画を裏返したにすぎないss映画とかね。

一方的な宣伝映画は危ないのです。
たとえ主張することが正しくても。

ですから両方の立場を盛り込んでほしかったのです。


世間のドキュメンタリーの手法にも問題があります。
ヤラセ、隠し撮り、不当な編集
自分の主張が正しければ何をしてもよいのか?

反原発映画でも写真家・映画監督M氏の『○の村』
これには明らかにヤラセや再現が含まれているようでしたが
映画というメディアの自殺行為ともいえ、問題でした。

『祝の島』で、この感想はタブーかなあ?


『祝の島』ではそういう問題は気付きませんでしたが
(ならば別の項で書くべきだったかな)
本当にヤラセはなかったのか、疑問が残る昨今の映画事情
ではあります。

この映画は本当に大丈夫か、と思わせること自体が作品として
不十分になります。
ドキュメンタリーは制作手法を明らかにした映画作りでなければ
ならないのです。

なおヤラセと言っても、悪い意味だけではなく、映画制作者が
出演者に意見を求めるような手法もヤラセと言います。
それは、制作者が求めていることを映画で明確にすれば
手法としての問題はありません。


『祝の島』そのものからずれてしまいました。

多くの人に見ていただきたいですね。

あえていうなら、知より情、の映画です。

PS
みなさんの瀬戸内訛りが美しく詩的です。
それだけでも必見。必聴。

書きにくい話のつづき・塾って結局・・

2010-07-17 18:57:15 | 塾あれこれ
書きにくいので、整理不十分です。
気も重いなあ。


とある限界まで正直に記し、塾の考えや進め方を深化させる
ためには、敵を利する部分があるにしても、書いておきたいと
思います。
私が書かなくても皆さんよくご存じとは思いますが、ね。

(結局塾ってただの受験請負、教育など言える資格なし)

この指摘は重いですねえ。
もう押しつぶされそうです。

「いや、そうではないハズ」とも思うので整理をして見ます。
ただの受験請負なら先細りですしね。


保護者はお金を出されます。生徒は人生をかけます。
どちらも大変に重い。
それに塾はどう応えるか。

中学受験でときおりおきることですが
金を出し親権を行使する保護者が受験を望み
生徒の学力がイマイチであるときはどうするか?

合格の可能性が小さければその旨をお知らせすれば
よいのです。
塾をお替わりになられるかもしれませんけれど。

そうではなくてある程度の可能性がある場合が難しい。

何が何でも合格優先であれば受験テクニックも総動員して
受験指導にあたればよさそうです。

生徒も納得してついてくる場合が多いでしょう。
(納得の中身の問題がありますがここでは触れません)

合格してあと、順調に伸びる場合もあるでしょう。
が、入った学校での成績が低空飛行をすることもあります。
その場合、塾の責任はどうか?

責任を取らないでよいとは私には思えません。
けれども取りようがないのも現実です。

ただの受験請負か、という気になりますね。


受験リスクの度合いを告げて「受験より教育」と云えるか?

「受験勉強よりも先にやっておくことがあります」とは
親の納得を得にくく、言いづらいことです。

塾が逃げているとか、高校受験まで引っ張るという作戦か
と疑われる危険大でしょう。

他の塾に替わる場合も多いでしょう。
そこでテクニックに走れば結局同じことです。

では受験を優先させ、教育に配慮しつつ受験勉強か?
うまくいけば良いですがね。
まんいち結果がでなければ生徒の人生の可能性を
塾のお金もうけのために食いつぶすとも言えます。

(だから受験には結果を出さねばならぬのです)

よくみると結局受験請負なんですかね?


学校教育で抜け落ちている本来の教育を塾ができないのか?

前の塾でも、ときおり「あなた方塾は一人ひとりの
人生まで責任を負うわけではない」などと言われました。

だから「何でもいいから合格を」と続くのです・・

保護者が「金を出してるから受験を」といわれると
塾、特に雇われている人間は弱いですよね。


ならば受験をボランティアで請け負うのはどうか?
学校教師が定年後、なんて話は聞きますが。

正当な対価を介在させないと生徒の勉強の効果が
上がらないように思います。

勉強に向く時間と言うのは案外短いので
かえって生徒をスポイルしないようにしたいものです。
取り返しがつかないことにならないように。

塾の仕事で生活している人の営業妨害にもなります。

生徒の人生がかかっていることで金儲けは好みません。
間違ってもサラリーマンの平均より上ではいけないと
もうからない塾の私は思います。
(もうからないからそういうのかなあ?)


