『明治人物閑話』

2009-09-03 10:17:41 | 本の話
新書のようなものばかり読んでいるとたまには
きちんとした日本語を読みたくなります。

森銑三『明治人物閑話』中公文庫

所収の文章を発表されたのは昭和40年代後半から
50年あたりですが、古い文体を十分に意識されて
おられるようです。

文庫の冒頭から引きます。

「井上通泰先生の玉川の別荘へ、日曜日ごとに上って、
 本を見せて貰ったり、雑談を聴いたりした。その折り
 のことが、なつかしく回顧せらるが、それからもう
 三十余年にもなるので、折角伺った話も、記憶が
 薄らいでしまっている。」

縦書きのものを横で引用するとは失礼なことです。
申し訳ありません。
どうすれば縦書きになるか、ソフトもあると昔聞いた
のですが。。


少しは文章の感じがお分かりいただけますか?

森先生が(なんとなく先生という感じですね)
「これが明治に出来上がった日本語です。 
 近年の文章は出来が甘くありませんか?」
と言われているような気がする書き出しですね。

漢文を基にし、いくばくか外国語の影響をうけ
ながら、時代に合う日本語が明治にできました。
うっすらと江戸期の(文の流れ)も感じられます。

文章ということに興味がある方にはお勧めです。
森銑三、掛け値なし、の名文家ですから。

ただし、題材を明治の人物に取りますから引用などが
今の日本語とは違っています。
古い文章が苦手の人は読まれないほうが安全です。


内田樹さんが文庫に解説を書いておられます。
全体として的を射ています。
彼も森さんの文体を好む、そうです。

ただね、そのワリには内田さん、解説の文章が
締まっていませんね。

いや、悪口ではありません。
現代の日本語が締まらないものですから
やむをえません。

文章というものは書くほうだけが変化させてみても
読み手が付いてこなければ成り立ちません。

文とは社会が作るものでもあります。
もちろん誰かが改革の口火を切るのですが
社会全体が認知してくれないと定着しませんから。

社会の風を捉えて文筆家が新しい文をつくる。
それを受けて社会の言葉が変容する。
こうして社会にマッチした言葉が普及するのですが
もともとの社会が饒舌になっていればそういう文体が
主流となります。

開高や野坂の辺りから大きく変わったようですね。

とはいえ子供が身につけるには難しいものです。


でも、この十年で表現力がゆたかな(よく言うと)
小中学生が増えたようには思えます。
饒舌の効果かなあ。

学校も社会も変わってきているのでしょう。

次は、甘さを排せられるか、文を削れるか、です
けれども、大人も変わらないと不可能でしょうね。