書きにくいので、整理不十分です。
気も重いなあ。
○
とある限界まで正直に記し、塾の考えや進め方を深化させる
ためには、敵を利する部分があるにしても、書いておきたいと
思います。
私が書かなくても皆さんよくご存じとは思いますが、ね。
(結局塾ってただの受験請負、教育など言える資格なし)
この指摘は重いですねえ。
もう押しつぶされそうです。
「いや、そうではないハズ」とも思うので整理をして見ます。
ただの受験請負なら先細りですしね。
○
保護者はお金を出されます。生徒は人生をかけます。
どちらも大変に重い。
それに塾はどう応えるか。
中学受験でときおりおきることですが
金を出し親権を行使する保護者が受験を望み
生徒の学力がイマイチであるときはどうするか?
合格の可能性が小さければその旨をお知らせすれば
よいのです。
塾をお替わりになられるかもしれませんけれど。
そうではなくてある程度の可能性がある場合が難しい。
何が何でも合格優先であれば受験テクニックも総動員して
受験指導にあたればよさそうです。
生徒も納得してついてくる場合が多いでしょう。
(納得の中身の問題がありますがここでは触れません)
合格してあと、順調に伸びる場合もあるでしょう。
が、入った学校での成績が低空飛行をすることもあります。
その場合、塾の責任はどうか?
責任を取らないでよいとは私には思えません。
けれども取りようがないのも現実です。
ただの受験請負か、という気になりますね。
○
受験リスクの度合いを告げて「受験より教育」と云えるか?
「受験勉強よりも先にやっておくことがあります」とは
親の納得を得にくく、言いづらいことです。
塾が逃げているとか、高校受験まで引っ張るという作戦か
と疑われる危険大でしょう。
他の塾に替わる場合も多いでしょう。
そこでテクニックに走れば結局同じことです。
では受験を優先させ、教育に配慮しつつ受験勉強か?
うまくいけば良いですがね。
まんいち結果がでなければ生徒の人生の可能性を
塾のお金もうけのために食いつぶすとも言えます。
(だから受験には結果を出さねばならぬのです)
よくみると結局受験請負なんですかね?
○
学校教育で抜け落ちている本来の教育を塾ができないのか?
前の塾でも、ときおり「あなた方塾は一人ひとりの
人生まで責任を負うわけではない」などと言われました。
だから「何でもいいから合格を」と続くのです・・
保護者が「金を出してるから受験を」といわれると
塾、特に雇われている人間は弱いですよね。
○
ならば受験をボランティアで請け負うのはどうか?
学校教師が定年後、なんて話は聞きますが。
正当な対価を介在させないと生徒の勉強の効果が
上がらないように思います。
勉強に向く時間と言うのは案外短いので
かえって生徒をスポイルしないようにしたいものです。
取り返しがつかないことにならないように。
塾の仕事で生活している人の営業妨害にもなります。
生徒の人生がかかっていることで金儲けは好みません。
間違ってもサラリーマンの平均より上ではいけないと
もうからない塾の私は思います。
(もうからないからそういうのかなあ?)
○
受験という現実がある以上、それを逆手に取り
受験勉強をしながら学校では行いにくい教育を実践する、
それが、将来、国家の行う教育に制度疲労が
でたときに役立つと信じています。
でも、ただの信念じゃね、説得力がありません。
P.S.
テクに走るより上記の「教育実践」をしながらの受験の
ほうが受験結果が出ます。
とはいえ
そういう塾に耐えられる子だから結果が出ているので
井上のいうことが証明できているわけではない、
・・こう言われるとまた困るのです。
でも全国の「教えない」塾のデータが集められると
ウソじゃないかも、くらいは言えるのじゃないか、
と夢想しております。。。
気も重いなあ。
○
とある限界まで正直に記し、塾の考えや進め方を深化させる
ためには、敵を利する部分があるにしても、書いておきたいと
思います。
私が書かなくても皆さんよくご存じとは思いますが、ね。
(結局塾ってただの受験請負、教育など言える資格なし)
この指摘は重いですねえ。
もう押しつぶされそうです。
「いや、そうではないハズ」とも思うので整理をして見ます。
ただの受験請負なら先細りですしね。
○
保護者はお金を出されます。生徒は人生をかけます。
どちらも大変に重い。
それに塾はどう応えるか。
中学受験でときおりおきることですが
金を出し親権を行使する保護者が受験を望み
生徒の学力がイマイチであるときはどうするか?
合格の可能性が小さければその旨をお知らせすれば
よいのです。
塾をお替わりになられるかもしれませんけれど。
そうではなくてある程度の可能性がある場合が難しい。
何が何でも合格優先であれば受験テクニックも総動員して
受験指導にあたればよさそうです。
生徒も納得してついてくる場合が多いでしょう。
(納得の中身の問題がありますがここでは触れません)
合格してあと、順調に伸びる場合もあるでしょう。
が、入った学校での成績が低空飛行をすることもあります。
その場合、塾の責任はどうか?
責任を取らないでよいとは私には思えません。
けれども取りようがないのも現実です。
ただの受験請負か、という気になりますね。
○
受験リスクの度合いを告げて「受験より教育」と云えるか?
「受験勉強よりも先にやっておくことがあります」とは
親の納得を得にくく、言いづらいことです。
塾が逃げているとか、高校受験まで引っ張るという作戦か
と疑われる危険大でしょう。
他の塾に替わる場合も多いでしょう。
そこでテクニックに走れば結局同じことです。
では受験を優先させ、教育に配慮しつつ受験勉強か?
うまくいけば良いですがね。
まんいち結果がでなければ生徒の人生の可能性を
塾のお金もうけのために食いつぶすとも言えます。
(だから受験には結果を出さねばならぬのです)
よくみると結局受験請負なんですかね?
○
学校教育で抜け落ちている本来の教育を塾ができないのか?
前の塾でも、ときおり「あなた方塾は一人ひとりの
人生まで責任を負うわけではない」などと言われました。
だから「何でもいいから合格を」と続くのです・・
保護者が「金を出してるから受験を」といわれると
塾、特に雇われている人間は弱いですよね。
○
ならば受験をボランティアで請け負うのはどうか?
学校教師が定年後、なんて話は聞きますが。
正当な対価を介在させないと生徒の勉強の効果が
上がらないように思います。
勉強に向く時間と言うのは案外短いので
かえって生徒をスポイルしないようにしたいものです。
取り返しがつかないことにならないように。
塾の仕事で生活している人の営業妨害にもなります。
生徒の人生がかかっていることで金儲けは好みません。
間違ってもサラリーマンの平均より上ではいけないと
もうからない塾の私は思います。
(もうからないからそういうのかなあ?)
○
受験という現実がある以上、それを逆手に取り
受験勉強をしながら学校では行いにくい教育を実践する、
それが、将来、国家の行う教育に制度疲労が
でたときに役立つと信じています。
でも、ただの信念じゃね、説得力がありません。
P.S.
テクに走るより上記の「教育実践」をしながらの受験の
ほうが受験結果が出ます。
とはいえ
そういう塾に耐えられる子だから結果が出ているので
井上のいうことが証明できているわけではない、
・・こう言われるとまた困るのです。
でも全国の「教えない」塾のデータが集められると
ウソじゃないかも、くらいは言えるのじゃないか、
と夢想しております。。。