受験という現実がある以上、それを逆手に取り
受験勉強をしながら学校では行いにくい教育を実践する、
それが、将来、国家の行う教育に制度疲労が
でたときに役立つと信じています。

でも、ただの信念じゃね、説得力がありません。

P.S.
テクに走るより上記の「教育実践」をしながらの受験の
ほうが受験結果が出ます。

とはいえ
そういう塾に耐えられる子だから結果が出ているので
井上のいうことが証明できているわけではない、
・・こう言われるとまた困るのです。

でも全国の「教えない」塾のデータが集められると
ウソじゃないかも、くらいは言えるのじゃないか、
と夢想しております。。。

ニセモノがはびこる構造

2010-07-16 18:21:39 | 本の話
たいへん面白い本です。
齋藤光政著『偽書「東日流外三郡誌」事件』

新人物往来社の新人物文庫。
450頁ほどの厚さがありますが、一気に読んでしまえます。
文章も良い!

著者は新聞記者ですから、凝った形容をされません。
理系の方などにしばしば見受けられる無理やりモってある
「詩的」な文章の反対で、さらりと書いてあります。

内容が、考えようによってはおどろおどろしい世界ですから
すっきりとした日本語がありがたいですね。


本屋でチェックできる方は、この文庫本の終わり辺りを
先にご覧になり、「あとがき」を2頁ほど読んでいただけば
どのような本か分かると思います。

今ではほぼ完ぺきに偽書とされている「東日流外三郡誌」が
なぜ一時期もてはやされ有名になったのか。
この事件から現代の日本が見えてきます。

東北では前土器遺跡のフェイクでFさんが有名ですが
それよりもさらに深い問題を提起している事件でしょう。


偽書ではないという説もあるそうです。

しかし、この本を読めば答えは決まっていますね。

Aと非Aとが対立している場合、片方の話を聞けば
「そうだ、完璧にAが正しい」と思い
あとで非Aを読むと「いや非Aだ」となる
困った私ですが、この偽書に関しては間違えることは
ないでしょう。
それほど目配りがきいた本です。


