「教育者」という言葉のイメージはどのようなものですか?
本来、プラスの語感を持っている筈ですね。
しかし私にはスッキリしないところが残るのです。
現在の日本語で「教育者」とは、どんな感じ?
○
まず個人的なことを書いておきますが
子供のころ、学校は嫌いでした。
先生の多くが好きになれなかったから。
修学旅行の引率で酒呑んで赤い顔してるか?
その直前の夕食時には生徒に長時間の説教してて。
もちろん、大変に尊敬できる先生も何人かおられた。
いま思えば良い先生の少なさは当時の教育界における
教育者の割合そのものだったかもしれませんね。
良い先生は、何十人かに一人、かな。(私にとって)
今はどうなっているのでしょう?
増減ありかなあ。
○
塾ですか?
話がどんどんと外れますね。
教育を考えておられる方と、受験請負業に絞った方
金儲け(または当面生活するため)の手段の方
・・塾にもいろいろおられるので良い先生の割合は
学校より低いかもしれません。
では、どこにも少数の立派な教育者がおられる、
で終わる話か?
○
吉田松陰は学校の先生になれるでしょうか?
ぜったいになれませんよね。
彼は、自ら肯んずるところのないことは
たとえ上からの命令でも行わない筈。
これは人間としての基本です。
そこを守れないで何が教育者・・・
なのですが、お役人ならばそうはいきません。
上からのワクに縛られるのがお役人です。
役人からは吉田松陰は生まれないのです。
○
ニニンが四、を教えるだけを教育とは言いません。
人としての在り方を示すことも大切です。
生きてゆくすべを伝えることも教育。
では教育者とは、それだけ?
明治時代に学校教育が始まって以来
教育者とは官吏でもありました。
権力を持って、国家の立場から子供を導くという
面があります。
自らは立派な人間として模範を示さねばならぬ存在でも
ありました。
もちろん立派に具現化された「教育者」もおられました。
また、相撲の親方のように、一見立派でジツはアヤシイ、
という教育者もおられたやの噂を聞いた人の、また聞きで・・
○
教育者という言葉に対して、人間だから神様のようなワケには
いかない、という先生もおられます。
かといって、日ごろは神様を演じながら、生徒と同じ旅館で
酒を飲むことに「それはどうか」と疑問を感じる真面目な方も
おられたハズです。
難しい話と思います。
○
イデオロギー過剰の先生方も苦手ですね。
教師は労働者、で良いのでしょうか。
医師がただの労働者でない如く
教師もただの労働者ではありません。
目の前の子供の人生に関わることもあるのだから。
責任は重いのです。
さまざまな難しさに押しつぶされようとしているから
「教育者」のイメージが曖昧なのでしょう。
○
さて、「ではお前はナニモノ?」
と言われると困りますねえ。
少なくとも「立派」と言われることはない自覚は
十分にあります。ハハ。残念ながら。
私に学校の先生は務まりませんよね。
(教育者なんぞになりたくねー、とか言ってます)
かといってもちろん手は抜いていません。
少なくとも自分ではそう思います。
けれど営業的に冴えないということは・・
え~~っと、ですね。。。
本来、プラスの語感を持っている筈ですね。
しかし私にはスッキリしないところが残るのです。
現在の日本語で「教育者」とは、どんな感じ?
○
まず個人的なことを書いておきますが
子供のころ、学校は嫌いでした。
先生の多くが好きになれなかったから。
修学旅行の引率で酒呑んで赤い顔してるか?
その直前の夕食時には生徒に長時間の説教してて。
もちろん、大変に尊敬できる先生も何人かおられた。
いま思えば良い先生の少なさは当時の教育界における
教育者の割合そのものだったかもしれませんね。
良い先生は、何十人かに一人、かな。(私にとって)
今はどうなっているのでしょう?
増減ありかなあ。
○
塾ですか?
話がどんどんと外れますね。
教育を考えておられる方と、受験請負業に絞った方
金儲け(または当面生活するため)の手段の方
・・塾にもいろいろおられるので良い先生の割合は
学校より低いかもしれません。
では、どこにも少数の立派な教育者がおられる、
で終わる話か?
○
吉田松陰は学校の先生になれるでしょうか?
ぜったいになれませんよね。
彼は、自ら肯んずるところのないことは
たとえ上からの命令でも行わない筈。
これは人間としての基本です。
そこを守れないで何が教育者・・・
なのですが、お役人ならばそうはいきません。
上からのワクに縛られるのがお役人です。
役人からは吉田松陰は生まれないのです。
○
ニニンが四、を教えるだけを教育とは言いません。
人としての在り方を示すことも大切です。
生きてゆくすべを伝えることも教育。
では教育者とは、それだけ?
明治時代に学校教育が始まって以来
教育者とは官吏でもありました。
権力を持って、国家の立場から子供を導くという
面があります。
自らは立派な人間として模範を示さねばならぬ存在でも
ありました。
もちろん立派に具現化された「教育者」もおられました。
また、相撲の親方のように、一見立派でジツはアヤシイ、
という教育者もおられたやの噂を聞いた人の、また聞きで・・
○
教育者という言葉に対して、人間だから神様のようなワケには
いかない、という先生もおられます。
かといって、日ごろは神様を演じながら、生徒と同じ旅館で
酒を飲むことに「それはどうか」と疑問を感じる真面目な方も
おられたハズです。
難しい話と思います。
○
イデオロギー過剰の先生方も苦手ですね。
教師は労働者、で良いのでしょうか。
医師がただの労働者でない如く
教師もただの労働者ではありません。
目の前の子供の人生に関わることもあるのだから。
責任は重いのです。
さまざまな難しさに押しつぶされようとしているから
「教育者」のイメージが曖昧なのでしょう。
○
さて、「ではお前はナニモノ?」
と言われると困りますねえ。
少なくとも「立派」と言われることはない自覚は
十分にあります。ハハ。残念ながら。
私に学校の先生は務まりませんよね。
(教育者なんぞになりたくねー、とか言ってます)
かといってもちろん手は抜いていません。
少なくとも自分ではそう思います。
けれど営業的に冴えないということは・・
え~~っと、ですね。。。