昨日に続き引用します。
「 昭和十五年二月に、二世市川左団次が亡くなった。
年は六十一歳だった。
それはついまだこの間のことのように思われるのに、
爾後もう三十数年という歳月が流れているのだから驚く。
市川左団次の死は突然であった。・・」
こういう書き出しをされるとそのまま引き込まれます。
まったく普通の書き方ですが、良い文と思います。
誰でも書けそう。だから名文なのです。
○
先達の名文にあこがれることはできても
そのうち少しでも良いから自分のものにすることは
至難です。
もちろん名人のクセや雰囲気をモノマネ芸のように
真似ることくらいはできます。
エンタテインメントの世界では面白がられるでしょうが
人生の修行時代ならいざしらず、大人になって自己の
確立していない文章は評価されません。
影で笑われます。
まことに恥ずかしながら、私が笑われたクチでした。
三島由紀夫は文章修行として名文を書き写したと
聞いた記憶があります。
これも三島だからそれで力がついたので我々凡人では
結果がでません。
一字一字写してみても、名文たるユエンを感得、分析
できず、ただ手がだるいだけで終わってしまいます。
ごく若いうちに、漫画の好きな子が誰かに似せて描く
ように、意味も分らずとにかく写す、これは修行に
なりそうな気がしますが、気がするだけで根拠は
ありません。
総じて名文志向は非生産的と思えます。
本人は名文を書きたいと思っていながら実は
破綻した文を描いている、そのうえそれに
気づかない・・恥ずかしいことですね。
昔はシミチョロといって本人が気づかないことの
形容にできたものですが今は何というのでしょう。
いや、文化から(恥)が消え去ろうとしているから
別に構わないのか・・
実は私も30才くらいに百などを写してみました。
遅筆の人でしたからこちらもじっくりと原稿用紙に。
引き写す間は普通の文章なのです。
どこが良いか分りません。
もちろん、写し終えたものは名文!
テーブルマジックに騙されてアホ面しているように
タネもしかけも分らないのです。
◎
名画・名曲の基準だって分らないですよね。
ましてや文章となると何を評価するのか根拠が、ね?
ですから人によって名文の選択が異なります。
異なっても評価に共通点があればまだ良いのですが
私には分りません。
いろいろな文章読本も勉強したのですがねえ。
人により違うものですが、私はよい文をこう考えます。
*考えが練られている
*持って回った言い方をしない
*饒舌でない
*気取らない
*不要な修飾をしない
普通の人間はプロがギリギリで成立させているワザを
真似てはいけないのです。
こんな文のブログを描いている人間が「名文とは何ぞ」
と言えば笑われてしまいますが、塾では作文指導なども
あるので、一応の考えを持っていなければなりません。
もちろん「名文指導」は(をこのさた)
いたしませんが、良い文への指導はできなくては。
さて、名文とは
*一読、意が通じること
*文の奥が深い
*さわやかなリズムがある
◎
ここで今日の最初に引用した森銑三の文をご覧下さい。
好いでせう?
「 昭和十五年二月に、二世市川左団次が亡くなった。
年は六十一歳だった。
それはついまだこの間のことのように思われるのに、
爾後もう三十数年という歳月が流れているのだから驚く。
市川左団次の死は突然であった。・・」
こういう書き出しをされるとそのまま引き込まれます。
まったく普通の書き方ですが、良い文と思います。
誰でも書けそう。だから名文なのです。
○
先達の名文にあこがれることはできても
そのうち少しでも良いから自分のものにすることは
至難です。
もちろん名人のクセや雰囲気をモノマネ芸のように
真似ることくらいはできます。
エンタテインメントの世界では面白がられるでしょうが
人生の修行時代ならいざしらず、大人になって自己の
確立していない文章は評価されません。
影で笑われます。
まことに恥ずかしながら、私が笑われたクチでした。
三島由紀夫は文章修行として名文を書き写したと
聞いた記憶があります。
これも三島だからそれで力がついたので我々凡人では
結果がでません。
一字一字写してみても、名文たるユエンを感得、分析
できず、ただ手がだるいだけで終わってしまいます。
ごく若いうちに、漫画の好きな子が誰かに似せて描く
ように、意味も分らずとにかく写す、これは修行に
なりそうな気がしますが、気がするだけで根拠は
ありません。
総じて名文志向は非生産的と思えます。
本人は名文を書きたいと思っていながら実は
破綻した文を描いている、そのうえそれに
気づかない・・恥ずかしいことですね。
昔はシミチョロといって本人が気づかないことの
形容にできたものですが今は何というのでしょう。
いや、文化から(恥)が消え去ろうとしているから
別に構わないのか・・
実は私も30才くらいに百などを写してみました。
遅筆の人でしたからこちらもじっくりと原稿用紙に。
引き写す間は普通の文章なのです。
どこが良いか分りません。
もちろん、写し終えたものは名文!
テーブルマジックに騙されてアホ面しているように
タネもしかけも分らないのです。
◎
名画・名曲の基準だって分らないですよね。
ましてや文章となると何を評価するのか根拠が、ね?
ですから人によって名文の選択が異なります。
異なっても評価に共通点があればまだ良いのですが
私には分りません。
いろいろな文章読本も勉強したのですがねえ。
人により違うものですが、私はよい文をこう考えます。
*考えが練られている
*持って回った言い方をしない
*饒舌でない
*気取らない
*不要な修飾をしない
普通の人間はプロがギリギリで成立させているワザを
真似てはいけないのです。
こんな文のブログを描いている人間が「名文とは何ぞ」
と言えば笑われてしまいますが、塾では作文指導なども
あるので、一応の考えを持っていなければなりません。
もちろん「名文指導」は(をこのさた)
いたしませんが、良い文への指導はできなくては。
さて、名文とは
*一読、意が通じること
*文の奥が深い
*さわやかなリズムがある
◎
ここで今日の最初に引用した森銑三の文をご覧下さい。
好いでせう?