こういう証拠で偽書だ、という部分も面白いのですが
それより、この偽書事件を通して見える日本文化の
ありかたが勉強になりますね。

なぜここまでウソがまかり通ってしまったのか。

嘘を作り上げた人物像から文化的背景、日本社会の
かかえる問題まで、幅広く言及してあります。

学者や専門家もマスメディアも問題があります。
それ以上に役人の罪が重い。
いわゆるお役所仕事がいかに重大な影響を与えるか
おそるべき実態があきらかにされます。

ニセモノ造りだけが悪いのではない、ようです。

この本の中から短く引用しますと
「自分の頭で考えることを怠ってきた日本人独特の
 前例主義」
「主体性のない横並びの論理」

筆者が厳しく言及しているのは役人だけではなく
日本文化に根付く「お役所」的事なかれ主義の人々
すべてに向けられたものでしょう。

また偽書と分かっていても未だにそれを利用する
文化にも怒っておられます。

「面白いからよい」「ロマンがある」などという
逃げ口上で商売にいそしむ人がいるのです。

金がもうかればよい、厭な世の中ですね。

とはいえ私も清貧に生きる立派な人間なんぞには
なれそうもないのですけれども。


忘れていました。

「東日流外三郡誌」は(つがるそとさんぐんし)と
読むそうです。

小論は難しくない

2010-07-15 11:58:18 | 塾あれこれ
英語は難しくない、という学習法が流行のようです。
「小論文」はそれより更に易しいでしょう。

K高校は塾に向けて、半年くらいは指導されたい、と
言われたことがあります。
その程度か、もっと短い期間、しかも難しくはありません。

何しろ日本語でよいのですから。


平地を歩ける人なら登山もできます。
岩山とか高山は別として。

小論もよく似ています。

要は、その気になればよい、のです。

広島県の場合、公立高の受験で選抜Ⅰに小論が必要ですが
内申点が一定程度以上の生徒が受けるのですから
小論指導のハードルは更に低いと言えます。

国語が苦手の生徒も心配はありません。

ただし、つっかけでトレッキングはできないように
ある程度の準備は必要です。

やる気は、その準備を活かすエネルギー源ですね。


大学受験での小論指導には独立した時間が必要です。

高校受験の小論はそこまでの時間は不要です。

当塾の経験では、英数を中心に勉強している時間から
小論に少し割く程度で大丈夫です。
宿題で書いてもらうことはありますけれども。
(指定時間は厳守)

生徒の状況で指導内容を深化させる必要がありますから
小論だけの指導は生徒を掴めないと却って難しいでしょう。


学校では、形式的な小論の書き方を教える以外の
指導をされているのでしょうか。

先生はお忙しいと思いますが、国語科の先生が手分けするか
受験学年の先生が手分けすれば個別に添削する負荷は
小さいはずです。

そんなに難しいことではないのですから。

私の場合、宿題でやってきた小論を添削するのに一人10分も
あれば大丈夫です。
尤も悩みぬいて30分近く、ということもありますが。


出題する側が、それほど特別なものではない、と
仰っています。

私もそう思います。

あの程度の小論出題で一定の答えを出すことに
頭をかかえて手が出ないようではいけません。

塾で特別なことをしてもらわないと通らない
なんていうこともありません。

(もちろん塾の指導も効果はあるはずですがね)


高校受験で小論を経験することは大学生になってから後
までも役立つ勉強をすることになります。

チャンスがある人はぜひチャレンジを!

P.S.
コツの一つ。
といっても学校で教わっているハズですが。

とある社会的課題に世間はどう考えているか、
自分としてはどう思うか、
世間と異なる部分があるとしてどこが違うのか、
自分は何故そう考えるのか、
・・普段からこういう思考をしていると良いでしょう。

書くほうは個別に指導を受ければすぐに上達します。

母の口癖

2010-07-14 15:46:04 | 塾あれこれ
信じてもらえないかもしれませんが、母の口癖を
当ブログに書こうと思っていたところです。

「上等、じょうとう」
2回繰り返します。

本日、朝ドラの「水木しげる」さんの口から
それが出てきました。
実在のご当人の口癖でもあるのでしょう。

フミエさんが「スタミナ料理を低予算で」と
悩んでたどりついた料理、キャベツばかりの
ギョウザを一口食べて、水木さんが
「旨い。 上等、じょうとう」


母が大正13年生まれですから水木さんと同世代。
少なくとも中四国ではよく使われていたのでしょう。

もう少し早く書いていたらブログ2回分の話題に
なったのにね。

本当によい時にも「上等、じょうとう」

まあ、良かろうというときにも「上等、じょうとう」

場合によれば「上等よーね」

納得していない子供を諭すときに「上等、じょうとう」

そこには「あなたは不満かもしれないが、そんなことは
ありません。これでよいのです」という意味が込められ
場合によっては、本当は(上等)でないものを我慢させる
オマジナイとして発せられた場合もあったようです。

今その心中を思えば、貧しさゆえにそう言わざるを得ない
苦さを呑みこんでの「上等、じょうとう」もあったようです。

子供である私もリッチになれない人生をすごしていますから
この「上等、じょうとう」「上等よーね」は
よく上の方から聞こえてきます。

そうですね、窓の上、天井との境目あたりからかな。

貧乏神を追い払うオマジナイにもなるようです。
追い払えないけれども顔を出しづらくする効果はあるかな。

ともかく最近の母との会話にしばしば登場します。


そうすると、本日の朝ドラでの「上等、じょうとう」も
絶妙なニュアンスをもったセリフになります。

ながら勉強

2010-07-13 15:14:13 | 塾あれこれ
ラジオをつけて宿題をしていると叱られたものです。

我が家の場合、さいごは親もサジを投げました。
「このほうが勉強できるんだ」と言い張り続けるバカ息子に
愛想が尽きたのでしょう。

ホンネは勉強がメンドウだから逃げていたのですが
自分で自分をごまかすために、銀行のBGMなどを持ち出し
「音楽を流すほうが効果が上がる」とか言い
どこかで本気にもなっていましたね。
なんとかに付ける薬はない、ようです。

ぐっと集中しているときはラジオにばかり耳がいって、
勉強が御留守。(いつもか)
珍しくモノを考えているときはラジオは聞こえていません。

(並行してやってるといってもこんな具合で)

今でもナガラ族の習性はぬけずCDをかけながらブログを
書くことがしばしばあります。

FMのときもあります。
(現在はベルリオーズのレクイエムが流れてます)

複数を並行して処理する能力は加齢とともに落ちるようで
FMをつけてヘンデルが掛かるものだと思っていたら
急にブリテンが聞こえてきて驚いたりします。

FMのほうに向かう脳がトロかったのでしょう。

人間の脳では複数のプロセッサが同時に動いているとは
思うのですが、チップそのものにガタがきてるのではね。

朝ドラ見ながら新聞読む、なんてことすら難しいときも
あります。(出来ているときもあります)
昔は2つも3つも同時に処理して当たり前だったのに、ああ・・


今の子も雑音の多い世界に慣れているのでしょう。

「しーん」とした空間では落ち着かないか、眠気がさす?

集中して考えられる子かどうかのチェックにはなりますが
塾以外では「し~ん」とした時間は却って効果がうすい
かもしれません。

何度も挑戦して中断している「クラシックながら勉強」
家にあるCDを小さく流すだけですがこれも気になる子が
いる場合もあります。
結構できないことが多いものです。

それでもタマに挑戦していますが
モーツアルトがジャマになりにくいようですね。

「鉄の骨」

2010-07-12 20:43:34 | 塾あれこれ
土曜9時のドラマといえば「ハゲタカ」が強烈でした。
今回の「鉄の骨」もけっこう良いのではないでしょうか。

買収よりも分かりやすい世界ですしね。


小池徹平くんがgoodです。

ドラマのイメージでいうと
あれ、ついこの間、東大受験で頑張ってたのに
もう社会人ですか。。。

男ながらイケメンなる人種のオーラに引き付けられます。
最近では佐藤健とか。

スターになる人は違うものだと思うようになってきた私は
サッカーの岡田監督みたいにメンクイになったのかなあ?


佐藤健=以蔵の彼女も、今回、徹平君の彼女役も
臼田あさ美です。なかなか存在感あり!ですねー。


「鉄の骨」の世界に戻りましょう。

学生を終え社会へ出ると想像以上の現実に驚かされます。

学校でもいろいろ習ったし、人としても成長したいと
理想や希望に燃えて社会へ出たものの
それらとは全く違う現実にブチあたるのですね。

私も「学校で教わったことと正反対じゃないか。
 いったい何を習ったのだろう」なんて思ったりした
こともありました。

「鉄の骨」はそんな若いころを思い出させます。


私は談合の世界を知るものではありません。
けれどもそういう空気はよくわかる業種でした。

企業同士が協調したり、反対に出し抜いたり、
大きな資本の進出を恐れ、考えられる様々な手を
うつことも(営業)でした。

談合の業界ではその仕事をする連中はかなり上層の方が
携わっているはずで、「鉄の骨」で徹平くんのような
あまり若い人が首をつっこむというのは違和感があります。

それを除けば30年前も今も談合や(政治的営業)の
世界はまったく変わっていないようですね。

それともドラマの内容が古いのか?

きっとそうではなく日本型営業体質は変わらないと
いうことなのでしょう。

だから普通のサラリーマンを辞めて30年たつ今でも
この「鉄の骨」の世界が分かるような気がするのです。

私にはリアルな劇なんです~

できるだけ甘くならないようなドラマの続きを期待!

悪いやつ(敵方をこうしておきましょう)も
必死ですからねえ。


ドラマと違い、現実世界は勝たなきゃ何にもなりません。

・・菅首相、甘かったね。

逆風が強まっていったのになすスベがなかった。
スローモーション・ピクチャーを見ているようでした。
(身内にサボタージュがなかったか?)

ともかくも最初から設計が狂っていたようですけれど
私のブログ(6/11)を読んでくれてたら・・・じょーだんです。

当塾としてはとても困る話

2010-07-11 11:33:47 | 塾あれこれ
長い間言えずにきた話です。
それも、塾の基本的なありかた。

自分としてはAを拒否しBを選択したと言ってきたのに
「AもBも一緒じゃないの」疑惑があり
私には説明しきれないことかもしれないのです。

幸か不幸か、面と向かって「一緒じゃないの?」と
言われたことはありません。
ブログにそのような意見を寄せる方もおられません。

ではありますが、私としては、黙っているのも卑怯だし
かといって営業を思えば云いたくないことです。

気が重くなりますね。
言わなくてもよいことなんでしょうけれども。

「え~? そうか、気付かなかったなあ・・でもね」とか
何かあっても、しらじらしく言えばよいのです。


このブログでも今までに「AではなくB」と書いていますが
改めて羅列しておきます。

A 大半の学校や塾で一斉授業が行われている
B 個別形式が教育として、より有効である

A 文科省の方針を順守する
B 寺子屋に戻ろう

A 懇切丁寧な指導を目指す
B 「教えない」教育を目指す

A 新しい教え方の工夫を採用する
B 目先の「何%学力アップ」より長いスパンを考える

A 学校教育や受験を明確に意識する
B 受験優先などと(こちらの事情)を優先させない

などなど。

それらに関するより細かい話はここでは省略します。
いずれも一長一短はあるもののどちらを採用しているかの
理由は説明できます。(当たり前ですね)

もちろんどちらかが一方的に良いということはないでしょう。
数字も考え方も、自分としては、総動員しての結論です。


お叱りを受けそうですが、そういう自己検証の過程を経ずに
あちらこちらでしていること、それと同じものを自分も
という仕事もあるように見えます。

「世界で最新のシステムだから採用している」という
のはどんな世界にもよくあることです。(サッカー?)

あるいは、初めての食堂に行ったら皆さんが食べているのと
同じものを注文する、その感覚です。
失敗が少ない。

とはいえ「個性を伸ばす塾です」とか書いてあるチラシをみて
その具体論や根拠を求められたらどうするんだろう、と
人ごとながら心配をしたりすることもあります。

「私の信念」とか持ちだされてもねえ。
「これしかできない」なんて・・←ええかげんにせえ!

(客も客)の時代だから(店も店)でよいのかなあ。


たとえば、仮に寺子屋がよいとしましょうか。

「だから井上」か?

私がしていることが果して正しく「寺子屋」を具現していると
云えるのか?

寺子屋方式が長い歴史の検証を経てきたのは良いとして
これから未来へも有効だと言えるのか。

すべての人にあてはまる方式か。

結局、寺子屋も他のやり方も大差がないのではないか。


私としてはいろいろ持ちだして、違うと申しますが
それは「内側から見た景色」でしかないのではないか。
外から見れば同じような物でしかないのかもしれません。

長い歴史をもちだしても、当塾そのものは十年余でしか
ありません。

寺子屋の長所を取り入れられているか不明だとすると
長い歴史を持ち出すわけにはいきません。

たかがテストの点数が何点か上がっただけで
教育効果がある、とは誇大広告めくと思います。

「どこそこ何名」が直接は塾や学校の優秀性を証明する
わけでもありません。

教育とは証明しづらい世界です。
人の一生にかかわることだからです。

たとえ証明できるとしても自塾が十年では
何も言えませんね。
(自分の証明は不可能かもしれません・・)


入試ならば数字が出ます。

しかし、それも本人や家庭、学校の力があってのことです。
どこまでが塾の力と証明できるのか・・

先に悪口をいった「信念の人」と五十歩百歩なのですね。
「私はこうです、塾はこうです」と連呼しているに過ぎない
のでは?という気分になることがあります。

塾とはただの受験請負屋でしかないのかもしれません。

それで教育を論じることができるのか?
をこがましー。


・・といっても未練がましく小声で
「そうは言っても、違うのだけれどなあ・・
 そういうことがあるから、なおさら寺子屋で・・」


この件に関しては様々なことを考えねばなりません。
上記は書きやすいことに少しふれただけでして。。

正直を申しあげると、気の重いワークでもあります。
気がむけば時おり続きを書くつもりですけれども。